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この目に映るのは  作者: 琢都
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第4話

「マフィンだと色んなバリエーションが作れるし、後々季節ごとに味を変えていくっていうのもいいかもしれないね」

「そうですね。あと、これならテイクアウト用を作ってみるのはどうですか?」

「おぉ。それいいね」

 焼き上がったばかりのマフィンを久瀬と一緒に試食していた。デザートメニューを増やすといったものの、どの程度のものであれば無理なく作ることができるのか。材料費の面も鑑みて試した結果、辿り着いたのが焼き菓子だった。その中でもマフィンであれば工程が少ないながらも、バリエーションも豊富に作れるということで、久瀬と意見が一致した。当面の間はオーソドックスなプレーンとチョコレートの二種類を用意することで計画も立てた。あとは商品として提供できるようにクオリティーを上げなければならない。

 打ち合わせを終え、久瀬とともに店を出た。

 夜の十時を回っても学生の街は賑やかだ。特にこの辺りは飲食店が密集していて、昼間とはまた違った派手な眩さを放っていた。春先は歓迎会と称した飲み会が盛んで、ゴールデンウィークを過ぎた今でも、騒ぎ足りない集団を見かける。

 自分も久瀬も最寄り駅から一駅、二駅離れた所に住んでいる。駅へと足を向けたところ、正面に早乙女の姿が見えた。スーツ姿の男を抱えていて、足元がおぼついていない様子からして酔っ払いのようだ。

「あちゃー」

 隣の久瀬がそう声を上げて彼らの元へ向かっていくのを見て、「まさか」と後を追う。

「またか」

「今日は特に酷かった」

「大丈夫か、望」

 久瀬が覗き込むものの、力無く項垂れたままぴくりともしない。文字通り泥酔していた。学生時代、こうやって抱えられている奴をよく見たなと思い出す。

「うぅ……」

 苦しそうに呻き声を漏らす。いつも店で会う時はラフな私服姿でとにかく愛嬌に溢れていた。それが少しばかり着崩れたスーツを纏った今の姿は真逆でくたびれて見えた。何だか別人のようで、ついまじまじと見てしまう。

