第19話 琥珀の鐘(前) 1/2
空が秋の静けさをまといはじめた、ある日。
いつもの部屋に、いつものふたりの姿があった。
「いくわよ、ウェイク!」
「いつでもいいぞ、メリー」
それぞれスプーンと鍋をかまえ、むかいあっての真剣勝負。メリーがたっぷり息を吸い、凛々しく呪文をとなえだす。
「メア・ディム・ドリム、メア・ディム・ドリム。
マリナス・ドリム…… ええっと、あら、次はなんだっけ?」
「たしかジェラタム、いや、ジェラトムだったか?」
ウェイクはあわててレシピを見るけれど、時間ぎれ。彼のささえるお鍋から、ギラッとおかしな光がたちのぼった。
「いけない、爆発する!」
窓に走り、危険物をつきだそうとするウェイク。
けれど、目をつぶるタイミングが遅れて、三階からのすばらしい景色が視界に入ってしまった。
「うっ……」
と青ざめてよろめいて、それでも足はとまらない。
「あぶない、そっちは壁よ!」
駆けよったメリーがあわてて彼の腕をとる。
その瞬間、お鍋がまるごとギラアァッと発光した。とても攻撃的だ。ふたりは覚悟を決めて見つめあう。
「メリー、俺たちは星になれるだろうか」
「一緒に星座をつくりましょうね。閃光のお鍋座……」
メリーの笑顔が引きつったとき。
パッチン!
と大きな音が鳴って、極彩色の火花がはじけて──
なんにもなかったみたいに、消えてしまった。驚いて固まるふたりを残し、小さな部屋は静かになった。
「ケ、ケガはないか、メリー?」
目をまん丸にしたウェイクが、輪っかのみつあみ頭を見おろす。メリーもびっくり顔で答えた。
「ありがとう、ごめんなさい…… ああ、新しいお菓子がこんなに難しいなんて!」
しょんぼりした肩を、ウェイクがやさしくたたく。
「気にするな、うまくいかなくて当然なんだ。肝心のつくりかたが憶測まじりだからな」
彼は灰色の瞳を細め、難しい表情でレシピをながめた。
いにしえの魔法つかいが書きとめた、ふしぎなお菓子のレシピ集。
すてきな贈りものをうけとった日、わくわく読みはじめたメリーは、すぐに声をあげた。
「まあ、虫くいだわ!」
レシピはとってもアンティーク。あちこちインクがにじんだり、かすれたり……
魔法史調査局の所長さんと3人で頭をひねり、なんとか読みとれたものが、 “こはくとう” だった。
「琥珀糖、ね。琥珀のお菓子なんて、それだけで夢みたい……」
「ああ、甘いだけではなさそうだな……」
少女と青年は、仲よくうっとり。
となりで虫メガネを手にした所長さんが、綿あめ頭をかしげた。
「ミス・シュガー、残念だがなぞなぞが残っておるよ。手順の最後を見てごらん」
〜こはくとうのつくりかた〜
1. できるだけこまかいお砂糖と、きれいなお水をお鍋へ
2. お好きなスプーンでまぜるよ。波のように優雅に!
