第27話 いとしのアメジスト! 2/2
ヨハン・クロウハイムは、自慢の前髪を風になびかせながら、長い坂をくだろうとしていた。
すると、こんぺいとう少女がぴょこっと顔をだし、彼を呼びとめた。
「こんにちは、視察官さん! とってもいいお天気ね」
「やあ、ふしぎなお砂糖のお嬢さん。
申しわけないが、どんなに甘くお願いされても、今回の決定は引っくりかえせないよ」
おしゃれな青年は、気どったしぐさで指をふり、メリーの帽子をちょんとつついた。
少女のかがやく瞳が彼を見つめる。
「今日の研究はいかが? 魔法の砂は降ってきたかしら」
「それはひみつさ、私とイザベルのね。
砂時計が完成したら盛大にお披露目しよう! それではこれで……」
「ふふふ、そんなことおっしゃらず、もう少しおしゃべりしようではありませんか」
メリーは、渋い靴音を響かせて彼に並んだ(ダンディーカフェの余韻がなかなか抜けない)。
「ひとつお聞きしたいの。
あなたはお悩みがないって言っていたけれど、今は違うんじゃないかしら?」
青年は微笑みをたもち、足をとめる。
「どういうことだい、ミス・シュガー」
「あなたはイザベルさんに恋をしてる。
けれど彼女には、すてきでやさしい恋人がいる。どうしたらいいか、困っているんじゃないかと思ったの」
「悩むだって、この私が? あの郵便屋くんに気おくれして?」
メガネをかけた自転車青年の、ぽやぽやした顔が浮かぶ。
高らかに笑い飛ばそうとしたクロウハイムは、急になにかに気づいて、弱々しく身をかがめた。
「いや、実はまったくそのとおりなんだ。
彼女の心を射とめる魔法がわからなくてね、すっかり八方ふさがりだよ……」
メリーがにっこり笑顔を咲かせ、元気よく手を差しのべた。
「恋の相談ごとは、メリー・シュガーにおまかせよ。
ちっちゃな夢のお星さま、あなたにおひとつおすそわけします」
こうして視察官さまは、メリーのお部屋に招待された。
けれど彼は、銀のスプーンがおどっても、キラキラのもやもやが宙に舞っても、眉ひとつ動かさない。
リボンをかけた小ビンを渡されたら、上品な笑みでお世辞をかえすだけ。
「お菓子づくりが好きな女の子は、なんとも魅力的だね。
そうだろう、エルゼンくん? 堅物の君が助手をつとめたくなるくらいだからな」
お鍋をささえるウェイクの背中を軽やかにたたき、ステッキを揺らして部屋を出ていった。
ウェイクが疲れたように肩をまわし、星柄のミトンをはずす。
「あの人とは、どうもソリがあわない。
メア・ディム・ドリムを前にして、なぜ平気な顔をしていられるんだ?」
「……なにか別のことが心を占めているから、じゃないかしら」
ぽつりとつぶやいたメリーが、スプーンをまっすぐかかげた。
銀色のへこみの中で、さかさま映しの少女が首をかしげる。
「クロウハイムさんは、ふしぎなものへの興味がうすいはず。
いくらイザベルさんのことが好きでも、魔法の研究だけにこだわるのはおかしいわ。お外のデートに誘ったっていいのに!」
とたんにサスペンスの香りがただよい、ウェイクはハッと息をのんだ。
クロウハイムのこんぺいとうは、深い紫色を基調にして、カラフルなシュガーチップをたっぷり含んでいた。メリーが結んだリボンも、燃えるように真っ赤で、光をはねかえすキンキンのラメ入り──
「さっきのこんぺいとうは、妙にギラギラしていたな。
レシピは “切なさ、苦しさ、やがてくる幸せ” だと言っていたが、もしかして……」
ウェイクが身を乗りだす。少女は、真剣な表情でぱちりとまばたきした。
「ええ、かくし味をひとさじ。
希望じゃなくって “野望” なんて、はじめて入れたわ」
その夜。
クロウハイムは、こんぺいとうをとなりに置き、宿の一室で眠りについた。
目を覚ますと、景色はくるりとさまがわり。
純白の柱がたくさんならぶ、とびっきりおしゃれな聖堂の真ん中で、彼は感激にふるえた。
「おお、なんとすばらしい…… 大魔法の神殿、私が思い描いたとおりだ!」
ここはよく知っている場所── 頭の中にいつでも広がっている、秘密の願望だった。
白くかがやく廊下の先から、小さな声がした。
「クロウハイムさん。どこにいるのですか?」
「おやおや、夢の中くらいヨハンと呼んでくれ」
彼は上機嫌で足を進め、祭壇を見あげた。
みずみずしい花を敷きつめた玉座に、お人形のような魔法つかいが座っている。やぼったいローブ姿ではなく、シルクとシフォンを何枚もかさねた神秘的なドレスをまとって。
イザベルは、とまどって聖堂を見まわした。
「塔も時計もありません。みんなはどこですか、一体どうしたのでしょう」
「田舎町のことなどもう忘れて。
君のために、王都にこの神殿を建てます。よみがえった魔法つかいをたたえ、誰もがひざまずくでしょう。
一緒にきてくれたら、地位と栄光、望むものすべてをあげるよ」
彼のささやきは、うっとりするくらい優しい。
手をとられるままに立ちあがったイザベルは、自分の服装に気づいて目を丸くした。
「結婚式、でしょうか?」
青年がたまらず噴きだす。
「そうしてもいい、君が望むなら! さあ、理想の愛を与えれば、私にしたがってくれますか」
イザベルはますます困り、ゆるやかに首をふる。
「いいえ、私は……」
クロウハイムが、つないだ手に力をこめてさえぎった。
「答えるんだ。君になにをささげればこの夢は実現する?」
まなざしがギラギラと強まった。
イザベルはとっさに身を引こうとする。その細い肩に、すかさず腕がまわされた。
「けっして逃がしはしない。
君はどんな宝石よりも価値がある…… 利用する値打ちが!」
隠れた心がひらかれた、そのとき。
聖堂の入口の方から、チリンチリンとのどかな音が聞こえた。
ペダルが鳴り、タイヤが軽快にまわる気配。
カタン、と段差をのりこえて、自転車がやってくる……
イザベルの顔がパァッと晴れた。
アメジストの視線は、目の前の青年を通りこし、ずっとずっと先へ。つややかな唇がほころび、愛情いっぱいに名前を呼んだ。
「ステファンさん!」
その瞬間、クロウハイムの腕の中で紫の花びらがはじけた。
「な、なんだ!? イザベル、どこだ!」
抱きしめようとした魔法つかいの姿は、すでに消えている。青年は取り乱して叫んだ。
「メリー・シュガー!
