第2話 ウェイクの薬はちょっと苦い 1/2
ウェイク・エルゼンはドアをたたいていた。
「魔法史調査局だ。聴取にきた、ここを開けろ」
ノックをとめて耳をすます。
三階建てのてっぺん、吹き抜けの廊下は、シーンと静まり返っている。
彼は、少し口調を強めた。
「メリー・シュガー、君は監視対象に指定されている! おとなしく出てきな……」
「こんにちはウェイクさん」
「うわぁっ!?」
背後からあいさつされた青年は、垂直に飛びあがった。
「いいジャンプだわ。さすが調査員!」
はしゃぐ声にふりむけば、金の髪に青い目の少女が楽しげに見あげてくる。
今日は輪っかのみつあみに紺のリボンを結び、ブラウスもスカートも秋の色。この前よりずっとおとなっぽかった。
先手をとられたウェイクは、メリーが抱える買い物袋に目を走らせる。
「怪しいものを仕入れたようだな。なんの取引をしてきたんだ」
「お昼の材料をそろえに、ちょっと下界まで。ライ麦パンのサンドイッチはお好き?」
「……その回答は具によって変わるが、俺にごちそうしようというならムダだ。監視対象から食べものは受けとれない」
「それは残念! じゃあ、また今度」
メリーは調査員のマントを引っぱって脇にどけ、スカートのポケットをさぐる。
「おかしいわ、カギをどこにやったのメリー・シュガー? コインと一緒に払ってしまったのかしら、いくら金属だからってそれはカギにもコインにも失礼……」
とまらない独りごと、パタパタ飛びまわる手、いつまでも見つからないカギ。
ウェイクは無言で買い物袋を持ってやった。メリーがパッと笑顔になる。
「まあ、ありがとう。クロックベル一番の紳士ね」
「ちがう。逃げようとしてもそうはいかないぞ。詳しく説明してもらう、このあいだの現象について」
キリッと言いきったとき、時計塔から正午の鐘が響いてきた。
目の前でできあがった、夢のこんぺいとう。
先日、メリーに出会ったあとで、事務所に戻ったウェイクはきっちり報告した。
「こんぺいとう屋だ、暫定だが。スプーンで砂糖をまぜて、一瞬で星をつくっていた」
これを聞いたおじいさん所長は、初めていぶかしげな顔になった。
「それは奇妙だ。あのお菓子は、つくるのに何時間もかかるはずだよ。大きな粒にするには数日かけるそうだ」
「では、やはり陰謀……!」
「そこまでは行かん。戻っておいでウェイク」
所長さんが青年をなだめ、それからやっぱり首をひねった。
「そのメリーという子。ひょっとしたら、今に生きる魔法つかいかもしれないなあ」
「俺もそう思ったんだが。あらためて言葉にすると、夢物語みたいだ」
ウェイクはすんなりした眉をさげ、自信なさげに答える。
二人は一緒になって考えこんだ。
大きな魔法がぶつかりあったのは、もう遠い昔のこと。
不思議な力は、ある時はじけて散らばって――
当時の魔法つかいの手記によれば、
「粘土が砂に変わってしまい、私たちはなんの形もつくれなくなった!」
そんなわけで、今となっては、見えない砂つぶとしてみんなの暮らしにただよっている。
たとえば、郵便屋さんが踏みこんだペダルにまとわりついたり。
子守唄のメロディーに乗って、赤ちゃんのほっぺたでぽよんとはねたり。
祝祭にかかげたランタンの光にそっとまざっていたり……
なんとなく、なにかが起こる、かもね?
そんなあいまいな予感として残っているだけ。
ウェイクは、そのぼんやりした予感を確かめようと、ふたたびメリーを訪ねてきたのだった。
「この世界では、もう誰も魔法を使えない。それなのにメリー、君は……」
と、ウェイクが、机に乗っているこまごましたものを指す。
「ありえない現象を起こした。この普通きわまりないスプーンと鍋で」
「“ありえない現象”? あんまりロマンチックじゃないわね、調査局はそういう言葉がお好みなの?」
メリーは仕切りの奥の小さなキッチンから答える。
熱いお湯のコポコポいう音と、紅茶の香り。
平和な雰囲気に騙されてはいけない。ウェイクは灰色の目を慎重にまたたかせた。
「君が認めるなら、魔法と呼ぶ」
「そう呼ぶなら、あなたは魔法にかかわる陰謀に手を貸したことになるわね。ふふふ」
「共謀罪、だと……?」
「冗談です。ねえ、ちっちゃな奇跡、っていうのはどうかしら? ずっとすてきだと思うわ」
トレーを運んできたメリーは、ごちゃごちゃの机の前でまごついた。
ウェイクが無言で片づけてやる。このかわいい魔女は整理整頓が苦手らしい。
「ああ、ありがとうウェイクさん。どうぞ、すわって」
「ウェイクでかまわない。俺は楽しいお知りあいじゃないし、紅茶よりコーヒー派だ」
彼は窓に背をむけて腕組みした。
「いいかメリー、呼び方の問題ではない。
もし君が、秘密の力をよいことに使っていても、それを嗅ぎつけた悪人にねらわれるかもしれないだろう?
魔法史調査局は、よみがえった魔法の悪用をふせぐ義務があるんだ」
彼が真面目に語ってるあいだ、メリーはうすくスライスしたパン(軽く焼いてある)にバターとマスタードを塗りたくっていた。
「つまり、私が危ない目にあったら、いつでもどこでもあなたが助けにきてくれるっていうことね。すてき!」
そういいつつ、心はサンドイッチに奪われている。
彼女は、ピクルスとチーズとスモークチキンを手ばやくはさみ、
「失礼」
とウェイクにことわってから一口目をかじった。
「なんとも幸せそうな魔法つかいだな」
「そうね、おいしさって魔法ね」
「君はすっとぼける魔法がうまい」
調査員は、本日もからぶりだと悟ってため息をついた。
お茶を飲んだメリーが視線をあげる。
「そうだ。あなたへお礼があるの」
「俺に?」
「そこの引き出しを開けて、そうそれ。手前にある、ブルーのリボンの……」
青いリボンのかかった、小さなビン。
透明なガラスの中には、空色の星々がつまっていた。
こんぺいとうを手にしたウェイクは、じろりとメリーを見る。
「なんの呪いをかけようというんだ?」
「呪いをとくんです。あなた、高いところから落っこちる夢に悩んでるんじゃない?」
「なっ……」
彼は言葉をうしなって、それが答えになった。
「そうだと思ったの。長いあいだ、くり返し見てるでしょう」
メリーはもう笑っていない。驚いて固まる青年に、静かなまなざしをそそいだ。
「助けられるかも。私のちっちゃな奇跡で」