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この目に映るのは  作者: 琢都
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第11話

「マフィン、美味しかったです」

 会計を終えると、桃井がそう話しかけてきた。お釣りを手渡しながら、必死に記憶を呼び起こす。

「あ、試食でもらったものです」

 言葉が足りなくてすみません。謝る彼女に、こちらも平謝りした。すっかり頭から抜け落ちていた。

「お口に合いましたか?」

「はい。甘さが控えめで食べやすかったです。それで、講義の合間に食べていて思ったんですけど、テイクアウトとかしてもらえると嬉しいかなって」

「そうですか。良かった。一応、テイクアウトの案もあるんですよ」

「そうなんですか? 嬉しいです」

 桃井の背後で、店のドアが開いた。閉店まであと十五分ほどだ。それを知らずにやって来たのだろうか。軽く確認するつもりで目を向けたが、そのまま離せなくなってしまった。

「…………」

「……こんばんはー」

 ひょっこりと顔を覗かせたのは立花だった。

「……………………」

「おぉ。久しぶりだな、望」

 驚きのあまり口もきけなくなってしまった俺に代わり、久瀬が招き入れる。

「アイスでいいか」

「悪い。ありがと」

 立花がカウンターの席へ向かうのを、片時も目を離せずに追いかけてしまう。

「それじゃぁ……新メニュー、楽しみにしてますね」

「あ、」

 しまった。桃井がまだ目の前にいたことを失念していた。向き直った時には、もう店のドアがゆっくりとしまっていくところだった。肩を落としながらも、視線はカウンターへと吸い寄せられていく。

「早かったな。仕事は片付いたのか」

「うん。やっと一息ついたとこ」

「だって。坂本君」

 久瀬の目が俺を見たかと思えば、唐突に話を振ってくる。おかげで立花までこちらを向いてきた。まだどんな顔をすればいいのかわからないというのに。

 密かに拳を握り締めると、意を決して二人の傍へと歩み寄る。

「……お久しぶりです……」

 相手の様子を窺うあまり、無愛想になってしまったかもしれない。それでも立花はふわりと微笑んだ。

「久しぶり。ごめんね。ずっと連絡くれてたのに」

「いえ……。俺の方こそ、何度もすみませんでした。…………」

 どうして突然現われたのか。メッセージの返事をくれなかったのは。それよりも、まずあの日のことを謝りたい。口を開けば、溢れてくるものが一気に流れ出てしまいそうだ。

「坂本君、この後って時間ある? よかったらご飯でも食べに行かない?」

 まるでこちらの心でも読んでいるかのようなタイミングだった。もしかして、そのために立花はやって来たのだろうか。思ってもいなかった申し出に、二つ返事で頷いた。

「はい。行きたいです」

「良かった。大輔、待たせてもらっていい?」

「どうぞ。坂本君、ぼちぼち片付けを始めようか」

 久瀬の呼びかけで取りかかるものの、つい立花の方に目がいってしまう。スマートフォンを片手にストローを啜っている姿に懐かしさを覚え、胸の内で苦笑した。

 立花はおもむろに顔を上げると、部屋の一角に飾っている写真を見遣った。数日前、森林公園の湿地エリアまで足を運び、撮影したものだ。青々とした木々の間を、木道が緩やかなカーブを描きながら伸びている。

 久瀬には話せていないが、あの写真には腑に落ちないところがあった。撮影自体は何の問題もなかったはずなのに、自宅に戻って確認してみると、どういうわけか彩度が足りていないように見えるのだ。それでも一番良いものを久瀬にも見てもらい、了承を得て飾ってはいた。

「………………」

 立花は珍しく思案するように眺めていた。あまりもまじまじと見ているため、胸がざわつく。彼の目に不出来なものとして映っていたら。持っていたほうきで同じ場所をしばらく掃き続けてしまった。

 そわそわしながら大方の作業を終えると、久瀬にも促されて店を後にする。

「ちょっと歩いた所に、美味しい小料理屋さんがあるから」

 立花の勧めで、商店街の路地裏へと入った。平屋の暖簾をくぐれば、出迎えてくれた男性が奥の座敷へと通してくれた。料理上手な奥さんの店を旦那さんが手伝っているのだと、立花は教えてくれた。

 飲み物には二人ともウーロン茶を選び、料理は立花に見繕ってもらった。

「お酒、飲まないんですか?」

 気を遣わせているのだろうか。俺の問いに、相手はふわりと視線を彷徨わせる。

「うん。……坂本君に気を付けた方がいいですよって言われてから控えてるんだ。元々あんまり強くないしね」

「そうなんですか?」

「ビール一杯でちょうどいい感じかな。二杯目になると危ないかも」

「全然じゃないですか……」

 ドリンクが届いて乾杯する。グラスに口をつけていた僅かな間に、和やかな空気は呆気なく霧散していった。二人ともそのまま口を噤んでしまう。

 立花の目がちらりとこちらを見遣り、俺もまた同じ動作で彼の様子を窺った。

「……仕事、忙しかったんですか?」

「あぁ……、うん。ちょっと立て込んでてね。ようやく落ち着いたところ」

「久瀬さんからシステム開発の部署にいるって聞いたんですけど、もしかして社内SEってやつですか?」

「そう。意外だった?」

「いや、システムエンジニアってかなり多忙なイメージがあるので」

「あー、どうだろう……基本的にはサポート業務だからね。開発も自分の会社のシステムだから、それなりに融通も利くし、そこまで仕事量が多いってわけじゃないかなぁ。ただ、システムを導入する時が大変なんだよね。トラブルが付きものだから」

