第14話 ライオン姫は本の虫 1/2
「ハーティスよ。シープランドから、客人をまねいたそうだな」
王さまが尋ねて、レオール王家の食卓が凍った。
第一王子ハーティスは、ひきつった笑顔をむける。
「な、夏の宴のことですね。シープランドの王子ご一家を招待する予定です」
「そうではなく、昨年の暮れの件だ。
それから、お前は春先に隠密旅行をしただろう。行き先はシープランドと聞いている。これはどういうことだ?」
重々しく言い、息子を見すえるレオール王。
彼は、宮廷じゅうの衛兵にも負けない立派な体格をしている。
がっしり四角いあごに、金色の豊かなひげ、厳しいまなざし。ライオンの王さまそのものだ。
ハーティスが、不自然な明るさで答えた。
「まさか、私は父上の目を盗んでシープランドの探偵を呼んだりしませんよ。
その正体をたしかめに行き、サーカスの夢に巻きこまれたりなど、けっしていたしておりません!」
となりで青ざめたのは、弟王子のジェシオだ。
(ああ兄上、それはあまりに下手な言いわけ……
というより言いわけになっていません。食後のデザートは吊るしあげの刑に決まりですね……)
彼の絶望どおり、父の目がするどく光った、そのとき。
パタパタ足音がして、大きな扉がひらいた。
「ごめんなさい、寝すごしてしまいましたわ!」
駆けこんできたのは、ブルーのドレスをまとった華奢な姫君。
あわあわと礼をして、パッとあげた顔から、大きなメガネがずり落ちた。ついでに、まとめそこねた金の髪がほどける。
「クリスティーヌさま!」
と、ヘアピンをふりかざした侍女が追いかけてきた。よくある朝の光景だ。
王さまがため息をつく。
「クリスティーヌ、また読書で夜ふかしか。何度いえばあらためてくれるのだ、この困った子は?」
苦い口調だけれど、その奥にやさしさがこもっている。
ただひとりの娘は、亡くなったお妃さまにそっくり。息子たちに悪いとは思いつつ、どうしても甘やかしてしまうのだった。
やっと席についたクリスティーヌは、品のある丸い顔をかしげた。
「ほんとうに困りましたわ、お父さま。
章の終わりで本を閉じようと決めたのに、そこでさらなる事件が起こるんですもの」
やわらかなおしゃべりは、まわりを明るくする。
ハーティスがひょいと口をはさんだ。
「それで、夜ふかしをして事件解決かい?」
「いいえお兄さま、次の章では、ついに探偵が犠牲に!」
「大事件じゃないか!」
召使いまで一緒になって笑い、嵐の予感は横にそれた。
なごやかな空気につられて、王さまが思いだす。
「クリスティーヌ、時間をみつけて画家のアトリエへいきなさい。肖像画を北の国に贈らねばならん」
思いがけない言葉に、末っ子ジェシオが青い目をまたたかせた。
「兄上より先に、姉上の婚約をまとめるおつもりですか?」
「いや、たんなる義理の返答だ。北の王子は遊び人のドラ息子だからな、そんな者に娘は託せん」
かわいい姫君へ顔をむけ、王さまはしみじみと言った。
「お前には、幸せな結婚をしてほしい。
外交のめんどうごとは気にせず、心から愛する人と一緒になりなさい」
これにはハーティスが嘆く。
「父上、私にもそうおっしゃってくださいよ!
あちこちの姫君と引きあわされて半年、すっかりくたくたです。お相手はいつ決まるんですか?」
「お前は次期国王だ。話がちがう」
ぴしゃりと押さえつけた王さまが、クリスティーヌをうながす。
「どうだ、心にとまる青年はいないのかね? 多少身分が異なってもかまわん、申してみよ」
注目をあつめたお姫さま。
テーブルクロスに隠れるみたいにちぢこまって、小さく答えた。
「そ、それでは。わたくし、シェリダン・ラフォールドさんのことが……」
「姉上、それはいけません!」
弟がすばやくとめる。
「その者を知っているのか、ジェシオ?」
王さまが尋ねると、苦労性の末っ子は、ピリッと背すじを伸ばして答えた。
「……本の主人公で、極悪非道な盗賊の首領です」
朝食のあと、王さまは真剣な面持ちで兄弟を呼んだ。
「クリスティーヌの目を、どうにかして実在の青年にむけさせるのだ。
できるだけ早く、あの子が図書館と結婚すると言いださないうちに…… 頼んだぞ」
彼は、めずらしく息子たちへ頭をさげた。
「楽しみだねぇメリー。僕、お姫さまに会うの初めて!」
夏のおしゃれを決めたヨルが、笑顔を咲かせた。
ここはレオールの宮廷。きらびやかな控えの間で、メリーは計算をまちがえた数学者みたいな顔をしていた。
「どうして。どうしてこうなったのかしら」
「君が王子さまからの手紙に大声をあげて、窓が開いててよく聞こえて、お散歩中のフォレスタが僕にニュースを運んでくれたからだよ?」
