第3話 夜の時計塔 2/2
塔のてっぺんから令嬢を誘惑するという、謎の男……
「ふとどき者は何者かしら。はやく会わなくっちゃ!」
大いそぎで家に戻ったメリーは、スプーンをかかげて宣言した。
ミトンをはめて鍋をまわすウェイクは、令嬢と同じくらい青ざめている。
「時計塔によじのぼるなんていうなよ。聞いただけで動悸がする」
「けど、なんでも協力してくれるって……」
「言ったのは君だ!」
声をあげた彼の前で、キラッと輝きがはじけた。
鍋に転がるこんぺいとうは、熟れすぎたさくらんぼみたいな、濃い赤紫をしている。ウェイクはドキリとした。
「あまり夢らしい色ではないな。このレシピは?」
「誘いと惑い、本心はひとさじの半分まで。だいたいは、罠」
メリーは、難しい顔をして、買ったばかりのリボンを取りだす。
真っ黒のつやつやのリボンで、ウェイクはひそかにがっかりした。俺が選んだものは、真冬にならないと使わないらしい。
しあげを終えたメリーが、サッとビンを差しだした。
「それじゃあ、お願いね」
「よし、マーシャルさんに届けるんだな」
「ううん。あなたが使うの」
「なに?」
ぽかんと口を開けたウェイク。
メリーがそっと顔を寄せ、声を落とす。見えない誰かに聞かれちゃいけないから、というふうに。
「罠をしかけるのは、私。あなたの夢を貸してね」
ウェイクの手に、赤いこんぺいとうが乗る。
ビンに結ばれた黒いリボンは、秘密のかたちをしていた。
そしてウェイクは、夜の時計塔で目を覚ました。
月はなくて、星だけが明るい。
大きな文字盤の下。ぎざぎざの飾りのすき間に立って、小さくなった町を見渡す。夢であれば、もう高くたって平気だ。
「俺の謎をといておいてよかった」
彼が息をつくと、風がサッと吹き抜けた。そして、大きく波うったマントの、ひるがえる裾のむこうに――
すらりとした影が現れた。
涼しげな、心地よい笑い声。
「やあ、こんばんは。騙されてあげたよ?」
相手を見たウェイクはつぶやく、
「なるほどな」
そこに立っているのは、いかにもおしとやかな美人令嬢にちょっかいをかけそうな青年だった。
白い肌に、襟あしを伸ばした黒い髪。
甘く整った顔と、謎めいたまなざし。その瞳はシャンパンの淡い金色で、裏に冷たさを貼りつけてウェイクを射抜いた。
青年は歌うように口を開く。
「怒ってるね。
とすると君は騎士、僕は黒の塔をまっすぐ進めてチェックメイト?」
「俺に聞くな。チェスはやらないし、ナイトじゃなくて魔法史調査員だ」
「調べてどうするの、使えもしない魔法を。君って変な人!」
青年は、とがった歯をのぞかせて無邪気に笑った。
ウェイクは理解する。ソフィーだけでなく、たいていの女性がこの青年の魅力に引っかかるだろう。
とても、とても反感を覚えた。
一歩踏み出して、相手をにらみすえる。
「誰だか知らないが、ソフィー・マーシャル嬢から手を引いてもらおう。彼女はひどく憔悴している」
「あれぇ、僕のこと知らない? そんなことないよね?」
「いま会ったばかりだぞ」
ウェイクがいらいらして返す。
黒髪の青年は、飾りの一本に腕をまわして、なにもない宙へ身体をかたむけた。長い指で夜空をさす。
「僕は、ヨル」
「夜?」
「そうだよ。みんなが求める、解放の時間……」
パッ、と手を離し、虚空に身を投げだした。
「あっ、おい!」
ウェイクがあわてて駆け寄ろうとする。そこへ、上から声がふってきた。
「大丈夫よ、浮いてくるから」
「メリー!」
文字盤の横、小窓から髪をなびかせた彼女を見つけて、ウェイクは心の底からホッとした。
「あっ、ナイトのご主人さま発見!」
メリーの言葉どおり、マントを翼にしたヨルが舞い戻る。
窓辺まで羽ばたいてゆき、にっこり笑った。
「上手に夢をつくったね、メリー。僕、この罠が好きだよ?」
メリーはまばたきをひとつして、真面目な顔で言った。
「ソフィーの夢を返してあげて」
「どうしようかなぁ。嫌かも」
ヨルが首をかしげ、目を細める。
――距離が近すぎる。
二人を見あげるウェイクは、焦りに焦った。あいつが手を伸ばせば、ひょいとメリーをさらってしまえるじゃないか!
「飛べるか? いや、俺は落下専門だ……」
塔を見まわした彼は、とげとげの飾りに手をかけた。
「よし、飛べないならのぼってやる!」
ウェイクが決心した時。
メリーのきっぱりした言葉が響いた。
「ヨル。すべてを元に戻すのよ」
ほんの短いあいだ、ぶつかった視線がチカチカ火花をあげた。
青年は、ふっと淡い目をそらすと、鳥のように身をひるがえした。
「僕はなんにも奪っていないよ?
少しのぞいて、ハローって言っただけ。あとは彼女が求めたんだ、無視したらかわいそうでしょ?」
「マーシャル嬢のせいだと言うのか!? なんてふざけたやつだ!」
ウェイクはもっと厳しいことを言ってやりたかったけれど、相手は早々に飛び去ってしまった。
星のきらめきの合間に、とってもおかしくてたまりませんという笑い声が、軽やかに響きわたった。
その夢からすぐのこと。
メリーのもとに、仕立て屋の令嬢からお礼が届けられた。
ウェイクは、大胆にも調査局の事務所を訪ねてきたメリーから、その封筒を受けとった。
「“お好きな一着、なんでもお仕立て券”……?」
「どうして暗号を読まされたみたいな顔するの? ソフィーさんの気持ちよ、喜んでよ!」
メリーは信じられない様子で彼を揺さぶる。
所長さんは外出中で、事務所には二人っきりだ。応接用のイスにかけたウェイクは、封筒から目をあげた。
「彼女は大丈夫なのか、メリー。あの軽薄コウモリ男に魅入られてしまったんだろう?」
「ヨル、ね」
「怪奇の女たらし青年といってもいいが」
「ヨル、よ。覚えてあげて。
あれは悪いカゼと同じだから。遠ざけてしまえば、心はあるべきところに戻るし……
真実の相手なら、それを待ってくれるものよ」
メリーには強い確信があるみたいだった。
ウェイクもそれを信じることにする。
彼は思う。
初めて会った日、彼女は “私は夢を見ない” と言っていた。それは、メリーにとっては夢も現実、という意味かもしれない。
「それより……」
と、少女が深刻な表情になった。
「さっそく券を使いましょう、ウェイク。
あなたはとってもいい人だけど、正直にいうと、ファッションセンスだけはいただけないの」
「これは制服なんだが」
「黒と灰色とこげ茶のかたまり。一年中その格好じゃ、看守さんみたいよ」
これを聞いたウェイクは、めずらしくニヤリとした。
「おっと、俺は檻に入っていた方だぞ」
「えっ、なあにそれ! まさか、あなたに暗い過去が……」
びっくりして背すじを伸ばしたメリー。
ウェイクは澄まし顔で封筒をしまった。
「今は聞かないでくれ。多少の謎があった方が、あいつと張りあえそうだ」
(第3話 おわり)