第27話 いとしのアメジスト! 1/2
郵便青年・ステファンへのあいさつが、変わった。
彼は今日も朝から仕事にはげむ。黒いカバンをさげ、自転車に乗って、ぴゅーっと冷たい風の中をやってくる。
すっかり葉が落ちた並木道から、町の人たちが手をふった。
「おおい郵便屋さん、大丈夫か!」
「あなた平気なの?」
「大事ないかねえ」
口々に言われたステファンはこう答える。
「は、はい! ぜったい大丈夫です」
言葉と反対に、メガネの上の眉はへにょっとさがっている。
しょんぼり顔で通りすぎていく彼を、みんなのため息が見送った。パン屋のおじさんが腕組みする。
「ううん、あいつには幸せになってほしかったんだがなあ、イザベルさんと」
「案外お似合いのカップルだと思ったんだけど…… やっぱり難しいかしら」
洗濯屋さんが首をふったとき、道ぞいに立派な馬車がとまり、視線があつまった。
ひらいたドアから、ステッキの先がにょきっと突きだす。
あらわれた青年は、のどかな町並みから浮き立つくらいにおしゃれだった。
ピカピカにみがいたブーツ(先がとがっている)の、もったいぶった足どり。毛皮つきのマントを華麗にさばき、ゆるやかにカールした前髪をふわっとかきあげる。
品のよい顔立ちは、自信にあふれる微笑みで飾られていた。
「ご苦労ご苦労、こちらでけっこう。お釣りはいらないよ、取っておいてくれたまえ」
彼は余裕たっぷりに御者をねぎらい、巨大な花束をしっかり抱える。背すじを伸ばして見あげるのは、高台のてっぺんの時計塔――
「いま会いにいくよ、わが愛しのアメジスト!」
大きなひとりごとで宣言し、道ばたの人々に目もくれず、長い坂をのぼりはじめた。
パン屋さんが、とびっきり苦い顔をみんなへむけた。
「ありゃ強敵だよ。なんといっても、炎の魔法つかいさまだからな」
朝の鐘が空に溶け、ハトの群れが羽ばたく。
時計塔の番人・イザベルは、窓辺に腰かけて考えこんでいた。白い手で広げているのは、このあいだ届いた大切な証書だ。
“イザベル・ティオさま
シープランド魔法史調査局は、
あなたが魔法つかいであることを証明いたします。
おめでとう☆彡*°
つきましては、キラキラの魔法時代の復活をめざし、ご協力をお願いしたいです。
レオール王国から譲られたという、黄金の砂時計。
失われてしまった魔法の砂を、あなたの力で満たしてください!”
闇の一族(かもしれない)ティオ家の魔法は、まわりにちょっとした迷惑をかけてきた。
メリーのこんぺいとうとぶつかったり、いい耳の持ち主であるステファンを悶えさせたり、ルシアを小鳥に変えて閉じこめてしまったり……
けれどこの前、ようやく役に立った。
「月まで飛ぶのに、ぴったりの歌をちょうだい」
と訪ねてきた、謎の青年・ヨル。
無事に彼を手助けできて、イザベルはそれまで感じたことのなかった深い喜びにつつまれた。
──もっとたくさんの人を助けられたなら、どんなにすてきだろう。あのふしぎな女の子、メリー・シュガーみたいに!
胸を躍らせた彼女は、さっそく魔法の研究にいそしんでいた。
メリーから借りた砂時計を慎重に持ちあげる。ちっちゃなガラスの器は、あいかわらずからっぽのまま。
「時をかぞえる伝承の歌。
これでも足りない、ということは…… 次の鐘には、どの歌を乗せましょう?」
難しい顔で首をひねっていると、カランカランと呼び鈴が鳴った。
「はい、ただいま」
急いで階段をおり、重い扉をあける。
そのとたん、冬の空気を押しのけて、みずみずしい花が目の前に咲いた。香る花束のむこうから、おしゃれ青年が笑顔をのぞかせる。
「おはよう、イザベル。
昨夜は特別寒かったね、凍えなかったかい? 温室そだちの春でせめてものぬくもりを!」
小柄な番人は、プレゼントに押されてちょっとずつ後ずさる。
「おはようございます、視察官さん。先ほどの鐘では、砂は溜まらなかったようです」
「それでは花を飾ってごらん。
ここは少し殺風景だからね、気持ちが晴れたらうまくいくだろう」
彼がさりげなく着実に顔を近づけてくるので、イザベルはあわてて花の陰に隠れた。
「クロウハイムさん、物をいただくわけにはいきません。あなたはお仕事でこちらへきて、私はただ協力を……」
「おっと、ヨハンでいいとあれほど言ったのに!
