第20話 琥珀の鐘(後) 1/2
お星さまがいっぺんに落っこちたような、ものすごい光。
それから、一転した静けさがメリーをつつんだ。
「ああ、なにが起きたのメリー・シュガー。
夜と朝がケンカして、世界がひっくりかえったの……?」
彼女は、顔をおおった両手をこわごわひらいて、様子をたしかめた。
そこは、セピアとミルクで彩られた、見たこともない場所。
大きな歯車があちこちたくさん、複雑に組みあわさっている。
そのどれもが、つやつやの琥珀色をして、眠っているように動きをとめていた。
メリーのとなりにイザベルが歩み出た。
「塔の時計とは、つくりが違いますね。なにか別のしくみのようですが……」
美しい番人はローブの腕を組み、ふしぎな空間を見まわす。メリーが彼女の袖をひいた。
「びっくりしないでね、イザベルさん。
私たち、誰かの夢の中にいるみたい。塔でおやすみの鳩の夢かしら」
そう言って首をかしげる少女は、メリーだけどメリーじゃない。
トレードマークのみつあみはほどけて、ドレスの上へゆるやかに広がっている。
ぱちぱちまたたく瞳は、まるで夕焼けを映したよう──
イザベルは、しみじみと微笑んだ。
「あなたは、どこにいてもすてきな女の子ですね」
「そんな、そうかしら。そうかも」
メリーがもじもじ照れていると、うしろから凛々しい声がした。
「よし、歯車の迷路を抜けたぞ。調査員らしい好タイムだ!」
「まあ、ウェイク!? あなたもここへ……」
パッとふりむくメリー。
その目の前に、一匹の犬が飛びだしてきた。
とんがりふさふさ耳を立てた、かしこそうな牧羊犬。
白と灰色の首まわりに、黒っぽいミニマントをつけて、なじみの青年の声で言う。
「メリー、それにイザベルさんも!
一体どうしたんだ、町じゅうが異変におそわれてしまったのか?」
しっぽを元気にふるウェイク。
呆然とかがみこんだメリーが、震える手で背中をなでる。ふわふわむくむく、あたたかい。少女の胸がときめいた。
「こ、これは。魅惑の手ざわり……」
あごの下をわしゃわしゃされたウェイク犬は、心地よさに眼を細めてメリーを見た。
「そうか、ここは夢の中か。
俺は、ルシアと一緒に塔に入ったはずなんだ。ちょうど鐘が鳴って、無性にひつじを追いかけたくなったと思ったら、このとおりだ」
メリーの目がまん丸くひらく。
「大変、ルシアまでここに?
私はね、塔の前でレシピをひらいたら、ふしぎな光があふれて…… あなたたちを巻きこんじゃったんだわ、時間をまぜこぜにして!」
彼女があわてふためいた、そのとき。
琥珀の歯車の彼方から、小鳥のさえずりが響いてきた。
やさしく澄みきった声を聞いたとたん、メリーは飛びあがった。
「あれは、ルシアの歌! 助けにいかなくっちゃ、ええっと、どっちかしら」
「よし、この犬耳にまかせてくれ。行こう!」
ウェイクがさっそうと進み、メリーもそれにつづく。
けれど、時計塔の番人は、宙を見あげて考えこんでいた。かすかなさえずりにじっと耳をかたむける。
メリーがそっと手をとった。
「どうしたの、イザベルさん」
彼女はハッとわれに返り、きれいな眉をさげた。
「……すみません。この騒動、私のせいかもしれません」
「ええっ?」
ひとりと一匹が驚くと、イザベルは彼らを見つめ、細い声で歌を口ずさみはじめた。
メリーたちにはわからない、遠い昔の言葉。
けれど、ゆったりした切ない旋律はたしかに心へ届く。いつしかそれは、小鳥の歌とぴったりかさなり――
秘密の番人が、悲しそうに首をふった。
「これは、私の一族に伝わる歌。 “失われた魔法にささぐ歌” です」
くだけた光 飛び散った
なくしたものを歌で送ろう
逃げてしまった 小鳥と犬と
サラサラの砂にお別れを……
「それじゃあ、イザベルさんのご先祖さまは、魔法つかいだったの! なんだかとっても納得だわ」
