第22話 竜大公となぞなぞを 2/2
一日の公務を終えたドラゴニア大公は、自室でごほうびの鍛錬にはげんでいた。
「97、98、99……」
延々と腕立てふせをしながら思うのは、異国のお客さまのこと。
ふんわりしたライオンの姫君と、輪っかのみつあみの少女。どちらもすてきな乙女だけれど、なぞなぞは苦手らしい。
くすりと笑いを漏らしてから、表情を引きしめる。
「申しわけないが、伝統は守らねば。このままお見送りすることになるだろうな」
誇らしいような、物足りないような、ふしぎな気持ちだった。
仕上げの柔軟体操をしていると、ついたてのむこうで召使いの声がした。
「ユージンさま、お客人より晩餐会のお礼が届いております」
「ふむ?」
と顔を出すと、テーブルの上にガラスの小ビンがのっている。つまみあげた拍子に、まっしろいお砂糖の星が音をたてた。
ビンの口には変わったリボンが結んである。
真ん中から半分はエメラルドグリーンで、もう半分は黄色。それをちょうちょ結びにしてあり、二色が華やかに交差していた。
大公は、細い目をいっそう細くして笑った。
「読めたぞ。
“ふたつの国で手をつなぎましょう” と言いたいのだな。なんともかわいらしいなぞなぞだ」
こんぺいとうにはカードが添えられていた。ライオンの紋章が入っていて、となりにもこもこのひつじを描き足してある。
そのひつじが、なにかしゃべっていた。ふきだしの中に細かい字……
“目を閉じないと見えないもの、なあに”
「夢!」
大公はすぐに答え、ふたつ折りのカードをひらく。
“正解です!
それじゃあ、目を閉じて、フタを開けて見えるもの、なあに?”
「ぬっ……」
今度は即答とはいかず、彼は太い首をひねった。
そうっとビンを開けてみる。
つやつやとかがやきを帯びた、ふしぎなお菓子。甘いお砂糖と、なじみ深い潮の香りがほのかに立ちのぼった。
大公は顔をしかめた。
「答えを知りたくばフタを開けて眠れ、と?
若輩とはいえ、私はなぞなぞ大国ドラゴニアの主。みずから考え、正解を導きだしてみせる!」
ベッドに座りこみ、こんぺいとうをにらむ。ランプの油が切れてからも、闇の中で考えつづけて――
ドサッ!
と、山が崩れるみたいに眠りに落ちてしまった。
目を覚ましたとき、闇は猛烈な風をまとっていた。
ゴウゴウうなる暗い空。真横から水しぶきが吹きつけ、床がぐらっとかたむいた。
「う、うわっ!」
よろめいた大公はハッとする。
ここは大きな船の上だ。しかも身体がやけに軽く、帆柱につかまった手は細く──
「これは、即位前のヒョロヒョロの私ではないか。
鍛錬の結晶はどこに行ってしまったのだ、こんな身体では国を守れぬ!」
愕然としているところに、かよわい悲鳴が聞こえてきた。
「だれか、誰か助けて!」
上下に揺れる船のへりに、お姫さまが必死につかまっている。大公は、転びかけながら彼女のもとへ進んだ。
「クリスティーヌ姫、ご無事か!」
「大公さま! なんだか幅がせまくなられましたわね」
彼女は、水滴だらけのメガネをぬぐってきょとんとした。どういうわけか勇ましい賊の扮装をしている。
ほっそり大公が戸惑い、まばたきした。
「その格好は海賊か? これはあなたの船なのか」
「い、いえ、これは盗賊で、わたくしの趣味で。寝る前に読んだので、夢に……」
お姫さまがうろたえていると、嵐のむこうから凛とした声が響いた。
「目を閉じたら夢の中。フタを開けたら見えるもの、なあに」
ふたりが空を見あげると、青黒い雲のむこうから、白くてふわふわの雲がやってくる。
それは、空飛ぶちっちゃなひつじだった。
うす紫のリボンを首に飾り、ベルのかわりに銀色のスプーンをさげている。
クリスティーヌがあわてて手をふった。
「メリー、メリー! これはあなたのこんぺいとうですね」
船のそばまできたひつじは、もこもこの首をかたむけた。
「メリー・コンペイトゥ?
