第5話 眠れない森 1/2
冷たい冬の雨は、町を無口にさせる。
その日は、17時の鐘も重たく響いて、道ゆく人々は傘の下でうつむいていた。
ゆっくり沈んだ流れを、せかせか進む青年がいる。
「ああメリー、どこにいるんだ!」
ウェイクは必死にあたりを見まわした。
お店は早々とドアを閉め、濡れた石畳にわずかな明かりがこぼれる。うす暗い雨の通りに、輪っかのみつあみの姿はなかった。
しかたなく軒先に避難して、マントの下に声をかける。
「おい、大丈夫か。生存確認……」
「君、なにしてるの?」
唐突に呼びかけられ、彼はハッとふりむいた。
「あ、やっぱり君だった!」
カフェのドアにもたれて喜ぶのは、黒髪の美青年。
かつて、令嬢の夢を引っかきまわした奇妙な男、ヨルだ。
「な、なぜお前がここに? 俺は間違いなく覚醒しているぞ!」
「そうだね。
で、どうしたのウェイク。心臓とおしゃべりして楽しい?」
ヨルは、小粋な手つきでカップを口に運ぶ。
熱く甘くしたワインの香りがただよってきた。
よくよく見れば、夢の中では金色だった瞳が、赤ワイン色に変わっている。現実におりたった彼は、夢よりも妖しげだった。
……なんでこいつと会話しなきゃならないんだ?
ちょっと嫌そうな顔をしたウェイク。
けれど、この相手から逃げきる自信はない。おとなしく事情を話すことにした。
「俺の心臓は順調だが、こっちが問題なんだ」
マントをめくると、上着のポケットがふくらんでいる。彼は、そうっと指で押しさげた。
そこには、小さな生き物がころんと丸まっていた。
ヨルの赤い目が、興味いっぱいに開く。
「リス? かわいいね」
「森で拾ったんだ、冬眠しそこねたらしい。食べるなよ」
「食べないよぉ! ……リスっておいしい?」
おもしろがって笑った口もとに、とがった歯が見え隠れ。
ウェイクは最大限に警戒してマントを閉め、いちおう聞いてみた。
「メリーを見なかったか? こいつを助けてもらおうとしたが、留守だったんだ」
「んんん」
ヨルは、ワインを飲みつつ首を横にふる。
「そうか。じゃあな」
これにて終了。ウェイクは安心して背をむけた。
ところが、ヨルは黙らなかった。
「ねえねえ、メリーを探すより、僕に頼めば?」
「なんだって?」
「急いだ方がいいよ。小さな身体には、寒さがこたえるから」
飲みほしたカップを、ぽいっと放りなげるヨル。
ウェイクが声をあげる前に、カップは輝くランタンに姿を変えた。あまりに短い一瞬、鮮やかすぎて、魔法だと疑う隙もないくらい。
「さぁウェイク隊長、現場に急行であります! 北と南と、どっちの森?」
得意げに明かりをかかげる青年を見つめ、ウェイクは迷った。
この男、信じていいのか――
だけど、ちらっとのぞいたリスは、さっきよりぐったりしょんぼりしている。
つらそうなのに、つぶらな眼はぱっちり開いて、不安げに視線をさまよわせていた。
「……わかった、お前の力を貸してくれ。こっちだ」
意を決して、雨の中へと歩きだす。
マントのフードをかぶったヨルが横につき、真剣にささやいた。
「ねえ、ウェイク」
「なんだ」
「そのリス、女の子だね……!」
やっぱりダメかもしれない。ウェイクは早足になって森をめざした。
「いけない、もうこんな時間! おいとましなくっちゃ」
メリーは、広げていた編みもの道具をあわててまとめた。
むかいにすわっていたルシアが、それをとめる。
「ママがね、ご飯を食べていってほしいって。パイをかぶせた熱々のシチューは好き?」
「食べたことはないけれど…… それは…… なんてすてきな響き……」
毛糸の玉を抱いて立ちつくすメリー。
もだえそうなくらい香ばしい匂いが、絶好のタイミングでただよってきて、彼女を押し戻した。
ルシアの母が、ドアからにっこり顔を出した。
「さあ、できたわよ。たっぷりめしあがれ」
輪っかのみつあみが、揺れに揺れる。
「け、けど、そんなに遅くまで迷惑じゃ……」
「泊まっていけばいいよ。ほら、ルイーゼもそうしてって言ってる!」
ルシアが、仲よしのお人形と目をあわせて笑った。
メリーは彼女に手を引かれ、ふらふら歩いていく。ルシアの父も、ほがらかに彼女をむかえた。
「ようこそ、ミス・シュガー! こっちの席にどうぞ」
あたたかな食卓に、メリーのためのイスが引かれる。青い目がくらくら輝いた。
私は夢を見ないけれど。
夢ごこちって、きっとこういうこと……
そのころ、男二人は町のはずれの森にいた。
「――寒い。本当に、ここに原因があるのか?」
雨にうたれて、ウェイクだけが震えている。
「その子、たぶん不眠症。森のどこかに、夢を落としちゃったんじゃないかな」
フードをおろしたヨルは、ランタンをぐるりとめぐらせた。
赤い瞳が光をはねかえし、警告のランプにも見える。ウェイクは早く家に帰りたくなって、あちこち視線を走らせた。
たちまち鋭い声をあげ、サッと手を伸ばした。
「ヨル、なにかいるぞ!」
複雑に重なった、切り絵のような木々。
その枝の上に、もやもやと輝く光が――
メリーがこんぺいとうをつくる時に見せる、しあげの光に似たものが乗っかっている。
それは巣だった。
巣の主は、光の中心に、黒いシルエットになってたたずんでいた。
ヨルがランタンを揺らす。
「あっ、わかった! あのフクロウが、森の夢を奪って……」
言葉の終わりを待たずに、鳥が翼をひらいた。
ヨルの小さな声が落ちる。
「これ、ちょっとまずい、かも」
「なにっ!?」
ウェイクが身がまえたのと同時に、フクロウが巣から飛びたった。
その瞬間。
森の“床”が、消えた。
「いっ……」
ウェイクの身体が、真っ暗闇に浮きあがる。
夢で何度も味わった、あの浮遊感だ。彼の頭はフル回転した。
「こっ怖、いや怖くない!
俺の謎なら、メリーにといてもらったじゃないか。そうだろうひいじいさん、どんなに高くても夢なら平気だ!」
となりに浮いたヨルが、きょとんとしてつっこむ。
「これ、半分現実だよ?」
「ふむなるほど、ということは半分の怖さああぁーっ!?」
ウェイクは、絶叫しながら果てしない森を落っこちていった。
おかしそうに笑ったヨルは、ふわりと身をひるがえす。
「ごめん、僕飛べるから。
わぁ、もう見えなくなっちゃった。どこまで落ちるのかな、追っかけてみようかな」
わくわくに気をとられた彼の背後に、フクロウの影が迫っていた。
空を切った翼が、雨のリズムを乱す。
「あれっ……?」
やっとふり返った青年へむけて、巨大なかぎ爪が音もなくくり出された。