メリーは、彼女の話を聞きながら、ちっちゃな歯車を飛びこえた。
今はルシアの救出が最優先。きれぎれのメロディーを追いかけながら、ウェイクがふり返る。
「そういえば、魔道剣士のブラッカー氏は、あなたによく似ていたな。
三百年前の人物だが、つながりはあるだろうか」
イザベルは、急ぎ足で首をひねった。
「どこかで通じているかもしれません。
私の家系にははっきりした記録がないのです。そのかわり、小さな歌がいくつも伝わっていて……」
彼女は、塔の鐘を鳴らすとき、よくそれを歌ったという。
そうしながら夢みていた。
はるかな魔法の日々が音に乗り、どこか知らないところで響いているかもしれない、と。
メリーが考え深く言う。
「思い出の歌も、お家のことも、大切なひみつだったのね。魔法つかいの、時をこえた約束ごと」
「はい、私こそは伝承の守人……
と言えたらよかったのですが。そんなに格好よい事情ではありませんよ」
人形のような整った顔が、情けなく笑った。
「家族の中で、こう話しているんです。
記録を残せないということは、悪事をはたらく魔法つかいだった可能性もある。
たたけば紫色のホコリが立つかもしれない、代々うらみをかっているかもしれない、ああそれは怖いですねあまり公にしないでおきましょう、そうしましょう……!」
「か、考えすぎじゃないかしら! ねえウェイク」
少女に呼ばれた名犬が脚をとめ、真面目に答える。
「正直にいうと、俺は彼女を疑っていた」
「ああ、やっぱり私は闇の末裔……」
イザベルがずーんと肩を落とし、メリーがそれを揺さぶった。
「納得しちゃだめ!
ねえウェイク、イザベルさんにどんな疑惑があるっていうの?」
「彼女が悪人だ、というわけではない」
魔法史調査犬は、きっちり前置きしてからメリーを見あげた。
「カギになるのは、歌を乗せていた鐘だ。
郵便屋ステファンが、 “音が変わった” と相談にきたことがあっただろう。
鐘の音は、本当に変質していたんだ。これで君の謎もとける」
「私の、謎?」
メリーが目を丸くした。
それにあわせて、小鳥の声がいっそう大きくなった。
「続きはあとにしよう。あそこだ!」
ウェイクがサッと駆けだし、ふたりはあとを追う。
横たわる歯車の上に、あざやかな緑色の小鳥が見えた。宙に浮かぶティースプーンにとまって、一生懸命歌っている。
「ああなんてかわいい、じゃなくって、もう大丈夫よルシア!」
髪をなびかせ突進するメリーを、ウェイクの前脚がとめた。
「待て、なにかに阻まれているぞ!」
彼らはそろって目をこらす。
すると、するどい直線のつらなりが、きらっと光をはじいた。
ルシアは、大きく削った水晶みたいな、透明な檻に閉じこめられていた。
「あれは、魔法の鳥かご……?」
メリーがつぶやいて、ウェイクが慎重にうなずく。
「おそらく、レシピに込められた魔法が共鳴したんだろう。彼女が育てた、鐘の夢と」
彼は、つんととがった鼻先をイザベルへむけた。
「ここは、あなたが鐘を鳴らしながら見ていた夢想の中であり、魔法の中でもあるんだ」
番人は、両手で頬を押さえて絶望した。
「私は、闇の一族の思い出にルシアさんを閉じこめてしまったんですね! ああ、どうやって救えるのでしょう」
うろたえて手を伸ばすけれど、高い檻にはとても届かない。
小さな鳥はこちらに気づかず、ひたすら同じメロディーをくりかえしている。のどが疲れたのか、だんだん悲しげな調子になってきた。
メリーが勇ましく前に出た。
「大丈夫よ、イザベルさん。
魔法の中なら、こんぺいとうだってつくり放題! どんな困りごとも夢のお菓子で」
言葉がとぎれる。
元気にあげた片手を、無言でながめるメリー。それから、ぽつり。
「スプーンが」
「ない」
名犬ウェイクがあとを引きとり、少女がうなずく。ふたりの頭の上で、小鳥が「ぴぃ?」っと音をはずした。




