第十一話「スペースリープ」
グランドルークとゴルゴスはそれぞれ別軌道にて航行していたが、目的地が明確であるため、ゴルゴスの追撃を振り切ることは難しかった。ここでは隠れられるデブリも何もないのである。おそらくゴルゴスは二次加速が終わり慣性航行に入った段階で再度攻撃してくる。その時は前回の反省点を踏まえて二度と同じ過ちは侵さないはずであった。グランドルークのアドバンテージは戦闘機隊の存在であるが、リスクとしてセレナクイーンがいる。ラインバード側は初戦の敵戦術から戦闘機の運用が決め手であることを重視していた。一部PSを改造してブースターと一体化することで戦闘機の代わりに運用することを検討し始めたのである。
グランドルークにおいては医療班の活動も活発であった。出撃したパイロットのメンタルケアから、身体に変化がないか検査することに余念がなかった。ヒュウは初老の女性の臨床心理学者スズキと面談したが、戦場はこれまでとは違うことは認識していたが、特にこれまでと違うストレスは感じなかったことを説明した。スズキはヒュウのその精神のありように興味を持ったようであった。セレナクイーンの使節団に随行しているジャーナリスト、マリア・フランシスはセレナクイーンとグランドルークを頻繁に行き来して精力的に取材していた。彼女もまたヒュウに興味津々であった。しかしあまりまとわり付くとヒュウが拒否反応を示すことから、まず外堀から埋めていく作戦に出たようである。マエジマやセンディア、モントといった長い付き合いのある同僚やアバロン、メディック、エル、オルフィスといったパイロット仲間にヒュウについて聞いて回ったのである。彼女は後にヒュウの信頼を得て口述筆記で彼の半生をドキュメンタリー本として出版している。ただしそれはヒュウの死後のことである。エルメスとしてはマリアのようなセックスアピールの強い女性に艦内をうろついて欲しくなかったが、軍上層部からのお墨付きがあるため受け入れるしかなかった。もちろん彼女のIDで入れるのは生活スペースのみに限定されているが。ヒュウは待機中は自室にいるか、トレーニングジムにいるか、PSのそばにいることが多かった。PSのそばにいるときはマリアから逃れることができるので、もっぱら自機のメンテナンスに余念がなかった。第一戦橋のPSメンテナンスベースは重力制御により0.2Gの重力がかかっている。これはメンテナンスに都合がよいからである。一見無重力の方が便利だと思われがちであるが、無重力ではダンパーオイルなどの液体の扱いが難しく、また小さな部品が漂って所在不明になることがあった。ある程度重力があった方がメンテがしやすいという判断である。ヒュウはこの二年で学ぶ楽しさを知り、基礎学習からPSのメンテまで知識を乾燥したスポンジのように吸収して日常的なメンテナンスであればこなせるようになっていた。知識を得ることは視野が広がり、PSの性能と限界を知り、より効率的に操縦できる。それが楽しかった。
グランドルークとセレナクイーンは二次加速に移った。地球は遠ざかり既に豆粒ほどにしか見えない。ここでセリアムは大胆な手を打ってきた。加速中のグランドルークに対して正面からの攻撃を仕掛けてきたのである。突如としてゴルゴスはグランドルークの進行方向100キロの位置に出現し、主砲を発射しながら突撃してきたのである。機動兵器の展開はなしで、純粋に艦砲のみでの攻撃であった。僚艦であるミハイロフとミハイロヴナの姿はない。慌てたのはグランドルークである。別軌道でやや後方にいたはずのゴルゴスが前方から現れたのである。まるで幽霊であった。それでもセレナクイーンを後方に移動させ、前方の応力フィールドにエネルギーを集中させて主砲だけで対応する戦術に出た。応力フィールドは外から入ってくる慣性エネルギーを持った物体をフィールド外にはじき出す性質を持っている。これを応用すると応力フィールド内から発射したビームは逆に加速されることになる。