第24話 恋人たちの花束 2/2
夜はどんどん過ぎていき、みんなが夢を見てるころ。
ランプに照らされた靴屋は、デザイン画を描いては投げ、描いては投げていた。
「ちがう、これも違う!
色がよくないしバランスも悪い、モチーフが星じゃいけないっていうのか?」
もじゃもじゃの金髪をかきまわし、お皿に空けたこんぺいとうに熱視線をそそぐ。
彼が見るはずだった夢が作業場に広がって、あたりはちょっとずつ変わりはじめた。
座っているイスは切り株に。テーブルの脚は、ゆるやかにからみあう草のツルに。棚から新芽が伸びだして、ちょうちょが舞い花が咲き──
秋の夜長の片すみに、小さな春のできあがり。
けれど、シュッツの目に映るのは、幻の完成品だけだった。
あれでもないこれでもない、と、ものすごいスピードで紙を走る色えんぴつ。
危険を感じたレインは、なんとか彼をとめようとした。
「シュッツさん、もうおやすみして。メリーのこんぺいとうは朝までもたないんだよ!」
靴屋は、ずーんと据わった目で彼女を見つめた。
「かわいいリス、リスはかわいい。
祝う心を小動物にたくして…… いや、いっそ大動物にしよう! クマ、ゾウ、キリンはどうだ?」
こだわり屋の青年は、自分の頭の中ですっかり身動きが取れなくなっている。レインはあたふたと森を見まわした。
「だめ、シュッツさんってば煮詰まったジャム。こげちゃう前に溶かさなきゃっ」
すると、彼女に応えるようにランプの明かりが揺れる。
満開のフリージアのあいだから、かわいらしい妖精が顔を出した。
シフォンとレースいっぱいのドレスを着て、花冠をかぶって、夕焼けのバラ色の瞳を丸くして。
「まあ、なんだかそわそわすると思ったら、こういうことだったのね!」
「メリー、きてくれたの!」
レインが声をあげて駆けよった。
リスとおんなじ大きさになったメリー・フェアリー・シュガーは、ふわりと机に舞いおりた。金色の髪がなびき、うすいピンクの羽がきらめく。
彼女の手をとったレインは、不安げに首をかしげた。
「夢と現実がまぜこぜなの。おしゃべりできるのは嬉しいけど、大丈夫かな?」
「ええ、こんぺいとうが小粒だから、お外までは影響しないと思うわ。それにしても、靴屋さんは徹夜のかまえね……」
青年は、苦しげにうめきながら髪をかきまわしている。
ふたりはハラハラして顔を見あわせた。決心したメリーが、妖精らしい軽やかさでうなずいた。
「今夜、夢には頼れないみたい。私たちで、デザインのモチーフさがしを手伝いましょう!」
「青空をわたるハトの羽」
「近い」
「ほころびかけたアーモンドのつぼみ」
「惜しい」
「パンジーのワルツの譜面」
「それはさっき聞いたよ、ニュアンスが少し違うんだ」
腕を組んだシュッツが首をひねり、レインは足踏みして考える。
「ええっと、それじゃあ、フライパンで乾煎りしてハチミツをたっぷりからめたクルミ!」
「それはいま君が食べたいものだよな!? やっぱりだめだ、どこにもモチーフがない!」
悲痛に叫んだ青年は、草花が芽吹く魔法のテーブルに倒れこんだ。
時刻は深夜も終わりかけ。
さっきまで当てっこを先導していたこんぺいとう妖精は、ついにくたびれはて、百科事典にもたれて眠ってしまった。
レインは必死に首をふる。
「わ、わたしががんばらないと。
クロックベル魔法史調査局代表として、ウェイクくんの同僚として……」
けれど、野生の勘を誇る特命調査員も、さすがに限界。
よろよろ尻もちをついたとき、ケープの内ポケットのふくらみが肩にふれた。なりゆきを朝まで見届けるつもりだったので、ウェイクが夜食を持たせてくれたのだ。
レインは、ドライアプリコットのかけらを取りだし、げっそりした青年を見あげた。
「シュッツさん、ナイフはあるかな。これを3つに切ってくれる?」
「……私はいいよ。君と妖精で食べてくれ」
「ううん、あなたも休憩するの。わたしたちみんな、とっくにこげこげのジャムなんだから」
靴屋はなにも言わなかった。
けれど、転がったデザインナイフを拾いあげ、親指の爪くらいのドライフルーツをきっちり3つにわけた。自分のぶんを口にほうりこみ、深いため息をつく。
レインもやっと息をつき、甘酸っぱい果実を味わった。
ウェイクくんがくれた、わたしの大好きな食べもの……
彼女はハッと顔をあげた。
「わたしたち、大切なこと忘れてた。
ソフィーさんに贈る靴なら、彼女の好きなモチーフをあしらえばいいんじゃない?