悩みを解決だなんて嘘をついたな。これは君のつくったこんぺいとう芝居だ、私は見抜いたぞ……!」
少女のお返事のかわりに、ここにあるはずのない時計塔の鐘が歌いはじめる。それはいくつもかさなって、野心家の夢をおおって、そうっとフタをした。
次の日の朝。
メリーはがんばって早起きして、熱い紅茶とカリカリのトーストでお腹をあたためた。
それからもこもこに厚着をすると、7時の鐘が鳴る前に時計塔へむかった。
「おはよう、メリー。こちらは異常なしだ」
高台のてっぺんには、すでにウェイクが待っていた。
ぐるぐる巻きにしたマフラーで視界の半分を隠してきたので、それほどダメージを受けていない。
彼のとなりで、自転車を引いたステファンが心配そうに頭をさげた。
「どういうことでしょう、ミス・シュガー。クロウハイムさんが、なにかたくらんでいると聞いたのですが」
「ええ、昨日ウェイクと話したとおりだったわ。
あの人はね、イザベルさんを人気あつめに使って、強い力を手に入れようとしているの。恋なんてしていなかったのよ」
メリーが息を白くして説明すると、塔の上で鐘が鳴りはじめた。
最後のひとつに耳を澄ませ、3人はうなずきあう。
「それじゃあ、イザベルさんにお話ししにいきましょう! ……あら?」
ばたばたと足音がして、彼女はふりむいた。
すごい速さで坂をのぼってくるのは、毛皮のマントをなびかせた野心家・クロウハイムだ。
「ああ君たち、そこをどいてくれ!」
ウェイクが前に出てせきとめる。
「どうしたんだ、視察官。もくろみがばれたので実力行使か?」
「ばかを言うな、私は彼女に会わなくてはいけないんだ」
クロウハイムは、必死な顔を隠しもしない。
日ごろのおしゃれっぷりもどこへやら、髪も服装も乱れきっている。
「……なんだか、様子がおかしいみたい」
メリーがステファンにささやいたとき、塔の扉がひらいた。
番人がびっくりして歩み出る。
「みなさんおそろいで、どうされたのですか?」
クロウハイムの動きはすばやかった。
サッと片膝をつき、イザベルへ手を差しのべる。もう一方の手をわが胸にあて、思いきり声を張った。
「いとしのアメジスト、君こそは私の夢。
どんな望みも色あせる、かがやく恋の夢だ。どうかプロポーズを受けてくれ!」
「えっ……」
イザベルも、メリーたちも、そのへんを歩いていたハトたちも、みんな凍った。
少し前のこと。
夜明けとともに飛び起きたクロウハイムは、ベッドに転がってじたばたした。
「ま、まだだ。まだ方法はある!
あの魔法つかいを手なずけて、私は神殿の長官に。たくさんの人にちやほやされ、栄光の、日々を、送り……」
威勢のいい言葉がしぼんでいく。
もう遅かった。
夢の終わりに見た、イザベルのまぶしい笑顔。それは彼の心をすみまで照らし、野望の影をすっかり取りさってしまった。
積年の願いを投げうって求めるのは、彼女の愛だけ――
彼は、今こそ燃えていた。
固まった空気をほどいたのは、郵便屋さんの悲鳴だった。
「ぜ、ぜったいだめです! イザベルさん、乗ってくださいっ」
彼は、ぽかんとしている恋人の手をとり、すばやく荷台に座らせた。急いでペダルを踏み、高台の道を逃げていく。
片思い青年に変身した視察官が、ふたりを追って駆けだした。
「待つんだイザベル、君の口から答えを聞かせてくれ。たとえノーと言われても私は諦めない……!」
塔の前に残されたメリーが、渋くつぶやく。
「ごめんなさい、イザベルさん、ステファン。失敗だったわ……」
ウェイクが少女の肩をたたいた。
「そんなことはない、君はみごとに陰謀を阻止したじゃないか。国の平和が守られたんだ」
彼は満足げに自転車を見送る。
黒髪をなびかせたイザベルは、ステファンにしっかり抱きついていた。こうして見ると、郵便屋さんの背中はけっこう広くてかっこいい。
ウェイクは、メリーにいたずらっぽく微笑んだ。
「魔法つかいの恋人は、なかなか頼もしいぞ。
この先どんなことがあっても、ぜったいになんとかしてくれる。俺はそう思うが、どうだろうか?」
(第27話 おわり)




