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この目に映るのは  作者: 琢都
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第2話

 十八時を過ぎ、一日の営業を終えた。表に出てドアに掲げている札を裏返し、「クローズ」にする。

 久瀬はカウンター内を、自分はフロアの片付けに取りかかる。テーブルに椅子を掛け、掃き掃除をしているところに久瀬が声をかけてきた。

「そう、そう。前に話してたメニューのことなんだけど、女性のお客さんをもう少し定着させるためにも、デザートの品数をもう一品、二品増やそうかと思うんだ。どう思う?」

「そうですね。俺もそっちの路線の方がいいと思います」

 隠れ家のメニューは「手間暇を惜しまない」といった本格志向ではなく、「美味しいものを安く提供したい」をモットーに、種類もそれほど多くない。大学に近い立地と、久瀬の先代からの意向らしい。

 久瀬は会社勤めを経て、この店を引き継いでいた。

 料理はできるが、得意かと言われればそうでもない。飲食店に勤務した経験もなく、先代からの教えと独学でこなしている。そんな話を聞いた時は心底驚いた。それほどに、カフェオーナーとしての久瀬の仕事振りは完璧だった。

 彼も、そして自分自身も元を辿れば、この隠れ家の客だった。さらに言えば、同じ大学に通っていた先輩後輩の間柄でもあった。

 久瀬は大学在学中、立花や早乙女と共にこの隠れ家に通っていたそうだ。卒業後も時間を見つけては一人で訪れていたところ、先代から店を畳む予定であると聞かされた。

 先代には懇意にしてもらい、店に対する思い入れも強かった。寂しく思うあまり、彼はついに勤めていた会社を辞め、店を引き継ぐことにしたのだという。

 立花を始め、友人の協力を得ながら、しばらくの間は一人で店を切り盛りしていた。けれど、先を考えるとやはり共に働く仲間が必要になってきた。せっかくなら、この隠れ家を気に入ってくれている人と働きたい。彼はそうして手書きの求人募集を店内に張り出した。

 それを目にした自分は当時就職活動中だった。息抜きのために隠れ家へ立ち寄り、張り出されていた募集案内を何ともなしに眺めていた。

『興味ある?』

 久瀬は注文したナポリタンを配膳しながら、そう尋ねてきた。気さくな彼とはこれまでにも何度か言葉を交わしていた。

『そこまで刺激的な仕事でもないけど、でも、退屈はしないと思うよ』

 どうしてそんな誘い方をするのか。訝しげに相手の顔を見遣ったら、ふっと笑みを浮かべた。

『退屈そうな顔してるからさ。もっと自由に生きてみてもいいと思うよ』

 肩を軽く叩かれた瞬間、まるで憑きものが取れたかのように自分の体が軽くなった。

「いやー、坂本君がウチで働いてくれたら女性客も増えるだろうなぁとは思ってたけど、予想以上だね」

「……そんな理由で声かけたんですか……」

 大学を卒業後、隠れ家で働き始めて一年が経った。自分にとっては記憶に残るほどの出来事だったが、久瀬にとっては戦略に基づいた勧誘だったのか。

 せっかくの思い出が冷めてしまいそうだ。恨めしい視線を送れば、久瀬は困ったように笑う。

「冗談だよ。声をかけたのは、本当に退屈そうに見えたんだ」

「そんなに顔に出てましたか?」

「顔っていうより、雰囲気かなぁ。窮屈そうで、つまらなさそうな顔してたから、つい声かけちゃったんだよね」

 確かに、あの頃の自分は周りが酷く退屈なものに見えていた。苦い記憶が蘇りそうになるのを、久瀬の問い掛けが遮った。

「どう? ここで働いてみて。退屈はしてない?」

『もっと自由に生きてみてもいいと思うよ』

 久瀬はあの時と同じように、何とも軽い調子で尋ねてくる。言葉も、態度も何ひとつ気取ったところはなく、それでいて男の懐の深さを感じる。

 彼のこの人柄を多くの人が慕っている。自分もその内の一人だけど、口にすれば調子に乗るのが目に見えているので決してしない。

「そうですね。日々勉強させてもらってます。過剰なサービスをいかに抑えて、利益を上げていくにはどうするべきか。目下の課題です」

「おぉ。やっぱり俺より経営者に向いてるよ。ますます隠れ家は安泰だ」

 はっはっはっ、と得意気に笑う久瀬を見て思わず溜め息を零した。

「小さい店だし、前のオーナーも一人でやってたから『何とかなるかな』なんて思ってたけど、やっぱり坂本君がいてくれて良かったよ」

「なんですか。改まって」

「こういう言葉は伝えられる時にちゃんと伝えておくものなんだよ。相手が大事な人であればあるほど、なおさらちゃんと言っておかないと。って、先代のオーナーからの教えなんだけどね」

 相手は気恥ずかしそうに頬をかいた。

「とりあえずメニューの候補はある程度絞ってるから、試作品を作りながら選んでいこうか」

「ちゃんと売上の出るものがいいんですけど」

「坂本君はしっかりしてるねぇ」

 これだけ直球で言ってみても、久瀬の返しはどこまでも軽やかだった。

「あぁ、そうだ。あと、そろそろ写真も頼むね」

 久瀬が部屋の一角に目を遣る。額縁に入れて飾られた写真は満開の桜並木を映したものだ。時期を見計らい、名所を訪ねて俺が撮影したものだった。

「わかりました」

 大学時代、友人の影響で写真を撮り始め、今ではすっかり趣味になっていた。時間ができれば風景写真を撮りに、ふらりと出掛けている。

 隠れ家で働き始めた頃、そんな話を久瀬にしていた時のことだ。

『へぇ、写真撮ってるんだ。いいね、見てみたいな』

 よくある話の流れだった。軽い気持ちでスマホに残しておいた写真を見せると、彼は大袈裟に褒めちぎり、ある提案をした。

『ちょうど良かった。前々からあそこの壁に何か飾ろうかと思ってたんだよ。坂本君、何か写真撮って来てくれない? 』

『俺が、ですか? 店に飾るような写真なんて撮ったことないんですけど』

『難しく考えなくていいって。坂本君のセンスを気に入ったんだから。これから夏も始まるし、爽やかなものがいいな。どう? 頼まれてくれない?』

 自分の写真を相当気に入ってくれたようで、声音も弾む。仕事として対価もしっかり払うからと押しに押されてしまい、結局引き受けてしまった。

 以来、隠れ家のインテリアに写真を添えることも仕事のひとつとなった。今まで気の向くままにレンズを向けていたのが、目的を持って撮る必要が出てきた。プレッシャーやストレスが無かったわけではないけれど、久瀬や、店を訪れる客が写真を見て声を掛けてくれるようになったのだ。撮影者としては褒め言葉を聞けるだけで十分だったが、久瀬はわざわざ俺の名前を出して嬉しそうに自慢した。

 良い写真だと声をかけてもらう度、「もっと良いものを撮りたい」という気持ちが強くなっていった。本やインターネットで撮影手法を調べては試しながら、隠れ家の雰囲気をより引き立てる一枚が撮れないか奮闘している。

 桜の時期を過ぎれば、次は新緑の季節だ。やっぱり青々とした緑の画がいいだろうか。頭の片隅で考えながら、俺は閉店作業を急いだ。




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