第32話 もう一度のウェイク(後) 1/2
クロックベルの町の、夜空のむこうの、ずっとずっと彼方。
またたく光のまん中で、ひみつのおしゃべりがかわされていた。とっても焦った様子で、こそこそひそひそ。
『大変。なにかくるよ、飛んでくるよ!』
『呼んだのは誰?』
『いいえ、誰も!
見つかってしまうわ、こんぺいとうの女の子をどうしましょう?』
あわてふためいていると、ちょっとひやっとした、ミント味のキャンディーみたいな声が響いた。
『もこもこひつじにして、隠してしまおう。
名前も思い出も、大好きな人のことも、なにもかも……』
同じころ。
空飛ぶ魔法史調査員・ウェイクは、根性で意識をたもつかわりに、思いっきりさけんでいた。
「うわあぁーっ!」
時計塔からジャンプして、星まで飛んで、星までおりて―― おりられるのか?
ぐるぐる目をまわし、頭もまわす。
「こ、この状態について冷静に真剣に考えてみることにする!
上も下もわからない、俺は上昇していないし落ちているのでもない。
ウェイク・エルゼンに移動なし、つまり常に平地にいるのと同じだ。証明終了っ!」
キリッと言いきった瞬間、ふかふかの大地が彼を受けとめた。
冷や汗いっぱいの額をぬぐい、引きつった顔で笑う。
「ふ、ふふ。少し推理に無理があったが、現場に到着すればこちらのものだ……」
頭の上に広がる、すみれ色の空。
建物はひとつもなくて、パステルカラーの雲が盛りあがったり、へこんだりしているだけ。
そして目の前に、ミルク色の看板がたっていた。かわいい装飾文字でこう記してある。
“あきれるほどなんにもなくて、驚くほど誰もいないところ”
ウェイクは、乱れた髪もなおさずにメッセージを見つめた。
それから深くうなずく。
「そうか、よくわかった。
ところで、俺は町のみんなから散歩好きだといわれている。散歩の達人として、なにもない土地を楽しく歩いてみせよう」
彼が足を踏みだすと、看板の文字があたふたと変わった。
“なんにもないよ、なんにも!
見どころも名所もありません、どこに行ってもつまらないよ!?”
しかし青年はクールな笑みをむける。
「知っているか、看板。
なにかを隠したい時、人はついつい反対のことを言ってしまう。
そして、陰謀の香りがすると俺は元気になる。さっそく証拠を発見だ!」
ビシッと指さしたのは、雲の地面。
こんもりした山の手前に、あざやかなブルーのリボンが落ちている。彼は、それを拾いあげて確かめた。
数種類の青色が織りこまれた、しっとりした幅広のリボン。
まちがいない。星さがしの日、メリーが輪っかのみつあみを飾っていたものだ。
「メリー、ここに埋もれているんだな。今すぐ助ける!」
絶好調で雲をかきわけるウェイク。
うすれていくベールの奥に、少女の立ち姿が浮きあがってきた。
ほどけて広がった金色の髪、ほのかに染まった頬。
大きな瞳はぱっちりひらいていた。彼の心をとらえてはなさない、夕焼けのバラ色がきらめいて……
「メリー!」
ウェイクはこれ以上ないくらい笑顔をかがやかせた。ちょっと泣きそうだ。
夢の乙女が、ふっと息を吸う。
彼を見あげると、かわいらしくはにかんだ。
「こんにちは、すてきな方。あなたはだあれ?」
青年の動きがとまった。
少女が悲しげに眉をさげ、しょんぼりうつむく。
「ごめんなさい。ちゃんとごあいさつしたいのに、自分のことがわからないの……」
ウェイクは少しのあいだ声をつまらせていた。けれど、やがて強く首をふって、真摯に告げた。
「心配いらない。俺は、君を知っている」
ポケットから銀のスプーンを取りだし、そうっと渡す。しっかり視線をあわせて、ひとことずつ語りかける。
「君は、クロックベルのかわいいこんぺいとう屋、メリー・シュガー。
俺は、君とふしぎな魔法を愛する調査員、ウェイク。
俺たちは、たくさんの謎を追いかけて、ひとつぶずつ思い出をつくってきたんだ」
かけがえのないこんぺいとうは、心の小ビンにすべておさまっている。
ぜったいに消えない魔法。忘れられない気持ち。
君は思い出せる。
なにがあっても。
少女は、ゆっくりとスプーンを受けとった。その瞳に、夢の外の青がふわっとゆらぐ。
「私は、こんぺいとう……?」
「ああ」
「あなたは、リスの国の王子さま……?」
「正解。
と言いたいが、残念ながら俺はひつじの国の庶民だ。がんばれメリー、もう少しだ!」
「え、ええっと。リスさんじゃなくって、ひつじさん。王子さまは抜きで……」
彼女はすべすべの眉間にしわを寄せ、指を折って考える。
すると、見守るウェイクの背後から、涼しい美声が飛んできた。
「おとぎ話のお姫さまを起こすカギ、なぁんだ?」
「えっ!?」
ウェイクがびっくりしてふり返る。黒髪の青年が、フクロウを肩にのせ、当たり前のように立っていた。
「ヨル、どうしてお前がここに。翼を譲ってくれたのではなかったか!?」
「はんぶんこしただけ。
それより、なぞなぞタイムアウトだよ。こんなに簡単なのに」
ヨルは澄まし顔で口をとがらせ、きょとんとしている少女へ手を差しのべた。謎と魅惑の道化らしく、芝居がかった口上をひとつ。
「さぁて、雲から生まれた忘却の女神を呼び覚ましますものは?