どこのどなたかしら、私はかわいいなぞなぞひつじさん…… さあクリスティーヌさま、大公さま、おふたり一緒に考えてください!」
「大公さま、お得意のなぞなぞですわ」
クリスティーヌにうながされて、大公がキッと宙をにらんだ。
けれど、嵐が吹きかかったとたんにしおしお萎れてしまう。
「いかん、筋肉が減って力が足りぬ…… ここは読書家のあなたにおまかせしたい」
「まあ、なんて虫のいいこと! わたくしにはわかりません、“ただの普通の本好き” ですもの」
「すまなかった、撤回するので挽回してくれ!」
わあわあ言いあっていた、そのとき。
暗い空に、ピリッ! とかみなりが走った。
「きゃっ!」
と飛びあがったクリスティーヌが、足を滑らせる。
「姫、危ない!」
彼はやせた腕で彼女を受けとめた。懸命にこらえて、なんとか支えきると、心に自信の灯がともった。
大嫌いだった軟弱な自分。
だが、この姿でも守れるものがあるではないか。
力を取りもどし、荒れ狂う空を見あげる。
雲間にまたたく光はどこかやわらかで、油切れのランプに似ていた。
「姫、そんなに怖がらなくてよい。ずいぶんまろやかな雷だ」
彼の腕の中で、クリスティーヌがおずおず顔をあげる。
「いわれてみれば、そうですわ…… メリーひつじさんはどこかしら?」
遠くを見わたした彼女が、急にすっとんきょうな声を出した。
「大公さま。海はつぎはぎでできているんですの?」
「われらの海をハリボテと申すか」
「いいえ、けれどあそこに継ぎ目が。あれはなんでしょうか」
クリスティーヌは海の彼方に手を差しのべた。
水平線の上に、不自然な黒い波線が横たわっている。大公が目をせばめてつぶやいた。
「あれは…… まるで、ぴったり閉じた貝の口のような……」
ふたりは同時にひらめいた。
クリスティーヌが身を乗り出す。
「ここは、大きな貝がらの中。
フタをひらいたら、なにが見えるでしょう。太陽、砂浜、それとも本当の海かしら?」
大公は、彼女を見つめて動きをとめた。
期待に満ちた微笑みが間近にある。やさしげな水色の瞳が、驚くほど明るく輝いて、その光は彼だけにそそがれていた。
「謎の答えは」
「はい!」
「答えは……」
「はい?」
ドラゴニアの君主さまは、それきり口をつぐんだ。
謎がとけたら、夢も終わってしまうから。
しばらく視線をかわし、クリスティーヌがそうっと尋ねる。
「わたくしが考えましょうか」
「…………」
彼が固まっていると、ひつじの審判が響いた。
「残念、時間ぎれです!」
嵐が去って雲が割れ、貝がらの波線がひらいていく。パァッとあふれた光をあびて、クリスティーヌが飛びあがった。
「あっわかった、わかりましたわ! 待ってメリー、正解は……」
まぶしさは増し、音が溶ける。
あたりが真っ白になって、あたたかくなって、
大公は、いつもの部屋で “朝” をむかえた。
それから少しあと。
彼は、宮殿でいちばん美しい庭園で、お客さまとお茶をしていた。
「降参だよ、メリー・シュガー。
夢がひらけば朝がくる。貝は単なる引っかけだ。私としたことが、すっかり動揺してしまった」
楽しそうに言うと、輪っかのみつあみの女の子は、カップにさざなみをたてて彼を見あげた。
「それじゃあ、国書を受けとってくださいますか!」
「ああ、つつしんでいただくとも。
君の望みである “竜の海の草” は、もうすぐ旬をむかえる。採れたてを山ほどお送りしよう」
そこへパタパタと軽やかな足音がして、クリスティーヌがやってきた。
「失礼いたしました、とんだお寝坊ですわ!」
あわてて礼をする彼女を、大公が手で制した。
「気にするな、あなたもお疲れだろう。思いがけない冒険だったようだから」
微笑んで目配せされたメリーは、ばつが悪そうに肩をすくめた。
昨夜彼女は、本を抱いて眠るお姫さまに、こうささやいて小ビンを渡した。
「ふふふ、これで心おどる冒険の夢を見られますよ。とびっきりの癒しが待っていますよ」
「冒険といえば盗賊シェリダン、わたくしの英雄…… 最上の癒し……」
寝ぼけたクリスティーヌは神速でフタを開け、嵐の海に乗りだすことになった。
こんぺいとう少女が、申しわけなさそうに姫君の手をとる。
「ごめんなさい、クリスティーヌさま。盗賊さんを隠し味にしたかったんだけれど、レシピにすき間がなかったの」
「いいえ、よいのです!
あなたは、わたくしの弱気を正してくれたのですから。貝がらの嵐も楽しかったですわ。最後の最後で、なぞなぞも解けましたし」
満足そうな彼女を見て、大公が声をあげた。
「おっと、私と一緒に時間ぎれだったではないか。メリーには負けたが、あなたには勝ったままだぞ」
「あら、せめて引き分けにしてくださいませ。少しは謎ときを手伝ったのですから……」
「それは発言の撤回で帳消しだ」
雲行きがあやしくなり、ひつじの国の使者が割って入る。
「おふたりとも、せっかく国がつながったのよ。仲よくしましょう!」
「ええ、つながりましたわ。つまり、これで終わりではないということ」
クリスティーヌが立ちあがり、びしっと言った。
「大公さま、お次はわたくしの国へいらしてください。王宮舞踏会で勝負いたしましょう!」
「ああ、レオールの王侯がたにお目にかけよう、ドラゴニアの伝統の力を!」
大公と姫君はすっかりその気になっている。置いてけぼりのメリーは天をあおいだ。
「なぞなぞ対決を、舞踏会で?
ああどうしましょうハーティスさま、まだまだ波乱が待ってるみたい!」
竜の国の青空に、ライオン王子の困り笑顔が浮かんでくる。エメラルドの風が駆けぬけて、いっぱいの花々をざわっと揺らした。
(第22話 おわり)




