第4話 ルシアとルイーゼ 2/2
にわかに忙しくなったのは、魔法史調査員ウェイク・エルゼンだった。
メリーに呼び出され、大いそぎで日報を書きあげて、坂道をのぼり、鍋をまわし、坂を駆けおりて、ルシアの家までこんぺいとうを届けた。
そして、大真面目に怪しい説明をする。
「危険物ではない、メリーの術の一部だ。
ただしこの件は秘密にしておいてくれ。家族の誰にも言ってはいけない、いいか?」
ルシアは、緊張しながらしっかり答えた。
「……はい。守ります!」
翌日、クロックベルの学校──
教室の一番うしろで、サッと手があがった。
「先生、席をうつっていいですか? 黒板が見えません!」
元気に言ったのは、すっかり生まれかわったルシア・コーディー。
彼女の目線は、前の席の男の子よりずっと低くなっていた。
「ルシア、となりにおいでよ」
友だちが手まねきして、彼女はいそいそと席を替える。ドキドキして相手をのぞきこんだ。
「ねえ、私、変わったかな?」
「えっ、ルシアはずっとルシアじゃない!」
「そう…… そうだね!」
おんなじ高さで笑う。
それから一日じゅう、夢のようだった。
もう誰もからかってこない。私は時計塔じゃない!
ルシアは、とってもひさしぶりに、日が暮れるまでみんなと遊んだ。
「ママ、ただいま。遅くなっちゃった!」
きらきらの笑顔でドアを開けたとき。
ふと、おかしな気持ちが忍び寄った。
今日の朝、パパとママに会ったかな……?
どうしても思い出せない。
家の中は、不思議なくらい静まり返っている。少し怖くなって、コートも脱がずにキッチンへむかった。
「ママ……?」
すると、母がテラスから駆けこんできた。ルシアが尋ねる前に、取り乱した様子で言う。
「ああ、ルイーゼ! ルシアに会わなかった? どこにもいないのよ!」
「えっ!」
ルシアは、ハッとなって窓を見る。
ガラスに映った自分は、小柄でかわいい、栗色の巻き毛の女の子―― あの大切なお人形そっくりだった。
びっくりしていると、のんびり屋のはずの母が、あわあわとエプロンをはずした。
「きっと迷ってしまったんだわ。探しにいかなくちゃ」
「ママ、ルシアは私。ここにいるよ」
必死に腕をとっても、相手の耳には届かない。彼女はもどかしくなって声をあげた。
「ねえ、私ふつうの女の子になったんだよ。ルシアよりルイーゼの方がいいじゃない!」
玄関からドアの音がした。丸っこい父が、転がるようにやってくる。
「パパ! 私はここに……」
「だめだ、近所にもいなかったよ。町の外かもしれない、行こう!」
父は、まるで知らない人みたいに、硬くはりつめた顔をしていた。
いつもよりずっと大きくなって、娘の両肩を押さえる。
「ルイーゼ、いい子でお留守番するんだ。きっとルシアをつれて帰るからね」
とんでもないことが起きている。ルシアはすっかり青ざめた。
両親が家を走り出る。
「おおい、ルシアー! 帰っておいで、パパはお前を見あげていないと落ちつかないんだ!」
「かわいいルシア、もう一度ママに見あげさせて……」
追いかけようとしても、小さな身体の足は、とても遅かった。
「待って、いかないで。ママ、パパ!」
二人の声は遠く、遠く離れていく。永遠に戻れないところまで……
ルシアはぞっとなって叫んだ。
「そんなの嫌。お願い、私をもとに戻して!」
「さっき、コーディーさん一家を見かけたよ。
ルシアも楽しそうにおしゃべりしていた。うまくいったな、メリー」
日曜日の午後。
メリーを訪ねたウェイクは、満足そうに報告した。
「よかったわ。“反転”が大さじ3じゃ多すぎたかも、って心配だったの」
ごちゃごちゃの机で書きものをしていたメリーが、レシピに大きな丸をつける。
「これで、あの子の悩みも解決ね……」
という彼女は、あまり嬉しそうじゃない。
ちょっと口をとがらせた横顔を、ウェイクがじっと見つめた。
「……もしかして、寂しいのか?」
「そんなことないわ」
「そういえば、君に同年代の友だちはいないようだな」
「私、見た目よりずーっと大人なの」
つんと澄ました彼女は、ペンをインクにひたそうとしたけれど、となりのこんぺいとうのビンにつっこんでしまった。
「あああっ!」
「動揺している。図星か」
「……ルシアはすてきな子、自分で思っているよりずっとね。
錬金術師よりふさわしいお友だちが、これからたくさんできるでしょう」
ウェイクが「おや」と眉をあげる。
「いじけるなんて、君らしくないな。
メリー・シュガーはこんぺいとう屋だろう、職を変えたのか?」
「どっちもたいして違わないわ」
ぽつりとつぶやいたメリーは、イスの下の足をぶらぶらふりはじめた。
魔女もすねることがある、とウェイクは心のメモ帳に書きとめる。この情報がなんの役に立つのかはまったくわからなかった。
それから彼は考える。
この女の子のそばに、家族はいないようだ。
それじゃあ、どれだけの親しい人がいるんだろう?
