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この目に映るのは  作者: 琢都
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第3話

 ランチの時間帯も過ぎ、客足も落ち着いてきた。不足している食材を買い足すため、近くの商店街へと向かった。

 先に訪ねたのはコーヒー豆の専門店だ。自家焙煎もしているこの店には先代からオリジナルのブレンドを作ってもらっている。

 中へ入ると、小柄な青年が出迎えてくれた。一年ほど前から高齢の店主に代わり孫が引き継ぎ、営業を続けていた。

「あぁ、坂本さん。お久し振りです。お待ちしてました。すぐにご用意しますね」

 穏やかでどことなく品を感じる人だ。

 店の奥へと消えていった彼を待っている間、何ともなしに辺りを眺める。建物自体は老朽化の問題もあって改装しているが、店内の備品は所々昔のものをそのまま使用していた。一見レトロなインテリアの数々だが、そこには受け継いだ思いが散りばめられている。

 代金と引き換えに商品を受け取ると、やけに重みを感じる。袋の中を確認すれば注文していた数よりも多いように見受けられる。

「注文した数より多くないですか?」

「久瀬さんにはいつもお世話になっているので、そのお礼ということで受け取って下さい」

 相手は穏やかに微笑んだ。聞けば、引退した店主の自宅が近くにあるようで、久瀬は時折顔を見に行っているらしい。

「独り身なので、久瀬さんが話し相手になって下さってとても喜んでるんです。本当は直接久瀬さんにお渡ししたいところなんですが、いつも上手くはぐらかされてしまって。こういう形で恐縮なのですが……」

 確かにあの人の話術は巧みだ。おっとりとした彼の申し出をさらりとすり替えている様が容易く想像できる。

「わかりました。久瀬さんにはそのように伝えますので」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる彼にこちらも一礼を返し、店を後にした。

 途中スーパーマーケットにも立ち寄ってから、今度は懇意にしている青果店へと向かう。

 果物と野菜を必要分伝えたのだが、ここでもその個数以上の物が袋へ詰められていく。

 慌てて声を掛けると、店主の奥さんはからりと笑った。

「どうせ久瀬君のことだから、大盤振る舞いしちゃってるんでしょ? いいからもらっていって」

「本当にすみません。いつもありがとうございます」

 もう何度目になるだろうか。実を言えば、これが初めてではない。彼女も久瀬に負けず劣らずの世話好きで、時折こうして気に掛けてくれる。他にも品定めから調理法、保存法、無駄なく使い切る工夫など、飲食店を営んでいる事情を知ってアドバイスをくれる。どれだけ感謝してもしきれない人だ。

「何てお礼を言っていいか」

「いいの、いいの。坂本君みたいなイケメンが来てくれると、私も目の保養になるから」

 返事に困り、戸惑いながらも笑みを浮かべた。奥さんはそんな様子すら楽しんでいるようだった。

「また友達連れてお店に行くから」

「はい、是非。久瀬さんと一緒にお待ちしてます」

「あらー! やだ、もうっ!」

 何にテンションが上がったのか、思いきり肩を叩かれた。そのまま別の客に呼ばれて接客へ向かう。

 本当に清々しいほどパワフルな人だ。チェーン店のスーパーにも負けず繁盛しているのも、彼女のおかげだろう。活気に溢れる店先を見ていつも思う。

 隠れ家へと戻る道すがら、大学が近いこともあり、多くの学生とすれ違った。その中でリクルートスーツ姿の男子学生に何となく目が行った。

 自分も同じ格好をしていた時期があった。暗黙のルールを頭に叩き込み、建前ばかりを並べて話すあの空間は何とも言えない歪さがあった。

 そしてその頃、一年付き合っていた彼女から突然別れを告げられた。「思ってた感じと違うんだよね」と、もう何度目かの台詞を聞かされ、さすがに気が滅入った。

 隠れ家であの求人募集を見たのは、まさにそんな時だった。

 好条件とは言えないものの、悪くないなと思っていたら、久瀬に声を掛けられた。

『退屈そうな顔してるからさ。もっと自由に生きてみてもいいと思うよ』

 何気ない、軽い冗談にも聞こえた。それでも久瀬の人となりが十二分に感じられた。

 この人と一緒に働いてみたい。胸の内で渦巻いていたものが一気に吹き飛んだ瞬間だった。

 頼んだコーヒーとナポリタンを一時間以上かけて食べ終え、決意を固める。

 会計を済ませたその場で彼に尋ねてみた。

『あの、俺ここで働きたいです』

『お。それは助かるよ。いつから来られる?』

『え。面接は……?』

『あぁ、そうか。一応形だけでもしておこうか』

 なんて適当な人だ。顔見知りの客とは言え、詳しい話もせずに即採用というのはいかがなものだろう。申し出ておきながら即座に撤回したくなったけど、面接を受けてからでも遅くはないだろう。そうして後日、本当に形だけの面接を経て隠れ家で働くことが決まった。

