第23話 ブルームーン・ティー 2/2
時計塔の番人・イザベルは、きょう最後の鐘にそなえ、たえまなく動きつづけるしくみを確認していた。
白い指がくるりと天井を指し、アメジストの瞳にランプの灯がかがやく。
「すべて順調です。あとわずかで17時…… あら?」
かたわらの小窓へふりむくと、音もなく翼が降りたった。
立派なフクロウに見覚えがあり、彼女は微笑む。
「こんばんは。今日はおふたり一緒ですね」
「ほら、すぐに見抜く。君ってそういう人」
フクロウは、ふてくされた青年の声でしゃべり出した。
ただしいつもの威勢はなくて、イザベルが手を差しのべると、ビクッとはねて窓枠にくっついた。
細長くなったフクロウを前に、美しい番人はちょっと傷つく。
「そんなに怯えなくても。私は狩人ではありませんよ」
ヨルフクロウの警戒はとけない。
メリーがこんぺいとうの調子を崩したのも、彼が鐘の音を嫌いになったのも、イザベルの力がはたらいたからだ。
どういうわけか、ふたりには彼女の不完全な魔法が深く作用するらしい。
「ねぇ、その手を引っこめて。
君は僕をバラバラのお砂糖にする…… ステファンはこのスリルがやみつきなのかなぁ」
郵便屋の青年の名前があがると、イザベルの笑みは微妙に色が変わった。
この秋、クロックベルの男性陣に激震が走った。
「大変だ、時計塔のイザベルさんに恋人ができたぞ!」
「ええっ、なんだって!?」
大ニュースが飛びこみ、紳士ご用達のダンディーカフェがざわめきたつ。たまには女の子抜きで、と気まぐれにくつろいでいたヨルは、頬杖をつき行方を見守った。
「相手はどこの御曹司だ、土地持ちか」
「ひょっとして貴族じゃないか?」
「いや、郵便屋だよ。ステファン・フォンターナ!」
「なっ……」
まったくのノーマーク、なんというダークホース。
静まりかえったカフェの前を、当の本人がチリンチリンと自転車で通りすぎていった。
のん気で素朴な姿を思いだし、ヨルフクロウは首をかしげる。
「君はステファンのどこが気に入ったの。メガネ、封筒をわたす手つき、それとも自転車の漕ぎ方?」
イザベルはまばゆい笑顔で答えた。
「耳です」
「こわい。つまりステファンは、君のかけがえのない耳?」
「はい」
「やっぱり怖い」
鳥がいっそう身をちぢめたとき、頭上で大きな鐘がゆらりと動き出した。カーン…… と尾をひいて、音が町に広がる。
「あっ、いけない。早く歌って、紫水晶の見張り人」
フクロウがあわただしく翼を広げ、イザベルは目を見開いた。
「歌う?」
「魔法つかいの秘密。月まで飛ぶのにぴったりの歌をちょうだい!」
(私からもお願いしたい)
と、低く聞こえてきたのは、ヨルに隠れたフォレスタの言葉だ。イザベルは彼へ気持ちをむける。
(しかし、私の魔法は誰かの迷惑になります)
(郵便屋が悶絶するかもしれないが、人助けのためだ。どうか思いきりやってくれ)
(役に立てるのですか。正体不明の闇の一族の伝承が……)
(ああ。あなたでなくてはできない)
背中を押された番人の心に、たくさんの歌が顔を出した。唇がひとつを選びだす。
白の月に青のベールをかける、ゆるやかなバラード──
それは夜に属する翼へ風をあたえた。音の魔法に乗り、フクロウが宵空へ飛びたつ。
(ありがとう、イザベル)
最後に届いたささやきは、青年自身のものだった。
うっすら浮かんだ白い月。
そこへたどりつくより早く、夢が鳥をつかまえた。
パッと光がひらめいた次の瞬間、ヨルは少年の姿でふしぎな庭園に立っていた。
真っ暗な天に数えきれない星がきらめき、一面の花々を照らす。
遠くに大きな柱をたたえた宮殿が見えるけれど、人の気配はない。すべてがひっそりして、美しい水色の影の中にあった。
ヨルはシャンパン色の瞳であたりを見まわし、青いバラをなでる。
しっとりしたうすい花びらが指先で震えた。ふせたまつげに花の色が映る。
「空はこんな夢を隠してた。ドールが迷いこんだ、月の夢」
「迷いこんだんじゃないわ。お誘いを受けたの」
利発な女の子の声がして、少年はゆっくりふりむいた。