強力な守りと攻撃を同時に達成できるのである。もちろんゴルゴス側も分かっているので、勝負は操舵手と砲手の腕であった。ほぼ同じ性能の大砲をもつグランドルークとゴルゴスであったが、大きな違いがあった。ゴルゴスの大砲は一門、グランドルークは二門、エネルギーチャージの時間を考えると、二門を交互に発射できるグランドルークの方が有利であった。しかし前面投影面積はスリムなゴルゴスの方が遥かに少ない。正面対正面の打ち合いでこれは大きなアドバンテージである。あたらなければ意味がないのである。しかもセリアムはここで決着をつけるべく奥の手を使う覚悟であった。両艦のビームが必殺の威力を帯びる距離に近づいた。巧みな操艦と砲撃の連携の中でどちらもかろうじて応力フィールドでしのいでいる状況であった。その時ゴルゴスの砲撃が大きくそれた、と思われたがビームの軌道は大きく曲がりグランドルークの左のメインエンジンの外部装甲を突き破った。応力フィールドのエネルギーを前方に集中していたため、ほぼむき出しのエンジンに直撃を食ったのである。もちろん、メインエンジンは厚い装甲に守られているため一撃で破壊にはいたらないがエンジン出力が下がり、重力制御による加速中であるにもかかわらず必要な出力が得られず加速が鈍る結果となった。後方に控えていたセレナクイーンは加速を同調させていたので、危うくグランドルークに追突しかけたが、自動装置が働き加速を抑えたのである。アタラクシアで研究が進んでいた曲射砲の一撃である。二年前よりも出力も精度も上がっていた。それでもやはり威力が落ちるため、直撃であるにもかかわらずグランドルークに致命傷を与えられなかった。しかしグランドルーク側はこれで応力フィールドを前面だけに展開するわけにはいかなくなった。しかしエルメスはあえてフィールド強度の配分を変えず、そのままとしたのである。相変わらずゴルゴスの主砲ビームを前面の応力フィールドではじくグランドルークの様子をみて、セリアムは苦笑した。曲射砲を使う場合、その曲率が緩やかな方がエネルギーロスが少なく威力が落ちない。しかし両艦の距離が近づくことにより、曲げて当てるには曲率を上げるしかない。既に曲射砲の限界曲率でも当てるのが難しい状況であった。敵指揮官の潔さに再び舌を巻くしかなかった。それでも戦果はあった。グランドルークとセレナクイーンの惑星間航行の二次加速に影響を与えたのである。既に二艦は当初のコースから外れつつある。これをリカバリーするには時間がかかるはずであった。
グランドルークとゴルゴスはすれ違った。グランドルークの加速が鈍っているとは言え、相当な相対速度があり、すれ違いは一瞬であった。ところがそのすれ違いの一瞬にグランドルークの艦側面にある副砲の一撃がゴルゴスを捕らえた。副砲とは言え、これまでの戦艦の主砲クラスの威力がある。またゴルゴスも後方側面の応力フィールド展開はゼロに等しかった。相対速度が大きかったのでビームはゴルゴスの左側面をなぞるように照射され、外部装甲を溶かし一部は内部装甲にまで達したのである。主砲射手のシジム・サムジンが咄嗟に副砲のコントロールに切り替えて、ほぼ目測で発射した一撃であり達人技といえた。この一撃がゴルゴスの今後の作戦行動に大きな影響を与えることになる。ゴルゴスはこの後、追ってくる僚艦と合流するのであるが、特務艦の特殊機能を運用するには、ゴルゴスの艦体修理が必要となるのである。特務艦の特殊機能、それはスペースリープと呼ばれる空間跳躍航法であった。ミハイロフとミハイロヴナはそれぞれ大規模なMBジェネレータを装備しており、しかもその中のマイクロブラックホールを二艦の間で相互作用させながら回転運動させることで特異点をブラックホールの外にむき出しにして、そこに速度と角度を調節して突入することで、一瞬にして数万キロを移動できる航法である。研究が進めば将来は数光年を一気に空間跳躍できると予測されており、そうなれば人類の大きな飛躍が約束される。