第24話 恋人たちの花束 1/2
お買いものは、楽しくって危険。
ショーウィンドウが並ぶ小道には、寒さに負けずたくさんの人が歩いている。すてきななにかとの出会いの予感、わくわくドキドキ、ちょっとひやひや。
その中に、輪っかのみつあみの後ろ姿が震えていた。
「ああ、なんて…… なんてかわいらしいの……!」
メリーが見とれているのは、淡い空色にかがやくサテンの靴。
ほっそりしながらも丸みがあって、ふちのカットは深すぎず、かかとは上品に高い。
そんな乙女らしい形を引き立てているのが、すみれの花の刺繍だった。
白から紫へ移る、みずみずしいグラデーション。ひときわ大きな花びらに、朝露のクリスタルが、ひとつぶキラリ。
「春の妖精さんの、よそゆきの靴」
呆然とつぶやいた少女は、あわてて首をふった。
「だめ、いけない!
このあいだブーツを新調したばかりだし、衝動買いはよくないわ。お砂糖をはかるときみたいに堅実にいきましょう、メリー・シュガー」
そういっても、なかなかお店を離れられない。
頭のすみっこでもうひとりのメリーが声をあげる。
このところ、こはくとうの材料さがしで遠出つづき。あなたはとってもがんばったわ!
だからね、自分にごほうびをあげたっていいんじゃないかしら。
ほら想像して、すみれの靴をはいたなら……?
「そうよ、吹雪の夜にも春の夢。妖精気分でメア・ディム・ドリム!」
彼女はバッグを抱きしめ、ひと息に値札をのぞいた。
“見本です お売りできません”
青い瞳がまん丸くなる。
「ええっ、そんな! それじゃあ、こっちのフリージアの靴は?」
“これも見本です ごめん”
「……!?」
びっくりしたメリーは、ぜんぶの靴を確かめる。
見本、見本、また見本…… 驚きのあまり固まっていると、お店のドアが開いた。
「悪いな、お嬢さん。カーテンをおろすのを忘れてたよ、今日は閉店なんだ」
長身の青年が頭をさげ、もじゃもじゃの金髪をかきまわした。
やせた頬と鷲鼻、かすれた声がするどい印象を与える。けれど、前髪に隠れた目は穏やかで、疲れて悲しげに見えた。
引っこもうとする彼をメリーがとめる。
「あの、ここは売り物のない靴屋さんですか?」
「 “売れる物がない” 靴屋だ。どれも出来がよくないだろう」
「まさか、こんなにすてきなのに! このすみれの靴なんて、本当に魔法みたい」
身ぶり手ぶりで訴える少女を、青年が微笑んでさえぎった。
「ありがとう、けど不完全なんだ。しばらく消滅するよ」
「待って消えないで、ここにいて!」
乙女の叫びをドアが無情にはねかえした。
シャッとカーテンが引かれ、ウィンドウも閉ざされる。メリーはその場に崩れ落ちた。
「あああ、すみれの、妖精さんの靴……」
ちっちゃくうずくまって嘆いていると、通りかかった女の人がやさしく肩にふれた。
「元気を出して、お嬢さん。
私もシュッツさんの靴を待っているのよ。今はね、贈りものの特別な靴をつくるのにかかりきりなんですって」
「贈りものの、特別な靴?」
ぱちぱちまばたきすれば、銀のスプーンが心に踊る。
閉じた靴屋の秘密をひとすくい、ふたすくい。クロックベルに戻っても、メリーの忙しさはつづくようだった。
「ああ、だめだだめだ。こんな図案で最高の靴ができるもんか!」
靴屋の青年は、色えんぴつをほうり投げ、イスの上に引っくりかえった。天井まである棚は、木型や材料でぎゅうぎゅう詰め。それと反対に、彼の頭の中はからっぽだ。
気持ちばかり焦っているところに、ノックの音がする。きびきびした青年の声が届いた。
「魔法史調査局だ。
この店で魔法が使われている可能性がある、と聞いた。調査に協力してくれ」
「ああもうっ!」
靴屋・シュッツは、髪をかきむしって立ちあがり、勢いよくドアを開けた。
黒っぽいマントと帽子をつけた青年が、驚いて彼を見あげる。シュッツは相手を制して言った。
「そのうわさは間違いだ。
私に魔法が使えたら、スランプとは無縁だからな。それじゃあ失礼するよ」
さっさとドアを閉めようとした、そのとき。
調査員のマントの襟もとが、もぞもぞ動いた。
つい視線をむけると、なんともかわいいリスがぴょこっと顔を出した。リボンつきケープでおしゃれまでしている。
シュッツの目が釘づけになったのを見て、調査員ウェイク・エルゼンがうなずいた。
「彼女はレイン、好物はクルミとアプリコットジャムだ。
特命調査員として本件の聞きこみを担当する。おまけの俺を含め、中に入れてもらえるだろうか?」
かわいい靴をつくる人物が、かわいい動物の魅力にあらがえるはずがない――
少女(クロックベル高台在住)の証言から展開した華麗な推理によって、現場に踏み入ったウェイク。デザイン画、色えんぴつ、さしかけの刺繍生地が埋めつくす床を、慎重に見まわした。
「検証1、見事にごちゃごちゃしている。メリーの机の上のようだ」
それから、ウィンドウに並んだ見本の靴をながめる。
メリーにはすみれの靴がいちばん似合う、と指さし確認して、棚に納められた靴も調べてまわる。
「検証2、どれもいい品に思える。どこが不満なんだ、ミスター・シュッツ」
イスに座ってレインをなでていた靴屋は、ふてくされて答えた。
「どこって、なにもかもさ。
すまないが、うろうろするだけなら帰ってくれないか?
