第十三話「対決と決戦の間で」
セリアムはグランドルークを落とすチャンスはあと一回と判断した。セレス近傍での戦闘は現状ではご法度である。幸いグランドルークは三次加速の結果、セレスの軌道を飛び越えてから回り込むような軌道に変更していた。この回り込むタイミングで攻撃を仕掛けられるはずである。しかし想定外のことが起こった。セレスから進発した艇が一隻、グランドルークとのランデブーコースを取っていることが判明したのである。これはハートマンの私設警護隊の船であった。通信を傍受し解析した結果、セレナクイーンを守るための船らしいが、その戦闘力や実際に戦闘になった場合にどう動くのかは不明であった。セリアムはこれらの存在を無視することにした。戦闘に参加するのであれば容赦はしない。もしセレナクイーンの直衛のみであれば手出ししない。これまでのスタンスを変える必要はなかった。
ヒュウは臨床心理学者のスズキに今回の戦闘について語った。強敵との戦闘により充実感と高揚感を感じ、強烈な自負心が生まれたことで別の敵を、うざい、などと考えてしまった。誰が相手であろうとやることは同じであり、そこに余計な感情をまとうことは危険であると考えていると。だがセリアムとの戦いを通じて性的興奮に近い高揚感を得たことが、自分は普通の人間とは違う、命がけの状況でしか充足できないことを吐露したのである。スズキに話すことで、そんな自分を少し肯定できるような気がした。船医のナトリは今回の戦闘記録からヒュウがノーラン・メソッドの恩恵を受けていることを確信した。それはヒュウの強さとは直接関係ないが、生き残るチャンスを増やしていると考えられた。彼女は投獄中のノーラン博士に代わって、ノーラン・メソッドの有効性を証明したかった。そのためにもヒュウに打ち明けてより詳細なデータを採取できるようにPSに脳の状態を確認できるセンサーを取り付けてもらう必要がある。できれば脳内に小型センサを埋め込みたいが、さすがにこれは無理と考えた。ナトリはセレスについて一息つけるタイミングで話すつもりであった。
一方、マリア・フランシスである。彼女は積極的にグランドルークの乗員と接触し、その信用を得ていった。ヒュウに対してもマリアのインタビューを邪険にするなと複数の乗員が釘を刺してきた。基本的に「いいやつ」なので、ヒュウもマリアを嫌いではないが、インタビューの内容は過去に触れる場合もあったため、回答に困る場合もあったのである。そこでヒュウはマリアを信用して、過去の事を包み隠さず話すことにした。自分がオーベルトのスラム育ちで、実際には連合市民ではないこと。従軍可能な年齢にも達していないこと。違法な方法で現在の立場にいることをである。普通であれば連合のトップエースがそのような経歴の持ち主であれば一大スクープであり、喜び勇んで本社へ暗号電信にて記事を送るはずであった。しかしマリアはヒュウの告白を聞き涙した。彼の過酷な過去に同情したのではない。一人の若者としての未来の可能性を捨てて戦争に従事しているヒュウを哀れんだわけでもない。ただ、目の前の推定十六歳の存在に奇跡を感じたのである。ヒュウのような経験を経て成長すれば、たいていは世を儚んで自暴自棄になるか、逆に破滅的に世を楽しもうとするか、色々な誤った道へ入り込む誘惑があったはずである。しかしヒュウを見ると多少口数は少なく年の割りに落ち着いているが、普通の青年に見える。普通であることが奇跡、それがヒュウであった。マリアはヒュウの経歴を自分の心の中に封じ込め、公開しない事を決めた。ヒュウもこれ以後、マリアと話す機会が増え、それはスズキと話すことと同じぐらい好ましい時間となったのである。
同時期、ヒュウはマリアとの会話を通じて生じた疑問をスズキに吐露している。それは「自分はなぜここで戦っているのか」というものであった。グランドルークの環境に不満はない。艦長とは時々トレーニングジムで一緒になった時に話す程度であるが、マエジマを通じて信用できる人物であることを感じている。また他の乗組員やパイロット達もいいやつらであった。ヒュウが思っているのはイデオロギーである。自分は代書屋の選択により連合軍に所属して戦っているだけである。場合によってはアタラクシア軍に属していた可能性もあった。連合に故郷があるわけでもないし、家族がいるわけでもない。連合の施政・政策に共感しているわけでもない。それは思考の迷路であり、スズキはその危険性を十分に知っていた。経歴が短い兵士が一度は落ちる病気のようなものである。スズキはあえて強制的な答えを提示するのではなく、ヒュウ自身の短く狭い人生経験では知り得ない様々な考え方があることを示した。あくまでヒュウ自身の思考で答えを見つける必要がある。そして答えが出た時、ヒュウは更に強くなっているはずであった。
グランドルークは火星の近傍を通過し、セレスを目指した。目の前にある火星には有人探査がこれまで数十度行われているが、殖民は実施されていない。なまじ中途半端な自然環境に殖民するより、完全な人口環境を一から構築する方が管理面でも安全面でも衛生面でも簡単であった。両政府とも、月に基地を作った際にそのことは十分経験済みである。重力制御で都市基盤を構築すると、その下の地盤が崩壊し、大事故になった事が多々ある。現在の月の各都市は大きな犠牲の上に成り立っている。実に地球連邦時代の宇宙移民の死者の60パーセント以上が月で亡くなっているのである。現在、月に新しい都市を建設せず、地球連邦時代の都市を奪い合っているのは、そういう事情もあった。
火星の影になっているが、ゴルゴスも追尾している。随行しているミハイロフとミハイロヴナは十分な減速を実施して、これ以降戦闘には参加せずセレスに直行する手はずであった。その際、弾薬などの補給物資はできるだけゴルゴスに移してある。グランドルークとセレナクイーンは減速が間に合わず、一旦セレスの軌道を超えてからターンしながら減速を続け、セレスに到着予定であった。そのターンのタイミングでゴルゴスは仕掛ける計画である。セレナクイーンにはセレスから発進した艦が随行し、戦域を先に離脱してセレスに先行させることで、グランドルークは身軽になることができた。ゴルゴスがセレナクイーンに接触しようとすれば、その横腹をグランドルークに晒すことになる。ここにきてようやくグランドルークはゴルゴスとの正面決戦が可能となったのである。
一方セリアムは苦い思いと共に作戦の失敗を痛感した。ゴルゴス隊に託された作戦は連合の使節団をセレスに行かせないことにある。セリアム自身は賛成しかねる作戦であったが、傭兵として受けた仕事を完遂する気持ちは変わらない。しかしグランドルークとセレナクイーンが別行動をとったことで、ゴルゴス隊の任務は失敗であることが確定した。もちろんセリアムは自分が万能であるとは思っていない。今回の作戦の失敗の大きな要因は、初めての惑星間航行中の戦闘となったこと、セレナクイーンの存在、グランドルークの性能、敵部隊の有能さなどいくつかあり、達成難易度は非常に高かったといえる。またミハイロフとミハイロヴナの運用においても反省点は多々ある。スペースリープが出来るからといって、圧倒的な優位性にはつながらなかった。現状でグランドルークとの会戦は避けがたかった。このままの軌道でセレスに転身すれば、横腹をグランドルークにえぐられる可能性があるのだ。




