第31話 もう一度のウェイク(前) 2/2
しかし。
肝心のヨルが、いない。
「あいつときたら、いつまで逃げまわっているんだ!?」
ウェイクは捜索対象を切りかえて、またまた町を駆けることになった。
あやしいお店にもくまなく顔をだし、
「ああ、ヨルム! あの子ったら、近ごろ遊びにきてくれないの」
「そうよ、つかまえたらすぐ送りつけてちょうだい。蝶々の柄をした紅いレースのリボンでぐるぐる巻きにして……」
とあやしいお返事をもらい、気力を削られながら彼を探す。
からぶりつづきでさまよううちに、17時の鐘が鳴った。
見あげた冬空は冷たく暮れ、メリーがいなくなってからもうすぐ丸一日……
心がぎゅっと絞られ、思わず立ちどまる。
すると、肩にのっていたレインが、彼の首すじをしっぽでたたいた。
(ウェイクくん、おやすみしないと倒れちゃうよ! いったんみんなのところに帰ろう)
「すまない、レイン。
俺はメリーを救いだすまで歩みつづける。とめないでくれ、どうか前進させてくれ……!」
かっこよく宣言して、街灯にひっかかってもがくウェイク。
ヨル捜索隊のメンバー・クロウハイムが現場を発見し、彼を優雅に連行した。
ひらひらの前髪をなびかせて、ため息をひとつ。
「鎮まれ鎮まれ、かしこいレインの忠告を聞きたまえ!
どんなに激しい愛だって、本人が燃えつきてはおしまいだろう?」
そうして戻った捜査本部(調査局の事務所)に、ヨルが、いた。
「いいメロディーだね、ルシア。
君が考えたの? 僕これ好き! ほらフォレスタ、照れてないで歌ってごらん?」
謎の美青年は、ぽかんとするみんなのまん中で、華やかなおしゃれを決めて笑っていた。膝にのせたフクロウをくすぐりながら、ドアへふりむいて肩をすくめる。
「ウェイク、遅刻だよ。大事な時になにしてたの」
「お、お、お前ぇ……!」
目を見開いたウェイクは、わなわな震えながら一歩踏みだした。
「お前は、どこに、行って、いた」
「恋のお散歩。ちょっと道をはずれたから、スリリングで熱かった」
けろりとして答えられ、ウェイクはその場にへたりこんだ。
駆け寄ったのは、姉を探している赤毛のマリオンだ。
「いろいろ言いたいのはすっごくわかる!
けどね、あやしい道化師はちゃんと手伝ってくれるって。お姉ちゃんも詩人もメリーも、彼が助けてくれるわ!」
彼女は大きな緑色の目をかがやかせた。
所長さんが進みでて、みんなをぐるりと見わたした。
「よし、すぐに準備をはじめよう。
町じゅうにお知らせして、魔法の歌を覚えてもらうんだ。ルシア、君が歌の先生だよ」
「はい!」
「ステファンくんは、イザベルさんに連絡を。時計塔でしたくを手伝ってくれ」
「はい、まかせてください!」
ふたりがはつらつと動きだし、みんなもあとにつづく。
ウェイクは、取り残されたようにドアの脇に立っていた。長椅子に座るヨルが、とがった歯をのぞかせて笑った。
「どうしたの、ネジが切れちゃった? 巻いてあげてもいいよ?」
愛想たっぷりの言動とうらはらに、瞳の赤がスッと薄くなったように見えた。
夜空は晴れて、星がまたたく。
これから、クロックベルに4回目の鐘が鳴る。
「出発は、真夜中のほんの少し手前。今日と明日の境界、どちらにもふれない浮遊の一瞬に」
それがヨルの申しでた条件。今夜だけ特別に、深夜の鐘を打つことになった。
みんなは夢の中であの歌をうたう。
歌声をのせた鐘の力で、彼はすみれの星をめざす。
用意はすっかりととのった。あとはその時を待つだけ!
最後の確認は、ウェイクとルシアが受け持った。
イザベルと打ちあわせを終え、時計塔から出てきたふたりを、ヨルがふらりと出迎えた。
「それじゃあ、僕飛ぶから」
ルシアが彼の手をとり、ひたむきに見つめる。
「がんばってね、ヨルくん。みんな一緒についてるよ」
青年はちらっと舌を出して笑った。
「ひとりで平気だよぉ。……がんばったら、ごほうびくれる?」
「うん、あやしくないものならなんでもあげる!」
「あやしいものならなんでも? わぁ、すっごく楽しみ!」
つないだ手をご機嫌でふりまわすヨル。
妙に素直な彼を前にして、ウェイクの気持ちは、もつれた毛糸みたいにもやもやした。
ルシアから彼を引きはがし、眉をひそめて尋ねる。
「大丈夫なのか、ヨル」
「なんで、なにが?
僕だってメリーが心配だよ。先につかまった子も赤毛のそばかす美人だっていうし、やる気しか出ないよ!」
ヨルは甘い顔立ちをキリッとさせ、胸を張る。
口をひらきかけたウェイクは、言葉を飲みこみ、彼の肩をたたいた。
「カート・アスター氏を置いてこないでくれよ。3人のことを、どうか頼んだぞ」
町はひっそり静まった。
起きているのは、時計塔とその番人。それから、飛びたつ時を待つ夜の翼だけ――?