本来戦争などに使うのはタブーとされるべき技術であった。しかしMBジェネレータが開発された当初からエリオット・ルークはこの構想を持っており、論文も発表していた。というより元々この空間跳躍を実現するための研究からMBジェネレータは生まれたといえる。そのためアタラクシアだけでなく世界中でこの可能性は常に検討され続けており、実現に向けた理論も次々とブラッシュアップされているのが現実である。アタラクシアではこの数年間実証実験が繰り返されており、月の裏側でその実験による重力異常が連合側でも測定されていた。最初は無人艦で、動物実験を経て人間で終に成功したのである。実のところゴルゴスがリープするのはこれが始めてではない。これまでも数回ミハイロフとミハイロヴナとの連携でリープの検証は実施している。グランドルークでもゴルゴスが突然前方に出現した事態を受けて、重力波センサーの記録を確認したところ、後方のゴルゴスがいた辺りと、前方に出現した辺りに重力異常を検知していたことが確認できた。グランドルークの戦術コンピュータのAIはこれをスペースリープによる奇襲であると断じたのである。セリアムにしてみればスペースリープと曲射砲の二つの秘密兵器を駆使した奇襲でったあったにもかかわらず、グランドルークを仕留めそこなったのは痛かった。これからは重力波センサーによる早期警戒網がはられることは確実であり、奇襲が成功する可能性は低くなる。セリアムは本来であればグランドルークとセレナクイーンの間にリープしたかったのであるが、まだ出現ポイントに数キロから数十キロの誤差が発生するため、危険は犯せなかった。そして外部装甲に穴が開いた状態でのリープはまだ検証されていないため、修理が終わるまでスペースリープは使えない。セリアムはいっそのことスペースリープというまだ未成熟な技術に頼るのはやめて、純粋にゴルゴスの性能でグランドルークに追いつき戦いを挑むことにした。幸いグランドルークの左エンジンを破損させ加速を邪魔したおかげでグランドルーク側も修理と軌道の再計算が必要となり、その足は鈍かった。ここは艦の修理をしつつ通常航行で追いつくのが得策と考えたのである。
この航海におけるグランドルークとゴルゴスの戦闘においてセリアムは度々後手に回っており、いたずらに部隊の損耗を招いているように見える。これは初の惑星間航行時の戦闘であること、グランドルークの性能が高いこと、エルメスの手腕、そしてセレナクイーンの存在という要素をあわせると無理からぬ状況であった。
これから互いの軌道が近接するまでの約二週間の間、グランドルークとゴルゴスの間に戦端は開かれなかった。外宇宙には障害物が少なく、光学観測や重力波観測により敵の位置と予想進路が手に取るようにわかる。いつ交戦状態に入るのかがある程度予想がつくのである。ただしグランドルーク側には予想不能な要素があった。ゴルゴスのスペースリープである。ゴルゴスが現在スペースリープできる状態ではないなどとは知りようがないため、いつゴルゴスが近傍空間に飛び出してくるか、警戒を怠るわけにはいかなかった。
戦闘がない期間、ヒュウは臨床心理学者のスズキと話す機会が多かった。初老の柔らかな物腰のスズキとしゃべっているうちに、自分でも思ってもみなかった自身の感情に気づくこともあった。そういう発見があった後は、心が少し軽くなったような気がしたものである。話すと楽になるといううわさが広がり、他の乗組員にもスズキの人気は高かった。これは後に判明することなのだが、このスズキは実は12セイバーズの臨床心理学者中森和沙その人であった。12セイバース最年少であり、現在 60 代であるが、偽名を使い乗り込んでいたのである。もちろん軍上層部の要請によりこの航海に参加しているのである。史上初の宇宙戦艦による惑星間航行と戦闘によるストレスを研究することと、乗組員へのケアのため、そして実のところABC訪問団の隠し玉としての役割もあった。