ふわふわのドレスがよく似合う、かわいらしい少女がそこにいた。
くるりと巻いた栗色の髪。印象的な青緑の瞳をきらめかせて、はきはきしゃべる。
「お月さまに聞いたのよ、痛めたのどの治し方。
そうしたら、マロウ・ブルーのお茶がいちばんですって。夏の花でも、秋の夢に咲けるのね」
彼女は、抱えた花束を大事そうに持ちあげる。華やかな赤紫をした、すっきりひらいた花たち。
ヨルは微笑んだ。
「こんばんは、月にのぼって降りられなくなったルイーゼ。いたずらな子猫みたいだね」
「私は小鳥、妹がそうだから。私たちはおそろいなの!」
小柄なルイーゼが胸を張る。
ルシアの姉はずいぶんてきぱきして、勝気のようだ。ヨル少年がからかうようにのぞきこむ。
「あんまり似てないみたいだけど。あの子はメヌエット、君はカプリチオだ」
「あら、だって、お姉さんはしっかりしなくっちゃ」
「しっかりした小鳥なら、ひとりで飛べるよね。
ブルームーンの魔法は昨日で終わり。君に道がわかるかなぁ」
「ええ、たぶん……」
少女がとたんに心細そうな顔をしたので、ヨルは笑って手を差しのべた。
手をかさねたルイーゼが口をとがらせる。
「長く家を空けるつもりはなかったのよ。
お庭が広くて、お花を探すのに時間がかかっただけ! こうやって歩いたりするのは初めてだから、余計にね」
何気ない言葉を聞いて、少年から笑みが消えた。
彼はじっと少女を見つめ、尋ねた。
「本当にいいの?
夢から出れば、君は人形に戻る。ここにいたら好きに動けるし、おしゃべりもできるし、歌だって自由にうたえるよ」
するとルイーゼは、誇らかに微笑んだ。
「そう見えるかしら。ルシアと一緒にいる方が、私はずっと自由よ」
ヨルは目を開き、驚きと不思議さと、少しの憧れがまざった表情で彼女をながめた。
それからとびっきり優雅に礼をして、少女の手にやさしくくちづけた。これからお人形になる手は、まだやわらかくてあたたかかった。
少年はとても静かに告げた。
「君を家まで送らせて。幸せなルイーゼ・コーディー」
まだお日さまの出ない、暗い朝。
コーディー一家は、みんなそろってダイニングテーブルをかこんでいた。
「さあ沸いたわ、お茶を淹れてみましょう!」
母が湯気をあげるケトルを持ってくる。
ショールをぐるぐる巻きにしたルシアは、どきどきしてポットを見つめた。両腕にしっかりルイーゼを抱いて。
ついさっき目を覚ました彼女は、窓辺に座っているルイーゼと再会した。
大切なお人形は、ドライフラワーの花束をたずさえて帰ってきた。
紅いリボンのはじっこには、かわいらしい字でメッセージが。
“大好きな妹へ
あなたのすてきなのどに、魔法のお茶を”
ポットにお湯がそそがれ、色づいたまま乾燥した青い花が、もう一度ひらいていく。
たっぷり蒸らして、そっとかたむけて……
カップの中に、うす青くて透明な、美しいお茶があらわれた。
「おお、これは!」
「まあ、なんてきれいなの!」
両親が声をあげ、嬉しそうに娘をうながした。
「さあルシア、飲んでごらん。きっとのどが治るよ」
「おみまいでいただいたはちみつを入れる? レモンもあるわ」
笑顔でうなずいたルシアは、膝の上のルイーゼに、甘えるように頬を寄せた。
しっかり者でやさしい、私のお姉さん。
たったひとりのお姉さん……
その様子を確かめて、フォレスタは庭先から飛び去った。
音もなく風を切り町をわたり、教会の屋根裏部屋へまっすぐ滑りこむ。
青年に戻った主は、毛布にくるまって床に転がっていた。すっかりくたびれて眠りこけている。
「これほど健全な朝帰りは初めてですね、マスター」
満足したフクロウは、器用にカーテンを引いてやった。
自分もカゴに入りながら、はてしなく眠りそうなヨルの寝顔に声をかける。
「あまりのんびりしていられませんよ。
具合がよくなれば、彼女はすぐにお礼を言いにくるでしょう。午後にはばっちり確実にお起こしします!」
「うう、僕は自由に縛られた幸せな下僕……」
ヨルが苦しそうにうめいて寝返りをうつ。
さわやかな朝日が差して、なんだかいいことがありそうな、新しい一日がやってきた。
(第23話 おわり)