「そうなんですか」

「うん。一昨日もそれで残業になっちゃったし」

「何時頃、帰れたんですか?」

「十一時前には、会社から出られたかな」

「そう、なんですか……」

 自然と相槌のトーンが下がる。久瀬は何度も「立花は仕事が忙しいのではないか」と言っていた。それを自分は全くもって信じていないどころか、むしろ疑ってすらいた。

「ま、今回はたまたまだよ。いつもはもう少し早く解決できるんだけど」

 立花がそう付け加えたところで、料理が運ばれてきた。

 盛り付けもさることながら、匂いにそそられ、途端に食欲が湧いてくる。

「肉じゃがとかブリ大根とか、久しぶりに食べました」

「俺も。染みるよねぇ。時々無性に食べたくなるんだよ」

「立花さんは料理とかするんですか?」

「時間がある時はね」

「どんなの作るんですか?」

「どんなの……生姜焼きとかハンバーグとかー、あと唐揚げ……」

「肉料理ばっかりですね」

「え? あー……確かに……」

 立花は唐揚げを摘まんで口に放り込んだ。気まずそうに大きな塊を咀嚼する。

「……彼氏が好きな料理だった、とかですか?」

 相手が盛大にむせ込んだ。おしぼりを手渡すと素直に受け取ってはくれたが、恨みがましい目に睨まれる。

「何で……?」

「男が好きそうな料理ばっかりだったんで、何となく」

「……坂本君は、そういうとこは鋭いんだね」

 恐らく嫌味を言われているのだろう。ただ、立花の人の良さが良くも悪くも出ていて、嫌味が嫌味に聞こえない。

 俺は箸を置くと、正座して居住まいを正した。

「俺、本当に鈍くて、立花さんの気持ちに全然気付けなくて無神経なことをたくさんしました。本当にすみませんでした」

 頭を下げようとする俺に、立花は両手を伸ばしてくる。

「あーっ、ごめんっ。悪い。意地悪な言い方した。……ちゃんとわかってるんだ。普通、男に好かれてるなんて思わないもんな……」

「立花さん、彼女がいたって言ってたんで……全然考えてもなくて……」

「そっか…………」

「でも、あの時『男も好きなんですか』って訊いたのは、驚いて咄嗟に出ただけで、何か意味があるわけじゃなくて」

「ありがと」

 柔和な笑みを浮かべているのに、瞳は陰りを帯びていた。俺の言葉は届いているのだろうか。

 俯き加減の相手をじっと見つめていると、重々しく口を開いた。

「…………俺、女の人も男の人も恋愛の対象なんだけど、そう言うと、たいてい遊んでるって勘違いされるんだよね」

 投げやりな物言いだった。ぼんやりとした双眸がウーロン茶の入ったグラスを眺めている。

「『どっちでもいいんだろ』みたいな感じでさ。いくら丁寧に話しても、まともに取り合ってもらえなくて……。『男も好きなの?』っていうのもよく言われてて、もう聞き慣れちゃってるんだけど……」

 自嘲しながら、口角を無理矢理持ち上げようとしている。

 どれだけ屈託なく笑うことができるか。それを知っているだけに、目の前の彼はとても歪で見ていられなかった。

「笑おうとしないで下さい」

 思わず口をついて出た。立花は目を丸くし、気の抜けた表情でこちらを見た。

「笑おうとしなくていいんで」

「……………………」

「何も考えてなかったとは言え、本当に酷いことを言いました。すみませんでした」

 改めて深々と頭を下げた。顔を上げてもなお、彼はぼんやりとしたままだ。

「……食べましょう」

「………………うん……」

 こちらの動作を真似るようにして、相手も再び箸を手にした。黙々と食べ進めていく。

 出汁の染みた大根を噛み締める。優しさが体中に染み渡るようだった。

 


 

 小料理屋を出て商店街へと戻ると、辺りは閑散としていた。

「なんか、気温も下がらなくなってきたね。もう夏か……」

 隣を歩く立花が手で顔を扇ぐ。

「立花さんの家ってここから近いんですか?」

「うーん。電車で一時間もかからないくらいかな」

「……結構遠いですね……」

 いつもそんなに時間をかけて来てくれていたのか。知らなかった。

「今日は本当にありがとうございました。話ができて良かったです」

 立花は横目で俺を見た。そしてすっと息を吸う。

「正直言うと……仕事も忙しかったけど、本当は坂本君に会うのが怖かった……」

 尻すぼみしていく声とともに、ゆっくりと俯いていく。

「話がしたいって言われて、真面目な坂本君のことだから、きっと丁重にお断りしてくれるんだろうなぁ……わざわざフラれに行くのもなぁって思ってさ。……だからメッセージも返せなかった……」

「………………」

「でも俺も、今日こうして話ができて良かったよ。あのままフェードアウトしなくて良かった」

 まるで別れの挨拶のようだった。歩みを止めず、立花はどんどん先へと行ってしまう。

「……あの」

「ん?」

「またこうやって話したりできませんか?」

「………………どういうこと……?」

「もっと立花さんと色々話をしたいです」

「…………えー……っと…………」

 戸惑う表情がそのまま固まってしまった。立ち竦み、隙だらけの相手との距離を詰めていく。

 この気持ちを上手く言い表せない。愚直な言葉ではもう伝えようがなかった。

 代わりにじっと男の双眸を見つめる。

「ダメですか?」

「………………くそっ!」

 忌々しいと表情を歪めるも、その目元はほんのり赤い。

「……イケメンって何しても許されるから、本当狡い……っ!」

 そう吠える相手を見つめながら、初めてイケメンで良かったと思えた。




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