ねえ、あのお嬢さまはなにが好きなのかな!」
「カート・アスターだろう」
頬づえをついたシュッツが、ぽつりとつぶやいた。
前髪のかかった目は、森の作業場のもっと遠くを見つめている。そうして苦笑した。
「けど、刺繍はできないな。私は彼の顔を知らない」
「シュッツさん……」
レインはとことこ歩み寄り、青年の腕にちっちゃな手をおいた。
「あなた、やっぱり、ソフィーさんのことが」
しかし相手は、急にキリッとして早口になった。
「いやそんなことはない。
彼女はすばらしい女性だ、すてきな相手と結婚すると思っていたよ。
しかしそれは社交界を通したごく一般的なプロポーズをうけてのことだと…… まさか、彼女があんなに勇気を出し、ひとりの男性を追い求めるなんて……」
「わあ、ややこしい人!」
「知ってるよ、自覚はある、嫌というほどわかってる!」
シュッツが勢いよく両手をあげ、天をあおいだ。
飛んでいってしまう前に引きとめないと! レインは思いっきりしっぽをふって、大きな声で言った。
「まだ強がるなら、わたしもメリーも帰っちゃうよ。
そしてあなたは、すてきなお嬢さまにやけっぱちのサーカスみたいな靴をプレゼントしてびっくりさせちゃう! そうなっていいの、シュッツさん?」
青年は、煮詰まったジャムの絶望の顔でレインを見おろした。
つぶらにかがやくリスの瞳は、怒ってもいたけれど、それ以上に彼を励まそうとしていた。
頑なな気持ちが溶けていく。
彼は何度もまばたきして、ようやく口をひらいた。
「……憧れていたんだ。恋じゃない」
レインはしばらく彼を見つめていた。今の言葉が結晶になって、ふたりのあいだに浮かんでいるみたいに。
心の形をなぞってから、そうっと返す。
「恋じゃなくても、恋より痛むことだって、あるよ」
シュッツは少し考えて、寂しげに笑った。
「本当にややこしいな、私は」
開いた両手をじっと見つめる。
ひと休みは、もうおしまいだ。靴屋の明かりは、お日さまが顔をのぞかせるまで、ずっと消えなかった。
それから数日後。
メリーとウェイクは、閉まりっぱなしの靴屋を不安顔で訪ねた。
ドアをたたいたウェイクが、真剣な様子で耳を澄まし、首をふる。
「音がしないな。レインの定時報告によると、朝から晩まで作業しているはずなんだが」
「大丈夫かしら、シュッツさん。そろそろご飯を食べないと……」
メリーは、パンやリンゴを入れたバスケットをぎゅっと抱く。
ウェイクがもう一度ノックしようとしたとき、思いがけず元気よくドアがひらいた。
「やあこれは、調査員が妖精をつれて!
夢の国で事件発生か? 私はなにも証言できないよ、このところ一睡もしていないからね」
靴屋はとっても上機嫌で、
すさまじくやつれていた。
ふたりは、ふらふらのシュッツを作業場に運び戻した。
ごちゃごちゃを極めた机の上を見ると、きれいな靴箱が乗っている。そのとなりでレインが丸まって眠っていた。
「任務完了だな、レイン」
ウェイクが感慨深くつぶやき、メリーの瞳がかがやいた。
「ソフィーさんへの贈りもの。完成したのね」
笑顔でのぞきこまれたシュッツは、ちょっと恥ずかしそうにうなずき、箱を開けた。
純白の光を帯びた靴が、光の下にあらわれる。
刺繍で描かれたのは一本の繊細なリボンだった。
淡いオレンジからピンク、それからすみれの紫へ、やさしく変わっていく春の色。ふちをひとまわりし、つま先でめぐりあって結ばれている。
大切な人の幸せを願う、どこまでもやさしい形に。
「まあ、シュッツさん……!」
メリーは、胸がいっぱいになって、なにも言えずに靴屋を見る。彼はとっても晴れやかに笑った。
「“恋人たちの花束” に、花はいらなかったんだよ。
愛しあう二人の心が、なにより美しい花になるんだからね」
メリーとウェイクは、刺繍糸みたいになってしまったシュッツを休ませ、食事のしたくに取りかかった。
「ゆで卵にハムとチーズ。
ルシアが焼いてくれたナッツとシナモンの絶品ケーキ、レインにもたっぷりあげないと! ポットはどこかしら?」
かちゃかちゃはたらくメリーに、カップを拭いていたウェイクが声をかける。
「メリー、君がほしがっていた靴だが……」
「そうだったわ、妖精さんのすみれの靴ね。
お店が再開したら、ためし履きさせてもらおうっと。ぴったりだったら買っちゃうの」
にこにこの少女に、青年がせき払いをする。
「いや、その靴だが、残念だったな、と」
「えっ」
メリーの時がとまる。
彼女は、なにかを察してすばやくキッチンを出ていった。すぐに悲鳴が聞こえてくる。
「ああっ、靴がまっしろ! すみれもフリージアもマーガレットも、ぜんぶ消えちゃった!」
重圧から解放されたシュッツが、ひょうひょうと言った。
「そうそう、あの夜にね。
作業場がよく茂ると思ったら、どうやら私の刺繍が森になっていたんだ。誰かの夢の中で咲いてるかもな」
「シュ、シュッツさん、注文を受けてくださる!?
もちろん元気になってから、無理はしないで、後まわしでもいいの……!」
必死な乙女の頼みを聞きながら、ウェイクの唇のはしが自然とあがる。彼は小さくつぶやいた。
「俺は、そういう君が好きだ」
ピィッと沸いたケトルの蒸気に、見えない花が揺れた気がした。
(第24話 おわり)