ふと浮かんできたのは、この前の令嬢たぶらかしコウモリ男の顔だった。
「……いや、あれはなしだ」
ウェイクは、腹立たしいくらいの美青年を頭の外に押しやる。
メリーの友人は、暫定ひとり(俺)。
そう思うと、ノートに顔を伏せるメリーは、つよがりの言葉とうらはらに幼く見えた。
こういう場合、どうやってなぐさめたらいいんだ?
あのヨルという男ならうまくやるだろうが、残念ながら俺は骨の髄までウェイク・エルゼン……
彼が気をもんだ、その時。
「メリー、こんにちは……」
細い声がして、ノックが響く。
小さな音だったけれど、イスの上のメリーはピリッと飛びあがった。
ウェイクがホッと笑顔になって、すばやくドアに歩み寄る。取っ手をまわしながらメリーにふり返った。
「それじゃあミス・シュガー、ごゆっくり」
灰色の両目をパチッとつぶったのは、ウィンクのつもりらしかった。
開いたドアのむこうで、背の高い女の子がびっくりする。
「あっ、ウェイクさん!」
「やあ、ルシア。
俺は調査に寄っただけでもう帰るから、退屈中のこんぺいとう術師の相手をしてやってくれ。頼んだぞ」
やけに早口で言い終えた彼は、風のように消え去った。
ぽかんとしていたルシアは、やがて笑顔になってメリーを見た。
「メリー、お勉強してるの? 忙しいかな」
問いかけて首をかしげる姿に、どこか小鳥めいた魅力がある。ちょっとしたことで軽やかに飛んでいってしまいそうな――
メリーは小鳥を逃がしたくなかった。
「いいえ、ぜんぜん! どうぞ入って、お茶にしましょうっ」
勢いよくノートを閉じて、ものすごい速さでイスを飛びおりる。ルシアが嬉しそうに部屋へ入った。
「それじゃあ、これ、お菓子を持ってきたの。
クロックベルで一番おいしいチョコレート屋さんの……」
と、大きな手さげをかきまわす。
かきまわしながら、顔をしかめる。
「チョコレート屋、さん、の…… あれっ、おかしいなあ。底に入れたはずなのに」
すてきなものがつまっているバッグでは、色々なものが迷子になるらしい。ケトルを火にかけたメリーが笑顔をむけた。
「恥ずかしがり屋の逃げ上手には困っちゃうわね。探しものは、私もしょっちゅう」
「わあ、おそろい!」
声をあげて笑ったルシアへ、メリーがしみじみ言う。
「あなたが元気になって、嬉しいわ」
ルシアは照れてはにかむ。
「うん、もう小さくなりたいなんて言わないよ。
けどね、メリーがくれた夢の、いいところ…… なかなか忘れられないかも」
「あら、すぐ忘れちゃうわよ。あなたには、もっといいことがたくさん起きるもの」
「そうかな?」
「そうですとも。いくらでもたくさん、食べきれないくらい。
そしてあなたはこう言うの、“もっともっと持ってきてちょうだい”!」
メリーがおどけてスプーンをふる。
すると、時計塔の鐘が鳴り響いた。日曜日だけに打つ15時の合図、いつもより明るく聴こえるみたい。
窓に目をやったルシアは、にっこり笑ってふりむいた。
「メリーがいうと、そんな気がする!
こんど時計塔ってからかわれたら、鐘の歌をうたって返してみるね」
(第4話 おわり)