第19話 琥珀の鐘(前) 2/2
17時の鐘が町に響く。
マーシャル縫製店の令嬢・ソフィーは、レースを編む手をとめて、暮れていく空をながめた。
数枚の葉っぱが風に舞う。夏が終わってしまった、とぼんやり思った。
そこにノックの音がして、明るい声がかかった。
「お嬢さま、ドレスが仕上がりました。どうぞご試着なさってください」
「ええ、今いくわ」
答えてから立ちあがるまで、わずかな間が空く。ドアの先に縫い子が笑顔を見せた。
「さあさあ、お早く! みんなうずうずしていますよ」
背中を押されるようにして階下へおりると、待ちかまえていた職人たちが令嬢をつかまえた。
「ソフィーお嬢さま、私たちの最高傑作をどうぞ!」
鏡の前に導かれた身に、しっとりした輝きがふりかかる。
それは、月の光を織りあげたような、透明な黄色を帯びたシルクのドレスだった。
襟ぐりは開きすぎず、繊細なラインを描いて首もとに沿う。
小さな袖は、ほんの少し肩にかぶさる上品な形。ほかに飾りはなくて、たっぷり揺れるスカートを引きたてていた。
となりからのぞきこんだデザイナーが陶酔する。
「純白の長手袋をあわせて、首飾りはピンクトパーズを……
なんてお似合いなのでしょう。パーティーでは、お嬢さまが誰よりも輝きますよ!」
ソフィーは職人たちへ笑顔をむけた。
「とてもすばらしいドレスだわ。みんな、本当にありがとう」
うれしそうな彼らを見て、胸が痛む。
窓辺に置いてきた編みかけのレースの中に隠れてしまいたかった。
マーシャル縫製店は、シープランドの一流商工連盟に名をつらねている。
もうすぐ、その懇親パーティーが開かれることになっていた。
なかなか会えない人とのおしゃべり。音楽にダンスに、おいしいお料理……
ソフィーも幼いころから出席している、年に一度のお楽しみ。
けれど数日前、事情が変わった。
夕食を終えた、くつろぎの時間。ソフィーが奏でるピアノを聴きながら、父がこんなことを言った。
「お前もそろそろ、人生というワルツのパートナーをさがさなくてはね」
ソフィーは盛大に指を滑らせてふりむいた。
「それは、お父さまのご冗談の秋の新作?」
「いやいや真実まことさ!
愛する娘のために婚約者を選ぼう、というのだよ。ピアノを弾く肖像画を用意してもいいなあ」
おしゃれヒゲをなでて考えこむ父。娘はぱちぱちまばたきして笑顔をつくった。
「私、まだまだレディーになれません。今も鍵盤に雪崩をおこしてしまったわ!」
「それに巻きこまれたい青年なら、星の数ほどいるだろうね」
お父さんは大まじめ。
おしとやかに梨を味わっていた母も、指揮者みたいにフォークをふるった。
「そうです、その中からいちばん明るい星をさがすのよ。誠実で頼もしくて見目うるわしい、ピカピカのお相手を!」
一流店の息子が集まるパーティーは、婚約者さがしの手はじめにちょうどいい。
なので、今年のドレスは大勝負のつもりで作ってほしい……
マーシャル夫妻は、ひそかに職人たちへお願いしていて、最高の一着ができあがったのだった。
月光のシルクをまとったソフィーは、ひとりになって鏡を見つめる。
豊かな金色の髪。たまご型の輪郭に肌は白く、ぱっちりした飴色の瞳がかがやく。
そこから強い視線が返ってきた。
“美しいのはドレスだけね。弱虫ソフィー、どうして彼のことを隠しているの?”
夢の青年と出会って、もう一年以上たつ。
会うたびに惹かれていくのがわかるのに、メリーたちにあれだけ協力してもらっているのに、どうしても両親に打ち明けられずにいた。
もうひとりのソフィーが目を光らせる。
“心の底で、あなたはこう思ってる。
現実の彼には、もう恋人が…… いいえ、奥さまだっているかもしれない。
だから、ふたりだけの夢に閉じこめておきたいんでしょう?
本当は彼を助けたくなんかないんだわ!”
