第20話 琥珀の鐘(後) 2/2
仕立て屋の令嬢・ソフィーのもとに、突然とどいた手紙。
その差出人は、いかめしく名高いおじいさん…… 天文学者のオートマン博士だった。
“ぶしつけなたよりをお許しくださるように。
あなたが直面する問題について、ヨルム・フォルスという暴れ彗星のような青年から聞きおよんだ。
ついては、私がアスター氏から受けとった手紙を同封する。わずかでも助けになればと思う。”
──カート・アスターの手紙。
自室のベッドに腰かけていたソフィーは、ハッと居ずまいをただす。はずんだ呼吸を整え、クリーム色の便箋をひらいた。
彼の字は、思いがけず元気いっぱいだった。
“大発見です、博士!
昨日、東の空にまったく新しい星を見ました。信じられないほど美しい、すみれの花の色をして……”
喜びのあまりとびはねて、踊っているみたいな筆記体。星を追いかける青年の姿が浮かび、ソフィーの頬が自然とゆるむ。
オートマン博士の手紙に目を戻すと、裏側の走り書きに気がついた。
“私はかつて、ある女性に憧れながらも心を伝えることができなかった。
あなたの恋が、過ぎ去った思い出ではなく幸福な日々へとつながるよう、陰ながら願っている。”
そこには、深い思いやりと淡い後悔が込められていた。
ソフィーは少しのあいだ目を閉じて、メッセージを受けとめる。
それから勢いよく立ちあがり、店に駆けおりる。帳簿をめくっていた父が、驚いてふりむいた。
「おや、どうしたんだいソフィー?」
「お父さま。お願いがあります」
彼女は、二通の手紙を抱きしめて、はっきりと言った。
「私、カート・アスターさんという方を助けたいの。
夢で出会った、私の大切な人。
彼は過去をなくして迷っています。どうか、尋ね人の広告を出すお許しをください」
ところかわって、琥珀とセピアの夢の中。
道具を忘れた切ないこんぺいとう屋さんが、歯車の上で立ちつくしていた。
すると、時計塔の番人がサッと手をあげた。
「メリー、これを使ってください!」
高々とかかげているのは、短いスプーン。
にぶい金色をして、まん丸のふちの一ヶ所がくちばしみたいにとがった、おもしろい形をしていた。
メリーがうれしくびっくりする。
「まあ、魔法でつくったの!? さすが魔法つかいの子孫さん」
「名づけまして、 “ポケットに入れっぱなしの術” 。
これは、時計塔の心臓を潤滑にするためのお匙。私の小さな相棒です」
イザベルが胸を張ると、ウェイク犬が不安げに鼻を鳴らした。
「それは助かったが、すこし、機械油の香りが……」
「心配しないで、ウェイク。
お砂糖がなくたってメリーはシュガー。やってみせます、メア・ディム・ドリム!」
スプーンを受けとったメリーは、腕をのばして大きく円を描く。
小鳥のルシアをつかまえている檻が、チカチカまたたき姿をあらわしはじめた。
だけど、そこから先に進めない。弱々しい光を見据え、夕焼け色の瞳がひらめいた。
こんぺいとうじゃ足りないんだわ。
もっと力のある、難しい魔法―― こはくとうの魔法を!
乙女の気合いは空回り、頭は真っ白。メリーはあわてて呪文を思い出そうとした。
「マ、マリナス・ドリム・アンバール……? ええっと、アンバール、ああだめ、ここにはレシピがないわ!」
すっかり混乱した彼女を、青年の声が導いた。
「メリー、一緒に唱えよう。君ならできる!」
ハッと下を見れば、はつらつとした牧羊犬が寄り添っている。
どんな姿になっても、彼のまなざしは変わらない。メリーの心をどきどきさせて、ふしぎと穏やかにして、力をくれる。
「そうねウェイク、あなたとなら、きっと!」
ぴっとかかげたおさじを見つめ、ふたりは声をあわせた。
『マリナス・ドリム・アンバール・ジェラタム』
大きな魔法につつまれて呪文が完成する。
見えない檻はパチッとはじけ、まばゆい宝石そっくりの、すてきなお菓子に生まれかわった。
あたり一面、きらめく色彩の雨。
小鳥になっていた女の子が、ふんわり舞いおりてきた。いちばんの友だちを見つけて笑顔がはじける。
「メリー!」
「ああルシア、よかった!」
駆け寄ったふたりはしっかり抱きあった。
その瞬間、夢が薄れていく。
もとの場所に帰る直前、ウェイクはこはくとうへ手を伸ばした。甘い結晶は、かすめた指先で気まぐれにはねて、ついにつかまらなかった。
クロックベルの町が、青い夜に染まるころ。
郵便屋ステファンは、時計塔の長すぎる階段の真ん中で力尽きていた。
白い手が伸びてきて、彼をやさしく揺り起こす。