3. 呪文と“ ”を加えたら、甘い夢をめしあがれ
メリーがじれったそうに悶えた。
「うう、肝心なところが薄れてる! 失われた材料、いったいなにかしら?」
ということで、あらゆる食材をためしては、光を爆発させている。
「クリームがダメなら、おイモかも…… いっそ痺れるスパイスを」
ごちゃごちゃの机のはじっこにティーセットを広げ、今日も失敗をふり返るメリー。
クッキーをかじったウェイクが、さりげなく言った。
「もう少し、休んでもいいんじゃないか」
「あら、いま休憩中よ。やさしい調査員さんと一緒に、おいしいお茶で」
にっこり笑いかけられ、彼は引きさがる。忙しく研究ノートをつけるメリーを、心配そうに見守った。
すてきなこはくとう屋さんになろう、とメリーががんばっているのは、仕立て屋の令嬢・ソフィーのためだった。
彼女が夢の中で出会った、記憶のない青年。
彼の正体は、 “カート・アスター” という人物かもしれない……
そんな耳寄り情報をキャッチしたのは、少し前のこと。メリーは期待いっぱいでソフィーを訪ねた。
「カートさんは天文学がご趣味らしいの。
お名前を教えて、お星さまのお話をしたら、なにか思い出せるかも!」
けれど、夢の青年は、ひたすら首をひねったという。
「私は、そういう名だったのかな……
どうでしょうソフィーさん、私はカート・アスターという感じがしますか?」
彼はソフィーの手をとり、顔を近づけた。
あごと鼻筋が細い、上品な顔立ち。さっぱりわけた赤銅色の髪の下で、大きな瞳が救いを求めている。
令嬢は少し頬を染め、しっかりうなずいた。
「ええ、ぴったりだと思いますわ」
「ではたとえば、カール・ラスターではどうでしょう。アート・ネスターでは?」
「そ、それもしっくりくるような……」
彼らは途方に暮れて見つめあう。やがて青年は、沈んだ目を伏せた。
「すみません。私はあなたの大切な時間を奪っている。夢の中でも、現実でも」
そこは木立ちにかこまれた小川のほとり。かわいらしい花がたくさん咲く、春のさかりの夢だった。
そっと離した手のあいだを小さな蝶が飛んでいく。
その羽が太陽にかさなった瞬間、ソフィーは目を覚ました。
「あの方、とても気にしていらしたの。そんなことはありません、と伝えられたらよかった」
寂しそうな令嬢を見て、メリーはふるい立った。
「魔法のこはくとうなら、お二人を助けられるかも。早く習得して、しあわせな夢をとどけなくっちゃ!」
研究のお手伝いを終えたウェイクは、早めのおやすみを言ってメリーの部屋をあとにした。
「マリナス・ドリム・アンバール・ジェラタム、か。俺が唱えても虚しいだけだ、メリーが成功しなくては……」
長い坂をくだりながら、帽子に隠れた目がするどくなる。彼はじっと考えた。
──問題があるのは、レシピだけだろうか?
メリーのこんぺいとうは、この夏から不調だった。
けれど、幽霊城事件では完璧なこんぺいとうを作った。
あの数日間にあったことといえば、時計塔の点検作業。鐘は鳴らず、町は静かで、こんぺいとうはいい具合……
「そうか、鐘だ。
時計塔の鐘がメリーを邪魔しているとしたら…… 怪しむべきは、塔の番人だ!」
サッとふり返れば、クロックベルのシンボルが、夕陽をあびて真っ赤にそびえている。ちょっと背が伸びたような気もする。
ウェイクはひと目見てよろめいたけれど、ぐっと地面を踏みしめ、かっこいい笑顔をつくった。
「これはひさびさに陰謀の香りじゃないか?
こんなところで揺れているヒマはない、俺がメリーのお菓子を守ってみせる!」
俺がメリーを守ってみせる!
と言いきるのは、まだ恥ずかしかった。
数分後。
勇敢な青年は、坂の上まであと一歩というところで見事に固まっていた。
そこへ、ほっそり長身の女の子が、あわてて駆けてくる。
「ウェイクさん、大丈夫!?」
メリーの親友・ルシアだ。彫像みたいになっていたウェイクが、震えながら微笑んだ。
「や、ルシ。も、暗、どっ」
“やあルシア。もうすぐ暗くなるがどうしたんだ”
メッセージを解読した少女は、スカートのポケットから、ちっちゃくてかわいいスプーンを取りだした。
「この前ね、メリーがおすすめティースプーンを貸してくれたの。
とっても混ぜごこちがよかったよ、って伝えたくて…… ウェイクさん、これから時計塔にいくの?」
青年の口はまだこわばっている。冷や汗をぬぐってなんとかうなずくと、ルシアは緑色の目を丸くした。
「もしかして、メリーのため?」
勘のいい子だ。
ウェイクは青い顔を赤くした。すると、はにかみ屋でおとなしい少女が、急にキリッとした。
「わかった、メリーが塔の中で迷っちゃったんだね! 私も手伝うよ」
勘のよくない子だった。
友だちのために決心したルシアは、あわあわ首をふるウェイクを引っぱって、あっというまに塔の入口についた。きゃしゃな腕で扉をたたく。
「すみません、ごめんください…… あれっ、開いてるね」
今日の彼女はひと味ちがう。なにも恐れず軽やかに中へ飛びこんだ。
「メリー、助けにきたよっ」
「ま、待つんだルシア!」
金縛りがとけたウェイクが、マントをひるがえしてあとを追う。
刻はたそがれ、夜の手前。
塔に飲みこまれていくふたりの上で、その日さいごの鐘が鳴りはじめた。