「ちがうわ、私……!」
思わず鏡にふれる。そこには、苦しげな顔をした自分が映るだけだった。
うつむいて立ちつくしていると、試着室のドアがそっとたたかれた。
「失礼します、郵便屋さんがいらしてますよ。お嬢さまご本人へのお渡しだそうです」
ソフィーは急いでガウンをはおり、扉を開けた。
「ステファンさん、こんにちは。お待たせしてしまって」
華やかな装いを見て、自転車をひいた青年が目を丸くする。
「これからおでかけですか? とんだお邪魔をしました」
「いいえ、試着なんです。今年のパーティーのために、店の者が作ってくれました」
令嬢は明るく微笑んだ。
けれど、郵便屋・ステファンの繊細な耳は、その声にひそむ影を逃さなかった。
封筒を渡しながら、ひかえめに尋ねる。
「なんだか、お悩みのようですね」
一瞬迷って、ソフィーはうなずいた。
「パーティーの前に、やらなくてはいけないことがあるんです。なのに勇気が足りなくて」
「なるほど、そうですか……」
考えこんだステファンは、やがて顔をあげた。
「イザベルさんが、相談に乗ってくれるかもしれません」
意外な名前を聞き、ソフィーの眉があがる。
「時計塔の番人さんが?」
「はい、ミス・シュガーも一度助けてもらったと言っていました。
あの人はとても聞き上手だそうで…… あっ、そうだ!」
ひらめいた彼は、メガネの奥の目をかがやかせた。
「僕がイザベルさんのご都合をうかがってきます。日どりがあえば、訪ねていかれるといいですよ」
謎めいた美しい番人が、親身に耳をかむけてくれる…… そんな場面を思い描き、ソフィーの胸は躍った。
それからハッとわれに返る。
「でもステファンさん、お仕事が」
「大丈夫、こちらが最後の配達です。
それに、その、僕もちょっと坂をのぼりたいものですから。お気になさらず!」
彼は顔を赤くして自転車に飛びのり、ものすごいスピードで走りさってしまった。
取り残されたソフィーは、ドアを閉めてため息をつく。
「私ときたら、誰かに甘えてばかり。
みんなの手をわずらわせないで、はやく打ち明けてしまえばいいんだわ。そうよ、私には心に決めたお星さまが……!」
決意した彼女の横で、ひょいとドアが開く。顔を出した父が感動の声をあげた。
「おおこれは、わが家に月の女神が降りたったぞ! すさまじくきれいだよソフィー、父さんもまったく鼻が高い」
「ありがとうお父さま。私ね、実は……」
なんとか切りだそうとするソフィー。
しかし父はうきうきするあまり耳が閉じていた。笑顔が輝きヒゲがはねる。
「おや、その手紙は運命の相手からの招待状かね?
彼もお前に会うのが待ちきれないとみえる。パーティーが楽しみだな、今夜にでもひらいてほしいくらいだ! なんてね、ははは!」
「…………」
娘はぎこちなく微笑むと、縫い子たちにドレスを返し、すごすご部屋に戻った。
そのころ、町の高台で。
メリー・シュガーは、暗い道をてくてく歩き、時計塔までやってきた。
「イザベルさん、こんばんは。こんぺいとう屋のメリーです」
ランタン片手に、呼び鈴のヒモをひっぱる。
しばらくして、美しい番人が扉を開けた。
「ようこそメリー、おひさしぶりですね」
微笑んで頭をさげると、古めかしいローブから闇のような黒髪がこぼれ、つやつやと明かりを映した。
この方、ヨルより夜らしいかも、とメリーは思う。
「いきなり訪ねてごめんなさい。
イザベルさん、こはくとうってごぞんじ? 古いレシピを試しているんだけれど、うまくいかないの」
革張りの本を差しだされたイザベルは、興味深げに目を開いた。
「これはどうされたんです?」
「森のお城で、幽霊剣士さんにもらったの。
どうしても読みとれないところがあって…… よかったら、少し見ていただけないかしら」
少女がレシピをひらいた、そのとき。
鐘の音が大きく響いた。
「あら、今が17時? さっき鳴ったかと思った」
きょとんと塔を見あげるメリー。
すると、ひらいたレシピのページから、まばゆい光が湧きあがった。輪っかのみつあみが飛びはねる。
「きゃあっ、なあに!?」
「メリー、それを閉じて!」
イザベルが伸ばした手は、強い光に押し返されてしまう。
レシピが宙に浮き、けたたましく羽ばたいた。
風をうけたかがやきは一気にふくらんで、時計塔をすっぽり包みこんでしまった。
やや遅れて、ステファンの自転車が坂をのぼってきた。
「こんばんは、郵便屋です」
息を切らして呼び鈴のヒモを引く。けれど、いつまでたっても返事がない。
彼は、黒々とそびえたつ時計塔を不安そうに見あげた。
「どうしたんだろう、急なご用事かな」
扉に視線を戻すと、心臓がドキリと鳴った。閉まっているように見えたが、少しだけずれている。
「イザベルさん……?」
ごくりとのどを鳴らし、扉を押す。ぬけがらの塔に、重くきしむ音が反響した。
(第20話につづく)