彼は嬉しそうにメリーをのぞきこんだ。
夏のお日さまをあびて、つやつやの黒髪もワインレッドの瞳も、透明なかがやきをおびている。
その光は、すべての女性への危険信号だった。
メリーが両手で顔をおおう。
「ああウェイク、なぜここにいてくれないの。なぜこのタイミングで里帰りを……!」
「僕がいてくれて助かったよね。女の子の一人旅は危ないもんね」
と、にっこりする危険のかたまり。
せっかくの、ハーティス王子の頼みごと。
なのにぜんぜんうまくいく気がしない。
メリーがますます渋い顔になったとき、扉のむこうに、高貴な影があらわれた。
「ハーティスさま、おひさしぶりです!」
あわてて立ちあがったメリーは、ピタリと動きをとめる。
そこにいたのは、ハーティスの線をもっと細くしたような青年だった。
大らかさをスプーン2杯へらして、論理っぽさを足して、隠し味はナイーブさ…… どっちにしろ、かっこいいことに変わりなし。
メリーは、礼も忘れてつぶやいた。
「ジェシオさま」
「ミス・シュガー。お会いしたことがありましたか?」
理知的な青い瞳は、するどさもたたえている。ちょっと気圧されたメリーは、こくりとうなずいた。
「前に、サラさんのアトリエで……」
「ああ、俺の肖像画をごらんに」
と、不意うちのようなさわやかな微笑み。危険な青年がここにもいた。
もじもじする少女の横から、ヨルが興味津々で顔を出す。
「君が、ライオンの王子さまのちっちゃい方。
大きい方はどこにいったの? サーカスにつかまっちゃった? 彼、ちょっとどんくさいところあるもんね」
ジェシオは、無作法な謎の青年にも動じなかった。
まっすぐ束ねた金髪をゆらし、きびきびとふりむく。
「兄上は、急用で王都をはなれています。この件は俺が代理を。
ところでミス・シュガー、あなたの本当の肩書きは? もしかして、シープランド王室の諜報員ではありませんか」
「あの、私、こんぺいとう屋さんです」
少女が正直に答えて、ジェシオの時がとまる。
ヨルが彼をつっついた。
「あのね、今回のメリーは助手だから。お姫さまの相談をうけるのは、この僕だよ?」
「それでは、あなたは……」
「クロックベル教会屋根裏在住、恋愛研究家 ヨルム・フォルス!」
青年は自信たっぷりで胸を張った。
時がふたたびとまる。
「しかも、世界一だよ!」
ダメ押しが響いた部屋は、夏なのにやけに涼しかった。
そのころ。
姫君クリスティーヌは、アトリエでため息をついていた。せっせと筆を動かす画家に話しかける。
「ねえ、サラ。
お父さまは心をつくしてくださるけれど、わたくし、今のままでいたいわ。いけないことかしら?」
画家のサラは、くだけた調子で彼女を見た。
「あら、そんなことないでしょう。
本を読んで、王都で公務をこなして…… すてきな生活ですよ。それはそれとして、本の外で恋をしたことはないの?」
「以前、侍従長をしていた方が好きでしたわ。
わたくしは5才くらい、あちらはすでにおじいさま。彼が故郷に帰ってしまったときは、何日も泣きました」
クリスティーヌが照れながら言うと、サラは遠慮なく笑った。
筆をおいて立ちあがる。
「さあ、下塗りは終わり! 数日で完成しますわ、メガネをどうぞ」
クリスティーヌは、レンズごしに肖像画をながめる。
胸から上を描いた、小さな絵。
きよらかに微笑む自分には、メガネの鼻あての跡がない。彼女は後ろめたく思った。
「とてもすてき。 ……すてきに描きすぎているようです」
「ハーティスさまと同じことを言うのね」
「わたくしについては、まことです。
このわたくしの足もとには、本が山のようにつみあがっているの。絵を受けとる方は、それを知らないんだわ」
しょんぼりして、画家の手をとる。
パレットをかまえていた左手の薬指に、真新しい指輪がかがやいていた。
姫君はもう一度ため息をつく。
「あなたがうらやましい。心からわかりあえる方と結婚したんですもの」
「ケビンと私?
しょうもないケンカばかりですよ。幼なじみだと、いまさら気取ることもできませんし」
苦笑いする画家は、それでも幸せそうだった。
扉の外から、侍女の声がした。
「姫さま、お時間です。相談員がお待ちしています」
勘のいい画家は目を丸くした。
「もしかして、恋愛を “するため” の相談?」
「そうなの、ハーティスお兄さまが心配してくれて…… サラ、絵をありがとう」
あわただしく退出するクリスティーヌ。
それを見送るサラは、なんとなく、輪っかのみつあみ探偵を思いだしていた。