眠れない者が、ひとりだけいた。
黒っぽいマントに帽子姿、紫のマフラーをしっかり巻いて、急いで坂をのぼっていく。
ウェイク・エルゼンだ。
本当は、自分が星へ行きたかった。
けれど言いだせなかった。
そんな大役にはどう考えてもヨルがぴったりだし、みんなもそう思っているとわかっていたから。
それでも足はとまらない。
せわしないブーツの音にあわせ、ポケットにいれた小さなスプーンが踊る。
消えたメリーが残した銀色のかがやき。彼は、時おりそれを握ってあたためた。
そびえたつ塔が間近にせまる。
息を切らして文字盤を見あげると、大きな針が、とてもゆっくりと動いた。
「いけない、時間が!」
24時まで、あとお砂糖ひとつぶのすき間しかない。マントをひるがえし、駆けだしたウェイク。
次の瞬間、彼ははるか高い時計塔の上でつんのめった。
「こ、これは……!?」
あわてて顔をあげると、とげとげの装飾の奥に、すらりとしたシルエットがたたずんでいる。
ゆるく腕組みをしたヨルが、彼を見つめていた。
夢の中だけにあらわれるシャンパン色の瞳で。
表情を消した端整な顔は、よくできすぎたあまり心を入れ忘れた人形みたいだった。
仮面は静かに言う。
「君とはじめて会ったのも、ここだった」
ああそうだ、とウェイクは思い出す。
ソフィーに相談をうけたメリーが、こんぺいとうをつくった。それを使い、ふたりで謎の青年と対面したのだった。
あの時のヨルは、令嬢を誘惑する悪い夢でしかなかった。
今はどうだろう?
俺は、この男のことを何ひとつ知らないままじゃないか。変わったのか、変わっていないのか、そもそも正体がなんなのか──
ウェイクの動揺をよそに、ヨルは金色の目をふせる。
「かわいいかわいいメリー・シュガー。
甘くてふしぎなこんぺいとう。ほしがるのは、ひとりだけじゃない」
「…………」
「僕と彼女は、とても近い存在。
自分を理解してくれる相手をひとりじめできたら、どんなに幸せだろう。どれほど満たされるだろうね?」
すばやくあがった瞳は、闇をはねかえすように赤かった。
ウェイクの心臓が冷え、大きく鳴りだす。
「ヨル、どういうことだ。これは夢ではないのか」
「たしかめたらいい。
ここは塔のてっぺん、クロックベルのどこよりも高いところ。怖くなければ夢、怖ければ現実……」
細まった目は、淡い金色に戻っている。彼は言葉の外でこう言っていた。
──嘘と真実、どちらにもできる。僕が気まぐれにかたむけるスプーンひとつで。
ウェイクは声をつまらせた。
ヨルは、いつのまにか片手で砂時計をもてあそんでいた。
レオール王国の魔法の宝物。小さなライオンのついた黄金の枠と、からっぽのガラスの器が、星あかりを浴びて光る。
ふいに、長い指がそれをつつみこんだ。
彼は最後まで笑わなかった。
「これから夢の星へ飛ぶ。
そこにはメリーがいる。二度と帰らないことだってできる、僕が望んだなら」
「そんなことさせるか、メリーは俺が助ける!」
ウェイクが叫び、彼につかみかかる。
すかさずヨルが腕をしならせ、砂時計を夜空へほうり投げた。
ウェイクの視線がそれを追う。
魔法の時計。あれはとても大切なものだ、メリーが必要としている!
それだけを思って手を伸ばす。
彼は、なにもない宙へひと息に踏みだした。
ずっとずっと下に広がる、月星が照らす町。あまりにも精巧でひそやかで、眠る人々の息吹が感じられて、ウェイクは悟る。
これは夢じゃない。
ぞわっ、と恐怖が押し寄せたときだった。
カーン……!
と大きな尾をひいて、鐘が歌いはじめた。
町のあちこちから、眠るみんなの歌が応える。
にぎやかな合唱にあわせて、力を得た翼がするどく舞いおりた。
空中の青年をバシッとつかまえ、ぐんぐん上昇する。きらめく星々にむかって!
ウェイクの目がまん丸になった。
「と、飛んでいる、ごく普通の調査員である俺が!?
メリー見てくれ、天のこんぺいとうに手が届く。これは飛行機少年キッドがよろこびそうなすさまじい高度……!」
実況しながら気絶しかける彼。けれど、つかみとった砂時計だけは、しっかり握りしめていた。
ぐったりと運ばれる姿が遠ざかり、小さくなる。ヨルは腕組みして翼を見送り、つぶやいた。
「ねぇフォレスタ。君とチェスをして、僕はずいぶん弱くなった」
くちびるの端の笑みは、ちょっとだけ寂しい。
夢と現実がゆらめく瞳がやさしい色を帯びる。彼は指で拍子をとり、みんなにあわせてメロディーを口ずさんだ。
「夜はすみれの声 星のささやき……」
歌の魔法が町をつつみ、鐘の音が空へとつながる。
町から奪われたふしぎな少女、メリー・シュガーのいるところまで、まっすぐに。
(第32話へつづく)