 飲食の道はこれまで無縁だった。それでもコンビニでのアルバイト経験が接客に活かせているし、一人暮らしで自炊もそれなりにしていたおかげで最低限の調理もできた。あとはひたすら経験を積むだけだ。

 そして何より、久瀬をはじめとした、人との繋がりがとても新鮮だった。

 何気なく目を遣った先で立花の姿を見つけた。相手もこちらに気付き、人懐っこい笑顔を浮かべる。

「こんにちはー。これから俊介捕まえて、店に行こうと思ってたんだ」

 その手にはスマートフォンが握られていた。連絡を取っている最中なのかもしれない。

 立花は有休を使って、平日でも時々店を訪れることがあった。本当に仲が良いんだなと、つくづく実感する。

「坂本君は、買い出し?」

 両手に提げた袋を見て尋ねてくる。そうだと返せば「お疲れさま」と労いの言葉をもらってしまった。

 それにしても、気のせいだろうか。彼の笑顔がいつにも増して嬉しそうだ。見るからに上機嫌で、訊かずにはいられなかった。

「何か良いことでもありましたか?」

「え? 何で?」

「何だか嬉しそうな顔をしてるので」

「あっ、そう?」

 立花は緩んだ頬を両手で押し上げたが、手を離せばまた一段と頬が緩んでいく。

「そうだな。こんな所で偶然坂本君に会えたからかもしれない。ラッキーだなって」

「はぁ……」

 彼のことだ。本心から思っていることを素直に言葉にしただけなのだろう。けれど、聞いている分には色男の口説き文句でしかない。どう反応していいのかわからず、こちらも素直に困り果てた。それでも彼はへらりと陽気な笑みを浮かべていた。

「じゃぁ、また後でね」

 親しげに手を振ってくれる相手に頭を下げ、そのまま別れる。

 隠れ家で働くようになり、たくさんの人と出会ってきた。その中でも立花はとても印象的な人だ。

 初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えている。

 その日も立花は早乙女と一緒に店を訪れていた。食事の最中、ふと彼の目が壁に飾られた写真を見た。郊外の緑地公園へと足を延ばして撮ってきたものだった。木を真下から見上げた構図で、葉の間から差し込む陽の光の加減を調整するのに苦労した。

『綺麗な写真だね』

 立花がそう問い掛けると、久瀬は誇らしげに俺の名前を出して話し始めた。まるで息子の自慢をする親馬鹿な父親のようだった。立花が感心しきった様子で俺を見つめてくるので、とにかく気恥ずかしくて堪らなかった。

 その後、会計を済ませた立花が声をかけてきた。

『あの写真、すごく綺麗だね』

『ありがとうございます』

 その頃はまだお世辞だと決めつけて、ただ礼を述べていた。

『……俺、本気でそう思ってるよ』

 こちらの心情を見透かしたように、相手は苦く笑う。

『鮮やかで、光輝いてて、吸い込まれそうな感じ……』

 立花は写真を見つめながら、しみじみとそう告げた。後にも先にも、これ以上の言葉をかけてもらったことはない。久瀬とはまた違った意味で、彼の称賛は身に余るものがあった。

『俺、好きだな。ああいう写真』

 澄んだ目をしていた。その目に見つめられると、自分の中の軽薄な部分が暴かれてしまいそうだった。

 今し方の態度を猛省し、しっかりと彼の目を見据えた。

『ありがとうございます。撮るのに苦労したので、そう言ってもらえて嬉しいです』

 立花が嬉しそうに眦を下げる。

『また、写真見に来るね』

 やんわりと頬を緩めた。屈託のない表情はとても豊かで、思わず目を奪われた。「笑顔がよく似合う」とはまさに彼のような人を言うにちがいない。そう思えるほど自然で、好感が持てた。

 立花はそれから写真を飾る度に声をかけてくれた。「いい写真だね」と何気ない言葉でも、不思議とモチベーションは上がった。

 雑居ビルの前まで戻ってきて、建物内へと続く薄暗い階段を見上げる。

 まさか自分がカフェで働くことになるとは、夢にも思っていなかった。半ば勢いではあったけれど、それでもあの時、久瀬に声をかけて本当に良かった。

 この場所を長く残していきたい。久瀬や立花や、たくさんの人達との出会いがそんな思いを芽生えさせていた。

「まずはもらった厚意をちゃんと返さないと」

 両手から伝わる重みに感謝しながら、一段一段踏み締めるように階段を上っていった。




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