 そんな視線に気付いたのか、溜め息とともに久瀬は告げた。

「今日さ、コイツ、誕生日なんだよ」

 投げやりな物言いとは裏腹に、彼を見つめる目は温かい。

「で、そんな日に独りは寂しいからって付き合わされたんだろ」

 久瀬の言葉に早乙女は大仰に肩を竦めてみせた。

「……おい、寝るなよ」

 重みが増したのか、不意に早乙女が声をかけた。ビジネスバッグを片手に、酔っ払いの体を抱え直す。

 すると、ぴくりとも動かなかった体がようやく身じろいだ。むくりと顔を上げ、重い瞼を持ち上げる。

「んんー…………あれぇ……大輔?」

 目を擦り、何度か瞬きを繰り返す。それでも姿が消えないため、幻ではないと気付いたらしい。

「うおー、本当にいる……! 何してるの?」

「お前の方が何してるんだよ。そんなに呑んで」

「いいだろー。今日くらい、好きにしたってさー……って、坂本君じゃん……!」

 朧気な男の目が見開かれる。いつにも増して上機嫌に笑ったかと思えば、急にまじまじとこちらを見つめてきた。

「何ですか?」

「……私服姿とか、レア過ぎる……」

「は?」

 アルコールで熱っぽい眼差しが、心なしか輝いているように見える。

 勤務中は白のワイシャツに黒のパンツ姿で、今はその上にカーキのデニムジャケットを羽織っているだけだ。何の変哲も無い。

「酔っ払いの戯れ言だから、聞き流しといて」

 そう告げたのは早乙女だった。フォローするような物言いが意外で、些か驚いてしまった。

 久瀬は隣で胸を撫で下ろす。

「なんだ。そんなこと言えるなら大丈夫だな。気を付けて帰れよ」

「えー、帰るのかよー」

 どうやら二人は早乙女の家に向かう途中だったらしい。一緒に来いという誘いに、久瀬は耳を貸そうとしない。

「へいへい、じゃぁなー」

 行こう。久瀬がこちらを振り返った。別れの挨拶をと、俺は口を開いた。

「それじゃぁ……あと、今日、誕生日なんですよね。おめでとうございます」

 話を聞いたところだったし、お祝いを伝えるのも礼儀だと単純に思った。しかしながら、どういうわけか立花の目がみるみる潤んでいく。

「の、望? どうしたんだよ」

「う、うぅ…………っ」

「どうした」

 誰一人としてこの事態を予想しておらず、自分だけでなく久瀬も早乙女も目を瞠る。状況を見守ることしかできないでいると、ついに立花は声を上げて泣き出してしまった。

「……嬉しいっ……すげぇ嬉しいぃ……! 坂本君に『おめでとう』って、言ってもらえた……っ!」

 支えていた早乙女に自らしがみつき、その胸に顔を埋めてわんわんと泣く。

 酔っ払いの勢いにしばし呆然としていたが、通行人の注目を徐々に集め出すと居たたまれなくなってきた。久瀬も困惑していて、早乙女に至っても日頃のポーカーフェイスが珍しく崩れてしまっていた。困り果てながらも邪険にすることなく、相手のさせたいようにさせていた。やはり心根は優しいのだろうか。

 それにしても、ただ「おめでとう」と言っただけで、ここまで大泣きするものなのか。酔いのせいでリアクションもオーバーになっているだけなのか。何かの引き金を引いてしまったとして、その原因がわからなくて声をかけられずにいた。

 すると早乙女が尋ねてきた。

「大輔。そいつ、一日望に貸してやってよ」

「坂本君を?」

 二人の目がこちらに向いた。何を意味しているのかよくわからないが、自分が物扱いされていることに対しては不愉快だった。眉を寄せると、久瀬はさらに困り果ててしばし思案する。

「……うーん……。そうだな……。坂本君、良かったらちょっと望に付き合ってやってくれない?」

「俺が、ですか?」

 一体どうしろというのか。今ひとつ何を言われているのかわからない。

「一緒にちょっと出掛けたり、ご飯食べに行ったりとか。そんなのでいいんだけど、どう?」

「それは、別にいいですけど……でも何で俺なんですか?」

 自分と立花は店員と客で、ただの顔見知りでしかない。その役目が果たして自分には務まるのだろうか。

「あー。それは」

「そうすれば、とりあえず泣き止むから」

 久瀬の代わりに早乙女が答えるものの、答えになっていない。

 二人の友人ということもあるけれど、立花には写真のことでも特に気に掛けてもらっている。一日付き合うくらいのことであれば、断る理由も特にない。

「……わかりました。俺で良ければ」

「ほら。付き合ってくれるってよ」

 少しばかり落ち着きを取り戻した男の背を、早乙女が軽く叩く。何ひとつ聞いていなかった相手がこちらを振り向いた。

「うぅ……っ。何て……?」

「立花さん、俺とどこか出掛けますか?」

 今し方しゃくり上げていたのが嘘のようにピタリと止まった。ある意味、正しく泣き止んだ。丸い目をさらに丸くして、まるで信じられないものでも見ているかのようだった。

 またしても予想に反した反応で、思わず身構えた次の瞬間、彼は急に口元を押さえて屈み込んでしまった。

「望っ?」

 早乙女が慌てて彼の体を支える。自分と久瀬も驚き、覗き込むように相手の様子を確認する。

「望、どうした? 大丈夫か?」

「ウッ…………、……気持ち、悪い…………」

 呑気に話をしている場合ではなくなった。苦しげに呻く男を早乙女が抱えて何とか立ち上がらせる。久瀬の提案で隠れ家へと運び込み、しばらく休ませることにした。

 店に入ると、立花はそのままトイレへと直行して行った。その間、横になれるようにと椅子を並べて用意する。たどたどしい足取りで戻ってきた彼は水を飲んだところで力尽き、横たわった。

「坂本君、本当にごめんね。面倒なことに巻き込んで」

「いえ、俺は全然。寧ろ、なんかすみません……」

 偶然が重なっただけだったのかもしれない。けれど、自分が何かをしてしまったような気がしてならない。

「坂本君は何も悪くないよ。ちょっと寝かせてから帰るから、坂本君は先に帰って。ゆっくり休んで」

「でも」

「アイツなら大丈夫。こういうのしょっちゅうだから。だから呑みすぎるなって言ってるのに」

 ちゃんと残業代出すからね。久瀬はそんな冗談も口にする。本当によくあることなのだろう。

 後ろ髪を引かれる思いで、俺は一足先に店を後にした。




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