王子でも騎士でもそれ以下でもかまいません、とにかく愛するヒーローのやさしいキス……」
「や、やめろ。黙ってくれ」
顔を赤くしたウェイクが彼を押しのける。ヨルは器用に避けつつ、シャンパン色の目で笑う。
「あれぇ、彼女を起こしたくないの?
せっかくチャンスをあげたのに! それじゃあ僕が代理で」
「や め ろ!!」
「ホーゥ……
(照れている場合ではないぞウェイク・エルゼン。この手の問題になると、私のマスターは3倍速で動く)」
ふたりと1羽でごちゃごちゃしているところに、キラキラの声がはじけた。
「ウェイク、あなたね!」
青年がハッとふりむいた瞬間。
スプーンを手にしたメリー・シュガーが、全身によろこびをあふれさせ、とびっきりの笑顔で彼に抱きついた。
「ああウェイク、あなたが助けにきてくれた! こんなに高い、すみれの星まで!」
「メリー……!」
ウェイクもメリーを抱きしめる。
お砂糖の魔法をきらめかせる、ふしぎな少女。彼の大切な人。もう二度と離さない――
じーんと広がる感動に震えていると、腕の中の少女がパッと顔をあげ、すばやく身体を離した。
「カートさんとミミさんを探さなきゃ! 行きましょう、ウェイク」
「あ、ああ。うん……」
短い抱擁だった。
虚しく空気を抱くウェイクをよそに、メリーはてきぱき動きだす。
「それから、リトルはどこかしら?
ちっちゃなお星さまのかけらさん、詳しいお話を聞かないと。ヨル、フォレスタ、あなたたちも手伝ってね」
「はぁい!」
よい子でお返事をしたヨル。
瞳をかがやかせ、取り残されたウェイクの背中を、あやしいリズムでつっついた。
「もうちょっとぎゅってしてたかった? ねぇ、したかった?」
「……俺は任務をはたしにきただけだ。救出作戦の正念場だ、気を引きしめていくぞ」
「ゆるめたって見つかるよ。あんなに人手があるもん」
ヨルがあっけらかんと言い、空を指さす。
メリーとウェイクは目を丸くした。
「あれは……!」
鳥みたいな巨大なシルエットが、遠くからやってくる。
ブーンと低い音を響かせ、プロペラをまわして── 真っ赤でピカピカの、特大の飛行機があらわれた!
操縦席から、元気いっぱいの少年が手をふった。
「シープランドの飛行機王 ロバート・キッド・スカイラー、すみれの星にただいま参上っ。
魔法の歌とみんなの夢、ばっちり天まで届いたぜ!」
やわらかく着陸した飛行機から、みんなが次々と降りてくる。
令嬢ソフィーに赤毛のマリオン。
レインをつれた所長さん、前髪をなびかせるクロウハイム、ちょっとおっかなびっくりのオートマン博士。
まっさきに飛びだしたのは、ルシアだった。スカートをはためかせ、仲よしのお人形を抱いて駆けてくる。
「メリー、よかった。無事だったんだね!」
「ルシア! まあ、ルイーゼもきてくれたのね。とっても心づよいわ」
ふたりは手を取りあって、ぴょんぴょんして再会をよろこぶ。ルシアが心配そうにメリーをのぞきこんだ。
「お腹はすいてない、大丈夫?
ママがりんごとチョコレートのケーキを焼いてくれたの。ええっと、ラッピングして枕もとに置いて…… 持ってこられなかったみたい……」
一生懸命なルシア。メリーはあたたかな気持ちになって、お花みたいに顔をほころばせた。
「ありがとう、町に戻ってからのお楽しみね! みんな一緒に、すてきなお茶会をひらきましょう」
少女たちの横で、キッドがかっこよくゴーグルをあげる。ニッと笑い、ウェイクを肘でつついた。
「やるじゃん、ウェイクさん。メリーを助けたんだろ、王子さまみたいに」
「いや、庶民式で安全に起こした。
王子といえば、ハーティス王子の姿が見えないが。どうかしたのか?」
見まわしてみれば、時計塔の鐘を鳴らしたイザベルと、郵便屋のステファンもいない。
少年は困ったように頭をかいた。
「んー、座席は足りてたんだけど。
僕の飛行機、気に入らなかったかな? プロペラがうるさいとか、色が好きじゃないとか、翼が小さすぎたとか……」
「そんなことはない。あれは恐ろしくも格好よく、すばらしい乗り物だ」
ウェイクは彼の肩をたたいてはげまし、集まったみんなへふりむいた。
「王子たちは、たまたま寝つきが悪かったのかもしれない。きっとすぐに合流できる、ふたりの捜索をはじめよう!」