ランサーでは役者不足な場面があった場合、中森が補佐するのである。中森の正体を知っているのは、エルメスとエリカ、船医のナトリ、そしてランサーだけであった。ヒュウはこの船医のナトリについて気になる点があった。見覚えがある、そう感じたのである。しかしオーベルトのスラムから謎の施設を経由して直接アームストロングベースに移ったヒュウには会う機会が限られていた。そこまで考えた時に気づいた。あのスラムを偽造書類で脱した後、連合の入隊受付窓口まで偽造屋の車で送られた。オフィスで待つこと小一時間。偽造屋に買ってもらったハンバーガーとコーラの始めての味に感動していると、女性がヒュウを連れにきたのである。その女性は自分は連合の従軍予備訓練施設の職員であり、これからしばらくその施設で軍に入る準備をしてもらうことを告げられたのである。それを疑うだけの知識がないヒュウはそのまま連れて行かれ、半年間その施設で医療検査を受けながら最低限の教養と体力を身につけさせられるのであるが、その迎えに来た女性がナトリであったように思われた。その女性はその後も何度かヒュウと接触するが、名前などは一切告げられず、また心の交流などもなくきわめて事務的な態度であった。もしあの女性とナトリが同一人物であるのなら、単に配置転換で来たのであろうか。それともヒュウに何か含む点があるのだろうか。そこまで考えて、まさか、と思った。自分は一パイロットであり別にVIPではない。自分を目的にする人物などいないと考え直したものである。このヒュウの考えは半分正しい。ナトリは単に軍の人事によりグランドルークに配属されたのであり、そこにヒュウがいたのは偶然である。しかしナトリとしてはその偶然が大きな意味を持つのであった。確かにナトリはヒュウが考えていた人物その人であった。ヒュウが入隊前に半年間いたオーベルトの謎の施設は、実は人体実験に関わる黒いうわさがあるところで、ナトリは軍から派遣されてそこで数年勤務していた時に被験者としてヒュウに出会っている。ではどのような実験をしていたのか。別に人体を切り刻んだりはしていない。高分子科学の権威アルフレッド・ノーラン博士が軍に提案した「高重力加速度環境下の脳組織保護を目的とした高分子化合物の実験」が目的である。脳は髄膜と呼ばれる3層の膜、すなわち軟膜・クモ膜・硬膜に覆われている。軟膜は脳に密着しているがクモ膜は少し離れており、軟膜との間にクモ膜下腔という空間を残している。クモ膜下腔は脳脊髄液で満たされている。この脳脊髄液と脳のグリア細胞部分に高分子化合物を浸透させることで、一定以上の重力加速度が急激に加わった際に一瞬で分子構造が変化し、脳の神経系へのショックを吸収することで脳震盪を抑えることが目的であった。機動兵器のパーツとして最も脆弱なのは人間であり、その人間の中で最もGに弱い部分は脳である。この脳の耐G性を増すことで、PSや戦闘機の本来の機動性を発揮できるはずであった。被験者はヒュウを含め30人ほどおり、すべて違法な方法で連合軍への入隊書類をごまかしている、いわゆる「サバ」であり、もし実験が失敗して死亡した場合でもその事実は闇に葬られる運命にあった。幸い脳組織への分子化合物の注入後、死亡した例はなく全員連合軍に入隊した。全員PSのパイロットとして実戦に投入されている。現在生き残っているのは13人で、ヒュウを除いて際立った活躍をしているものはいない。件の施設は内部告発により連合政府に実情が知られ、非人道的と判断されて内々に閉鎖され、ノーラン博士は別件逮捕されて現在投獄されている(はずであった)。ナトリはかつてノーラン博士の助手として働いていたが、罪には問われなかった。そしてヒュウとの偶然の再会から、連合のエースたりえているのがノーラン・メソッドの施術の効果なのかを確認したいと考えていた。ただこの秘密をヒュウが知るのはもう少し後になる。




