第26話 仮面の下には誰の顔?(後) 2/2
ネックレス捜索隊が駆けつけたとき、舞踏場はおやすみの時間をむかえていた。
楽団が心地よいセレナーデをかなで、お客さまはシャンパンやワインをかたむける。メリーは、きらきらゆらめく広間を見わたした。
「わあ、仮面をつけたままの人がいっぱい! マリオンはどこにいるのかしら……」
「みなさん、なにか手がかりがあったでしょうか?」
心配顔のクリスティーヌが速足でやってきた。つま先で伸びあがったメリーが、こっそり告げる。
「あのね、ネックレスはここにあるの。怪盗少女がお客さまの中にまぎれているんです」
「まあ、なんということ!」
姫君は思わず声をあげ、あわてて口もとを押さえた。
エルフ王子・ジェシオがあたりを見まわして尋ねる。
「姉上。俺たちがいないあいだに、変わったことはありませんでしたか」
「ええと、ハーティスお兄さまが白旗をあげたくらいかしら…… つい先ほど撃沈され、今はあのように」
クリスティーヌがすみっこに置かれたついたてを示す。
椅子に横たわる長い脚がのぞいていて、苦しげな寝言が聞こえた。
「ああ、床が、天井が…… 世界が、まわ、る……」
姫君たちにどれだけくるくるされたのだろう、想像したウェイクが青ざめた。
「次期国王がたおれるとは、怪盗出没をうわまわる大事件じゃないか。メリー、彼を安らかにしてやれないだろうか?」
「そうね、ハーティスさまのために穏やかな夢を! ええっと、スプーンはお借りできるかしら」
黒猫少女がきょろきょろする。ジェシオがすばやく手をあげ、トレーを運ぶ召使いを呼びとめた。
「君、ミス・シュガーに最高のスプーンを」
「はい、かしこまりました!」
飛んできた召使いの腕には、折りたたまれた美しい布がかかっていた。真新しいテーブルクロスだ。
王子がふと動きをとめる。それに気づいたメリーは、彼を見あげた。
「どうしたの、ジェシオさま」
「いえ、たいしたことでは……」
あいまいに首をかしげるジェシオ。けれど少女は、力をこめて言った。
「どうか聞かせてください。
ささやかなものに心をむけられる。それがあなたに備わった素質なんだわ」
「俺に備わった……?」
「そうです! 国のみんなを守ってくれる、やさしい王族の力」
メリーは明るく言いきった。
ジェシオの端正な顔に、驚きと喜びが走る。
やがて彼は慎重に話しだした。
「宴の最中にクロスを取り替えるのか、と思ったもので。広く汚れてしまったのか?」
尋ねられた召使いが首をふる。
「いいえ、おかしなことに、一枚なくなってしまったんです。あちらのテーブルなのですが……」
視線をむけたのは、金襴織の布をかけたテーブルの列。ひとつだけ木目があらわになっていて、グラスや水差しがじかに置いてあった。
よく見ると、きちんと整えなくてはいけないカトラリーも、花を盛ったカゴも、ちょっとずつバラバラにずれている。
とっても器用な誰かが、「えいっ!」とクロスを引きぬいたみたいに。
「これは、もしかして……」
ジェシオの目がかがやき、もう一度あたりを見た。
会場にはダンスの熱気が残っている。暑くなったご婦人方は、ファーやケープを腕にかけたり、席に置いたり。
楽しいおしゃべりに夢中で、パッと盗られても気づかなさそう──
豪華すぎるテーブルクロス、ひとさじ。
お客さまのケープを拝借して、ふたさじ。
宝石で飾った仮面をくわえれば……
即席のご令嬢のできあがり!
ジェシオは、メリーの手を勢いよくとった。
「変装の材料は、すべてここにあったんだ。
犯人は、テーブルクロスで偽装したドレスをまとっているんです」
少女の目が大きくなり、王子の晴れやかな顔を映す。
「それじゃあ、マリオンのドレスは金色なのね!」
「ええ。当てはまる女性を集めましょう!」
そう告げた彼は、ついたての奥へ走る。横たわっていたハーティスが、弱々しく手をあげた。
「ああ弟よ、私を助けにきてくれたのか……」
「兄上、どうかお許しを」
「えっ」
彼は兄の手を握り、ついたての外へ引っぱりだした。
息を吸いこんで、心を決めて、広間じゅうに涼しい声を響かせる。
「わがレオールの国の色、黄金のドレスをまとう淑女のみなさま。
どうぞこちらへお集まりを。
全員もれなくワルツのお相手をいたします、兄上と…… おまけに俺が!」
「なんですって、ハーティスさまにジェシオさままで!?」
「おお、これは粋なはからいですな!」
広間は一斉に沸きたち、盛りあがった。
けれど、その輪をそっと離れていく姿がある。そばにいた女性が声をかけた。
「あら、あなたのドレスも金色じゃありませんか!