特命調査員は永遠にいてくれてかまわないけど、君は刺繍のモデルにもできないし……」
ウェイクはもう少しうろうろして、静かに足をとめた。
「検証3。
いま取り組んでいる特別な靴は、ソフィー・マーシャル嬢へ贈るらしい」
シュッツがはじかれたように顔をあげる。
調査員は、壁に貼られた新聞の切り抜きを見つめていた。尋ね人の広告に大きな赤丸がついている。
“カート・アスター氏をさがしています”……
ウェイクが視線で問いかけると、靴屋の青年は渋い顔で肩をすくめた。
「別に、隠していたわけじゃない。ソフィーお嬢さんは私の恩人なんだよ」
彼は以前、よその町の靴工房で働いていたという。
そのかたわらで服飾展示会に自作の靴を出品しつづけ、初めて目をとめてくれたのがソフィーだった。
「私の名を添えて、マーシャル縫製店のディスプレイに飾ってくれてね。それが評判になって独立することができたんだ」
そう語るシュッツは、さっきまでのやつれたふくれっ面が晴れ、いきいきかがやいている。
ウェイクは彼をじっと見つめた。
「恩人。なるほど。理解した」
「あっ、ぜんぜん信じてないな。
とにかく、ソフィーさんが大事な男性を探しているようだから、私なりに元気づけたいと思ったんだ。 “恋人たちの花束” というテーマで、最高の靴を贈ろうってね」
思い立ったはいいけれど、デザインが決まらず早2ヶ月。
試行錯誤するうちに、それまでつくった靴も気に入らなくなってしまって、ただいま毎日閉店中…… というわけだった。
呆気にとられたウェイクは、心からの感想を伝える。
「ややこしい人だな、君は」
「ありがとう。自覚はある」
憔悴して笑うシュッツを、レインが気づかうように見あげている。ウェイクは、散乱したデザイン画を拾いながら穏やかに告げた。
「俺もレインも、君の力になりたいんだが」
意外な申し出をうけて靴屋は戸惑う。
「力って言われても…… 作業はひとりで進めるし、手伝ってもらうことはないよ」
「ああ、靴づくりは君の領分だ。その前準備として……」
灰色の瞳をあげ、ウェイクは言った。
「夢を見てほしい」
窓からの光がさし、彼に少しだけ魔法のベールをふりかけた。
その日の夕方。
休業中の靴屋のもとに、小さなこんぺいとうが届けられた。
それは本当にちっちゃかった。極小ビンを抱えて窓辺にやってきたレインを、シュッツが驚いてむかえいれた。
「おや、君がひとりできたのか! ということは、それが “夢” だな?」
(そう、とっておきの春の夢だよ!)
レインは、自信たっぷりにミニチュアこんぺいとうを差しだした。
刺繍に組みこむビーズくらい小さな、けれどしっかりトゲのある、お砂糖の粒。若葉につぼみ、小川のきらめきをつめこんで、春の空色のリボンを結んである。
お届け役を買ってでた彼女のために、メリーとウェイクは星砂みたいなこんぺいとうをつくった。
「ああっ、小さすぎて見えなくなっちゃった!」
「鍋まわしが速すぎたのか、それとも角度の問題か!?」
と、ごちゃごちゃの机にかがみこんで、ものすごく苦労しながら。
(さあ、シュッツさん。
最高の贈りものにぴったりなモチーフ、きっと見つかるよ)
レインが眼をきらきらさせ、しっぽをふった。
「ええっと、ビンを開けて眠れ、だったな。ひとつやってみるか……」
彼は、ウェイクから説明を受けたとおり、ベッドのわきで慎重にフタを開けた。
ランプを消し、吹けば飛んでいってしまいそうなこんぺいとうを横目に、夢の世界へ――
行かなかった。
「そうか、わかったぞ!」
彼はがばっと起きあがり、消したばかりのランプをともした。
(シュッツさん、どうしたの!?)
レインは飛びあがって駆けおりた。ガウンを引っかけた青年は、筆記具を用意しながら熱っぽく語る。
「花束といっても花である必要はないんだ。
たとえば星だよ、ほら、この可憐なこんぺいとうをごらん!
いちばんきれいな春の星座を、刺繍の図案に落としこんだらどうだろう? 星座早見表はあったかな……」
靴屋の瞳が燃えている。
メリーの星の砂糖菓子は、行きづまった職人魂に思いがけない火をつけてしまった。




