第2話 ウェイクの薬はちょっと苦い 2/2
もし使いたくなければ、お散歩の時のおやつにして――
メリーはそう言っていた。
ウェイクは、自分の住みか(安全な平地の平屋)に帰って、粗末なベッドに腰かけている。
今夜の月は明るくて、窓に透かしたこんぺいとうは本当に星みたいだった。
「フタをはずして、枕もとに置くだけでいいの。そしたらあなたは、夢の中で“目が覚める”」
彼女のてきぱきした声がよみがえる。
つづく自分の声には、とまどいと怯えの影があった。
「夢で起きて、俺はどうなるんだ?」
「いつもよりずっと自由に動けるわ。見えなかったことも見えてくる。なんにも怖くないの、大丈夫よ」
メリーは真剣にうけあった。
しかし、出会ってたった数日の、謎の少女を信じられるものか。
「そうだ。怪しい儀式で毒物に変化しているかもしれないじゃないか」
小ビンをにらんだウェイクは、フタを開けて用心深くにおいを嗅ぐ。
お砂糖の香りしかしない。
「……異常なし、か」
彼は憮然としてつぶやいた。
「よし、俺は寝る。安心のあまりうっかりフタを閉め忘れて、寝る!」
自分に言い聞かせ、こんぺいとうを窓辺に置いて、さっさとベッドにもぐりこんだ。
気がつくと、彼はクロックベルの町を歩いていた。
いつもの石畳の道、ならぶ建物。
毎日見る風景に、自分のブーツの音。ややせっかちな聞きなれたリズム……
が、いきなりとぎれた。
道が消えたからだ。
「あ」
ヒュッ、という短い浮遊感。
そしてウェイク・エルゼンは落下する。
「うわああぁーっ!?」
真っ逆さまになって彼は叫んだ。
そうだ、これがいつもの夢。町も空も消えて、すがりつくものはどこにもない!
全身を這いあがる冷たいくすぐったさ。
はぎとられた帽子が暗闇にただよって、どんどん引き離されていく。
帽子は浮いて、では俺は?
墜落だ。
もうダメだ!
ぎゅっと目を閉じた時。
視界に青い光がまたたいて、身体がぐぐっと浮きあがった。
「……あれ?」
目を開けると、あたり一面が星の空だった。
落下はつづいているけれど、海のクラゲのような、緊張感のないスピードに変わっている。
ドキドキして下を見れば、夜に染まるふかふかの雲があった。
「わたあめ…… 所長の頭みたいだな、ぜひメガネを乗せたい」
口に出すと、彼は一気に落ちついた。
なりゆきを思い出して夜空を見まわす。
「俺は起きたぞ、メリー。あそこに落ちればいいのか?」
「さあ、あの雲は誰を待っているのでしょう。あなたは一体だあれ?」
答えにならない返事をしたのは、頭の上にうかぶ巨大な三日月だ。ウェイクは思わず笑った。
「ウェイク・エルゼンだ、今まさに落ちている」
「落ちているのは、本当に、今かしら」
「当然だ……」
と言いかけて、彼は口をとめた。
「いや、わからないな。いつも落ちているけれど、落ちる自分を外から見たことがない……」
マントをたなびかせ、空中で腕組みをする。
そして、ハッと顔をあげた。
「これは俺じゃないのかもしれない。メリー、鏡をくれないか!」
「いいわ。どこに?」
笑みをふくんだ声は、さっきより遠くてぼやけている。
時間がない。ウェイクは急いで言った。
「この夜空に!」
そう返した、一瞬あと。
彼は光のふりそそぐベッドで目を開いた。窓に緑が揺れて、鳥が朝を歌っていた。
それからしばらくたった、ある日。
坂道をくだっていたメリー・シュガーは、石壁にくっついた大きなキノコを見つけた。
「まあ、あんなに育って。すっかり秋ね」
だけどそれは、マントにくるまってうずくまる魔法史調査員だった。
「ウェイク、どうしたの!?」
びっくりして走り寄ると、青年は顔面蒼白で彼女を見つめた。冷や汗、ふるえ、動悸、息ぎれ。
メリーは息を飲む。
こんぺいとう、失敗だったんだわ!