「大丈夫ですか、郵便屋さん。ステファンさん」
「う、うう……?」
彼は、ゆらゆらするまぶたをこじ開けた。
すぐ近くに、すみれ色の星がまたたいている。それが探していた彼女の瞳だと気づき、あわてて飛びおきた。
「イザベルさん、無事だったんですね!」
「すみません、半分居留守にしてしまって。ここにいながら、ここにいなかったのです」
彼女は申し訳なさそうに肩をちぢめ、夕方からのできごとを話した。鐘と伝承と、魔法と夢のことを。
そうして、悲しげに首をふる。
「あなたに謝らなくてはいけません。一族のことを隠して、嘘をつきました」
ふかぶかと頭をさげられ、青年はあわてふためいた。
「そんな、嘘だなんて。お家の大事なひみつなんですから、当たり前ですよ」
イザベルは、少し眉をさげて微笑む。
「私は、知ってほしかったのかもしれません。
失われた魔法や、過ぎてしまった日々の記憶を…… あなたは、誰よりも早く気づいてくれましたね」
ふたりは階段に座って見つめあう。
ランプの明かりが影絵をつくり、ステファンは、どこか別の夜からつづく夢の中にいるような気がした。
「イザベルさん。その歌を、聴かせてくれませんか」
番人が静かにうなずく。塔の中をはるかなメロディーがのぼりはじめた。
そのころメリーたちは、ひと足先に下界を目指していた。
「魔法つかいの喪失の歌、か……」
暗い坂をくだるウェイクは、ランタンをかかげてつぶやく。少女2名を家に送るまで、任務は終わらない。
となりを歩くメリーが、思案顔で輪っかのみつあみを揺らす。
「ヨルが鐘の音に怯えていたわけも、はっきりしたわね」
失うことは、悲しいこと。
欲しがりの寂しがり屋が、なによりも嫌うこと。
メリーは大きな月を見あげる。ヨルの整った顔が浮かび、心細そうなささやきが聞こえた。
“みんな、いなくならないで。どこにもいかないで……”
風は少し冷えていて、ほんとうの言葉をさらっていく。
ルシアが、友だちをはげますように手を握った。
「メリー、スプーンを貸してくれてありがとう。
とってもよく混ざるね、パパもママもぐるぐるしてたよ! メリーはスプーン鑑定士さんにもなれる、って」
嬉しそうにのぞきこまれて、メリーが「ふふふ」と照れる。じんわり元気が湧いてきた。
「さあ、鐘のひみつもわかったし、呪文も完璧! さっきの夢をカギにして、謎の材料をつきとめようっと」
戻ってきたレシピを夜空にかかげる。
ルシアも目を輝かせた。
「きれいだったね、こはくとう。どんな夢を見せてくれるのかな?」
きゃっきゃと盛りあがる少女たち。
すると、考えに沈んでいたウェイクがするどく顔をあげた。
「わかったぞ!
琥珀ができるまでには、長い時間がかかる。そして、時間をかけて伝わった思い出は、魔法のもとになる。
とすると、最後の材料は “伝承” じゃないか?
呪文につづけて、イザベルさんの歌をうたってみたらどうだろう!」
少女たちがぱたっと立ちどまり、感嘆する。
「まあ、ウェイク……!」
「すごい、ウェイクさん。きっとそうだよ!」
きらきらした視線を浴び、青年は「ふふふ」と照れた。
俺は犬になって鼻が冴えたらしい。今日いちにち、たくさんの謎を解いてしまった……
歌をうたい終えたイザベルは、はたと顔をあげた。
「海草です」
「えっ、海草の歌もあるんですか?」
うっとり聴き入っていたステファンが、驚いて彼女を見る。イザベルもびっくりして顔をむけた。
「あら、いいえ、メリーの魔法のレシピのことです!
こはくとうの最後の材料は、 “竜の海の草” と読めたんですよ。明日、あらためてお知らせにいきましょう」
彼女が華やかに笑うと、古い夢想が遠のいていく。郵便屋さんはわれに返り、用事を思い出した。
「実は、縫製店のソフィーさんがお悩みなんです。あなたに相談にのってもらえたら、と思ったんですが」
「まあ、マーシャル家のお嬢さんが?」
イザベルは言葉をきって窓へむいた。
穏やかな町の空気に、ちりちり鳴る鈴のようなものがまざる。勇気に震える心の音──
番人はやさしく微笑んだ。
「私を信頼して、紹介してくださったのですね。今回は、あちらで解決されたかもしれません」
そう気づかわれたステファンの耳には、まだ彼女の歌が響いていた。
それは、気弱な青年に少しだけ魔法をかける。彼はいつもより笑顔をかがやかせ、ありのままの気持ちを口にした。
「それならよかった!
僕はいいんです。ちょっと坂をのぼって、伝言をつたえて…… あなたに会えたら、それだけで」
(第20話 おわり)