知りあったばかりだ、なんて遠慮はいらないよ。
さあ、ときめきの魔法の実験です。私の名を呼んでみてください、できるだけやさしくね」
こなれたウィンクと一緒に、最後のひと押し。イザベルは、季節はずれの色彩に埋もれて目をまわしかけた。
花びら的なひらひらした前髪を誇るヨハン・クロウハイム。
彼こそは、遠い都からやってきた、魔法史調査局本部の使者だった。
ウェイクからイザベルを紹介されて以来、
「魔法の研究のために!」
と、滞在先から通いつめている。
長い坂にも、塔の中の恐怖のぐるぐる階段にも、イザベルにはすでに恋人がいるという事実にもめげず、毎日毎日熱心に……
町のみんなは、敬意と呆れを半分ずつこめて、 “炎の魔法つかい” というあだ名を贈った。
「鎮火していただこう」
地方調査局員ウェイク・エルゼンは、コーヒーカップをソーサーへ置き、重々しく言った。
ここは町の紳士がつどうダンディーカフェ。渋さ満点の調度品にかこまれ、ステファンはそわそわと両腕をさすった。
「しかし、クロウハイムさんはきちんとお仕事をしているそうです。
イザベルさんも研究にうちこんでいますし、僕が邪魔をするわけには……」
「弱気になってはちみつミルクを飲んでいる場合か?
彼女はしっかりした人だが、詐欺的に惑わされてしまうこともありえる。早く対処した方がいいぞ、ステファン」
ウェイクはビシッと言い、灰色の瞳で友人を見据えた。
このところ、彼の機嫌はななめにかたむき気味。
調査局本部が、メリーのこんぺいとうを魔法だと認めてくれなかったからだ。
“出身地: たぶん、夢
家族構成: パパとママは、魔法の中にいるのかも?
……この内容では審査ができません。
詳しい経歴をそえて、もう一度申請してください。”
そんなお返事を受けとったこんぺいとう少女は、がっかりしつつも落ちついていた。
「なんとなく予想できたわ、封筒がレースペーパーみたいにペラペラなんだもの。
イザベルさんが認められて、本当によかった!」
メリーは自分のことみたいに喜んだけれど、ウェイクの心は晴れない。
ごちゃごちゃの机からスプーンをとり、ガラスびんのふちをカチカチたたくと、めずらしくすねたようにつぶやいた。
「本部は頭が固すぎる。出自があいまいだろうが、君は君なのに」
メリーは、輪っかのみつあみを揺らして彼を見あげた。
少女の大きな瞳は、青空と夜空をあわせたように澄みきっている。
「ありがとう、ウェイク。
あなたががんばってくれたことは、私の宝物。いつまでも忘れないわ」
それから戸棚に歩み寄り、金色の砂時計を取りだす。
本部のメッセージのおまけに、 “あれを貸してください☆” とちゃっかり書いてあったのだ。
彼女の手の中で、黄金の枠がにぶくかがやく。
メリーは、お砂糖細工みたいなライオンをやさしくなでた。
「しばらくお別れね。イザベルさんなら、きっと魔法の砂を見つけてくれる……」
健気な笑顔を思いだすと、ウェイクの胸の奥がぎゅっと絞られた。目をふせた彼をステファンが気づかう。
「ミス・シュガーは残念でしたね。
クロウハイムさんにこんぺいとうを贈るのはどうでしょう? きっと、本部の考えも変わりますよ」
「あの派手派手しい視察官どのには、悩みごとがないそうだ。
メリーを紹介したとき、 “ちっぽけな星など、私には不要だよ” と笑っていた」
生真面目な表情に、静かなる負の感情がこもっている。ステファンはついつい微笑んだ。
「ウェイクさん、本当にミス・シュガーのことが好きですね」
「うん」
素直にうなずいた青年が、ふたたびキリッと視線をむける。
「君だってイザベルさんを愛しているだろう。この危機的状況を黙って見ているというのか?」
「ぼ、僕は彼女を信頼しています。絶対に大丈夫です!」
ぐっとこぶしを握った彼の肩に、カフェのマスターがやさしく手をかけた。
「絶対というものは、この世にないんだよ。いくら信じていたって、人の心はカードのように裏表……」
常連客からも次々とダンディーな忠告がもれる。
「実は私にも、ビターエンドの恋物語があってね……」
「川のほとりで、ひと夏の約束。なんとはかない夢だったことか……」
コーヒーの香りと紳士の後悔が、ゆらゆらうずまいてステファンをおそった。
「みなさん、おどかさないでくださいよー!」
彼が情けなく声をあげたとき。
背後のドアが、ゆっくりと開いた。
真冬の逆光の中に浮かぶ、輪っかのみつあみのシルエット。少女の甘い声が、せいいっぱいの渋さをまとって言った。
「お困りのようだね、ステファンくん」
「メリー・ダンディー・シュガー。きてくれたのか」
ウェイクが深々とうなずき、彼女のために席をあける。
渋かっこいい立て襟コートを着たメリーは、ほっそりした指でハンチング帽を押しあげた。
「もちろんよ、ミスター・ダンディー・エルゼン。
諸君、どうやらお砂糖の星がかがやく時のようです。魔法つかいになれなくたって、私のスプーンはとまらないわ!」