「ごめんなさい、ウェイク。私が余計なことを……」
メリーの唇も震えて、言葉が出ない。
すると、ウェイクの冷えきった指が、少女の手にふれた。
「な、謎は、とけた」
「えっ?」
「鏡に映ったんだ。
落ちていたのは、昔の俺。せいぜい二、三才の、かわいいウェイクくんだ」
少しおどけて微笑むと、頬に血の気が戻ってきた。
そして彼は話しだす。
「原因は幼いころにある。そう考えて、故郷に手紙で尋ねてみた」
「お返事には、なんて?」
メリーが身を乗り出すと、ウェイクは少し後ろめたそうに前置きした。
「俺は覚えていなかったんだが……
祖父の父親、つまりひいじいさんが、小さい俺をとてもかわいがってくれたそうだ」
「それで、そのひいおじいさまが?」
「とんでもなく背が高かったらしい。そこの杉の木みたいに」
二人は、そろって木を見あげて、また顔をあわせる。
「ひいじいさんは、ヒマさえあれば俺の子守をした。彼の得意技が、これだ」
ウェイクは、幻の子どもを両手で支え、腕を伸ばして上に下に動かした。
メリーが目を丸くする。
「高いたかーい……」
「高すぎた。
当時のウェイクくんは喜んでいたそうだが、成長して変わってしまったんだと思う。無意識にしまわれた思い出が、夢の源だったんだ」
両親からの手紙には、
「あんなによくしてもらったのに! 小さすぎると、忘れてしまうものだね」
と書いてあったという。
ウェイクは、ばつの悪そうな、寂しそうな、すっきりしたような、複雑な表情をしていた。
「わかってしまえば、もう夢は怖くない。現実でも平気になったかと思ったんだが……」
こわばって笑うウェイクの後ろ、石壁のむこうには、ミニチュアみたいな町が広がっていた。
メリーが彼を壁から引きはがす。
「あなたはじゅうぶんがんばったわ。ウェイク・エルゼンはクロックベルの誇りです」
どうやら、夢の恐怖とはまた別の理由があるようだ。
それがわかるのはずっと先になるかも、と彼女は思う。
「さあ、町へおりましょう。それとも他に用事が?」
「君に会いたかっただけだ」
いいタイミングで秋風が吹いた。
なかなかロマンチックだったけれど、ウェイクはきわめて事務的にムードをぶち壊した。
「仕事で、だ。確認事項があるからな。やっぱりあれは魔法なんだろう?」
「翌朝のこんぺいとうを見たでしょう? それが答えよ」
少女は、スカートをひるがえして歩きはじめる。調査員があわててとなりに並ぶ。
「すっかり崩れて、砂糖に戻っていた。しかも色まで抜けて…… 一晩であんなふうに変わるものか!」
「そういうつくり方なの。
もうただのお砂糖だから、ミルクにでもコーヒーにでも、好きに使ってくださってけっこうです」
「“もう”とはなんだ、あの夜まではどういう物質だったんだ。今日こそ説明するんだ、メリー・シュガー」
「私はかわいいこんぺいとう屋さん。それ以上でも、以下でもないわ……」
二人は、一緒に長い道をおりていった。
その夜。
ウェイクはこんな夢を見た。
彼はゆっくり夜空を落ちてゆき、ふかふかの雲が受けとめる。
そこに、一人の少女がドレスを広げてすわっていた。
「追憶、愛情ふたさじ……」
膝に置いたノートになにかを書きこんでいる。歩み寄るウェイクに気づいても、ペンはとまらない。
「これはね、あなたのレシピ」
そう言って顔をあげる。
メリーだけれど、メリーではない。
輪っかのみつあみはほどいておろして、金色の波のよう。
ちょっと笑った大きな瞳は、ブルーではなくて夕焼けのバラ色をしていた。
ウェイクは素直な微笑みを返す。
「俺のためにか」
「そうよ。追憶、愛情、忘却。
成長と、呼び覚ますもの…… ううん、まだ足りてない。恐怖心はどこからくるの、どうやって消せるの?」
考えこむ彼女のそばに、ウェイクはそっと腰をおろす。
答えは出なくたってよかった。ただ、そこにいられたら。
さらさらつづられる文字の音を聞いていると、夢の中でもう一度眠れそうな気がした。
(第2話 おわり)