はやく行かなくては、こんなチャンスめったにありませんわよ」
美しい黒髪を結いあげた令嬢は、仮面の下から緑の目をきつく光らせた。
「ダンスはもう結構。ここは暑すぎるわ」
彼女は落ちついた足どりで舞踏場を出ていく。庭へつながる大きな階段まで、あと少しという時。
しとやかに進む背中に、甘く凛とした声が飛んだ。
「どこに帰るの、マリオン? サーカスの夢の中かしら」
令嬢の歩みがピタッととまる。
メリーは、その後ろ姿を見つめてはっきり言った。
「また会えてとっても嬉しいわ。
けどね、私は赤毛のあなたの方が好き。仮面の下の本当のあなたが」
ひどくゆっくりした返事が通路に響く。
「……本当のあたし、ですって? あなた、あたしのことなにも知らないじゃない」
「それじゃあ、これから教えて。
困っているならお手伝いさせて。ほら、ちゃんとスプーンだって借りてきたの。かわいいライオンさんの飾りつき!」
メリーは王家のスプーンをピッとかかげた。
いつかルシアが言ってくれたみたいに、マリオンは今こそ夢のこんぺいとうを必要としている。そんな気がした。
怪盗少女の答えは、あざやかだった。
バサッ! と大きな音をたて、変装が一瞬で解かれる。テーブルクロスが宙を舞い、メリーに頭からおそいかかった。
「きゃあっ、ぜんぶ金色になっちゃった! こっちは前、うしろ!?」
布おばけになってもがく彼女を、走ってきたウェイクが抱きとめる。
「メリー、大丈夫だ! この先は衛兵にまかせよう」
「でも、マリオンが……」
すっぽり顔を出して見まわせば、怪盗少女はバルコニーの手すりの上に立っていた。
“今から逃げます!” というような、黒いブラウスと細身のズボン姿に変身ずみ。染めた髪まで真っ黒で、簡単に闇に溶けこめそうだ。
ウェイクが必死に呼びかけた。
「ばかな真似はよせ!
ここは巨大な宮殿の2階、クロックベルの平均的な建物のおよそ3.5階に相当……」
「計算がお上手ね。調査員より事務員になったら?」
皮肉に笑ったマリオンは、ひと息に夜空へ飛びたった。
「あっ」
小さく声をもらした青年から、サーッと血の気がひいていく。
「だめ、見ちゃだめ、忘れましょうウェイク!」
メリーは、ぐらりとかたむいた彼に、あわてて布をかぶせた。
軽々と着地したマリオンは、風のように庭園を駆けていく。
「いたか?」
「いや、あっちかもしれない!」
見当はずれの方角から衛兵の声が響く。逃げきれるわ、とにんまり笑った、そのとき。
カシャン、と乾いた音をたてて、目の前になにかが落ちてきた。
鎖のついた革の輪っか── 首輪が。
「な、なに!?」
危険を感じて足をとめた怪盗少女。うしろの暗がりから冷たいささやきが問いかけてきた。
「満たされた瞬間にカラになるもの、なぁんだ?」
マリオンはハッとふりむく。
誰もいなかった庭のすみに、しなやかなピエロがたたずんでいた。言葉をうしなった少女へやさしく微笑む。
「時間ぎれ。答えは、 “欲望” 」
長い指がパチッと鳴る。
その瞬間、マリオンの髪をまとめていたピンが、ひとりでにはじけ飛んだ。パサリとほどけた髪の中から、隠していたネックレスがこぼれ落ちる。
「あっ……!」
彼女は手を伸ばしたけれど、遅かった。
地面すれすれに飛んできたフクロウがお宝をさらい、宮殿へと一直線。
翼を見送ったピエロが、大きく優雅に礼をする。
「今宵の道化芝居、タネも仕掛けも大成功でございます。おやすみ、泥棒猫さん。僕楽しかったよ?」
最後に人懐っこく笑い、彼は影に消えた。
われに返ったマリオンは、悔しそうに髪をかきあげ、宮殿をにらみすえた。
「邪魔してくれたわね、メリー・シュガーと事務員もどき……
それからえーっと、今のあれ、あいつ何者よ!? 美少女怪盗よりはるかにあやしいじゃない!」
「あれっ、なんだか騒がしいな」
「人影があるぞ、行こう!」
ひとりごとを聞きつけた兵士が近づいてくる。
怪盗少女は、かっこいい捨て台詞を残すヒマもなく、あわてて逃げだした。
鏡のネックレスは、無事に姫君のもとに帰ってきた。
舞踏会はとどこおりなく、華やかにつづいている。フロアの真ん中では、クリスティーヌと大公が楽しそうに踊っていた。
その会場のすみで、ふらふらになった第一王子が、こんぺいとう探偵に歩み寄った。
「ああ、メリー・シュガー!
君はまたしても王家を救ってくれたのだな。感謝をこめて、お礼に一曲……」
「ハーティスさま、お疲れ笑顔もこんなにすてき……
じゃなくって、とっても踊りたいけれど、今はおやすみしてください!」
メリーは彼をイスへ押し戻した。
となりの席には、マリオンの華麗な飛びおり術を目撃してしまったウェイクが、テーブルクロスにくるまって崩れている。
「ふたりが復活したら、一件落着ね。
マリオンは逃がしちゃったけれど…… きっとまた会えるわ。あの子が求める、魔法のそばで」
息をついた彼女の前に、そうっと手が差しのべられた。
顔をあげれば、エルフの王子さまがじっと彼女を見つめている。
「兄上にかわって、俺がお相手を。受けてくださいますか、メリー・シュガー」
ちょっと緊張している、ナイーブなまなざし。
ふしぎな少女は、にっこり笑顔で手をかさねた。
「お星さまみたいに光栄です、ジェシオさま! 舞踏会、ちょっとだけお好きになったかしら?」
王子さまは恥ずかしそうにはにかんだ。
「そうかもしれません。あなたと踊ることができて、俺は嬉しい」
きらめく舞台を満たす甘いワルツ。
ふたりは仲よく笑みをかわし、楽しそうにまわりはじめた。
「うう、メリー、どうした。なにが起きているんだ……」
異変を察知したウェイクが、重たい頭をあげようとする。
ちゃっかり場にまざっていたヨルピエロが、犬青年を押さえつけた。
「まだ寝てた方がいいよ、ほんとだよ。さかさまの道化も、たまには正しいこと言うからね?」
彼は、王家秘蔵のヴィンテージワインをかたむけ、すっかりご満悦。ふたつめのパーティーがもう少しつづくといいな、と静かに微笑んだ。
(第26話 おわり)




