第1話 メリーの薬は苦くない 2/2
怪しい部屋へ果敢に踏み入ったウェイクは、目を見開いた。
「ん、これは……」
彼を包みこんだのは、暗い陰謀のにおいではなく、ふわっとした甘い香りだ。
しかも、たくらみ顔の悪い大人はおらず、きれいな布を広げた女の子がイスに立っているだけ。
「こんなところから失礼!」
十五歳くらいのその子は、ラベンダー色のドレスをひるがえし駆け寄ってきた。ウェイクにあわあわと礼をして、布をさしだす。
「これを窓に張りたくて。お願いできます?」
「なんだって?」
青年は、呆気にとられて少女を見おろした。
彼女は、ただかわいいだけでなく、なんだか不思議な魅力のある子だった。
金色の髪はふたつのみつあみに分け、両耳の下でくるんと輪っかにしている。
どこかひつじを思わせるのは、そこに真っ白いリボンを飾っているせいかもしれない。
さっきまでの奮闘が頬をうすく染めて、大きな瞳の青さを引きたてる。まっすぐ見つめられたウェイクは、思いっきりうろたえた。
「な、なにを、君は。俺がなにをしにきたか、わかっているのか?」
「わからないけどこんにちは、私はメリー・シュガー。あなたはだあれ?」
「ウ、ウェイクだ。ウェイク・エルゼン」
「ウェイクさん、私は人を助けたくて急いでるの。早くしないと間に合わないわ!」
一生懸命なメリーは、青年を窓へと押しやった。
ここは、高台の建物の三階。
あまりにも見晴らしのよすぎる窓が広がっている。視界いっぱいすぐそこに、ちょっと揺れたら落っこちる――
ウェイクは息を飲む間もなく硬直した。
「あら? どうしたの」
机に戻ったメリーが、まばたきをして尋ねる。
「…………」
青年は、背をむけたまま、とてもゆっくりと首を横にふった。さびついたブリキ人形みたいに。
メリーはハッとなった。
「あっ、高いところダメなのね!」
急いで青年を引っぱり戻す。真っ青になったウェイクは、トランクの山の前にへなへなしゃがみこんでしまった。
実をいうと、この区域にのぼってくることすら、彼にとって決心のいることだった。
坂道は永遠みたいにぐるぐる続き、足場はどんどん高くなっていく。
なるべくまわりを見ないようにして、なんとかたどりついたのだけれど……
「ごめんなさい、私ったら聞きもしないで。大丈夫?」
メリーが調査員の帽子をはずすと、つやのある茶色の髪は、冷や汗でぺったりしていた。少女はハンカチを取りだしてそっとぬぐう。
やさしい感触と清潔な香りが恐怖をほぐしていく。
マントの中にちぢこまってキノコのようになっていたウェイクは、深い息をついた。
心配そうなメリーと目があうと、安心と一緒に恥ずかしさが湧いてきた。
ハンカチの手をとめて、冷静なふりをして言う。
「こうしよう。トランクの上にイスを置き、俺が押さえる。そこに君が乗って布を張る。どうだ、メリー?」
「まあ名案、そうしましょう!」
ふたりはてきぱきと動き出し、あっという間に窓に布が張られた。
晴れの光が通ってきて、部屋全体にうす青い影がかかる。
「次はどうすればいい、メリー」
ウェイクとしては、与えられた作業に没頭して、今いる場所の高さを忘れたい。女の子は輪っかのみつあみを揺らし、嬉しそうにふりむいた。
「それじゃあウェイクさん、このミトンを両手にはめて」
「よしきた」
マントを脱ぎ、星の柄のミトンをつけたウェイクは、机をはさんでメリーと向かいあう。
せまい机の上には、とりとめのない怪しいものがたくさん乗っていた。
天びんや小皿、謎の本、リボンの切れはしに小ビン……
だけど、今の彼にそれを見とがめる余裕はない。
「お鍋の取っ手を持ってね。そっとかたむけて、じっくり回して」
「こうか」
「そうそう、お上手」
にっこりしたのも一瞬のこと。
銀のスプーンを手にしたメリーは、少しまぶたをさげ、浅い鍋の一点を見つめる。
もう片方の手には、きちんと量ったお砂糖の小皿。ウェイクがまわす鍋に、それを静かにふり入れた。
「……春のとまどい。お砂糖づけのすみれ色ひとさじ」
じっと考える声にあわせて、ひらっと踊ったスプーンが見えないなにかをすくう。
「夏の冒険は空青と雲、ひとさじ。かくれんぼの秋を見とおす黄金、できるだけたくさん! さあ、レシピはばっちり」
ここでメリーは、すうっと息を吸った。
スプーンをくるくるまわしはじめる。
「メア・ディム・ドリム、メア・ディム・ドリム。今宵一粒、甘い夢。すてきな出会いに導いて……」
呪文はまるで子守唄。
ウェイクが眠たくなってきたとき。
メリーが稲妻のようにスプーンをかかげた。
「わっ!?」
うす暗い空中にパッと輝くモヤがはじけて、彼はいっぺんに目を覚ました。
「できたっ」
と喜ぶメリーにつられて、鍋をのぞくウェイク。
サラサラ流れていたお砂糖は、色とりどりのこんぺいとうになってコロコロ転がっていた。
「こ、これは…… 今の一瞬で?」
灰色の目を丸くしてメリーを見る。
彼女が答えようとすると、玄関からひかえめなノックが響いた。ひっそりした若い女性の声がする。
「ごめんください、ミス・メリー・シュガー?」
そちらへふり返る寸前、メリーは助っ人にむかってパチリと片目を閉じた。「間に合った、ありがとう!」をこめて。
それからお客さまに明るく呼びかけた。
「はい、どうぞ。ドアは開いてます!」
ウェイクは、できたてのこんぺいとうを小ビンにうつすところまで手伝って、あとは壁ぎわでじっとしていた。
メリーがビンの口にリボンを結び、美しい令嬢に手渡す。
「ききめは今夜かぎり。明かりを消してから、フタを開けて枕もとに置いてね。眠りに落ちれば、夢に“彼”が待ってます」
「私、大丈夫かしら。あの方にお名前を尋ねられるかしら」
心細そうな令嬢に、メリーはスプーンをあっちこっちふってみせた。
「さあ、こんぺいとうも万能じゃないの。うかうかしてると横から取られちゃうかも?」
「それは嫌!」
ついつい声を高くした令嬢は、頬を染めてうつむいた。
メリーが彼女にやさしくふれる。
「夢はあなたの味方。勇気を持ってね、きっとうまくいくわ」
「ありがとう、メリー……」
窓にはまだ布がかかっていて、部屋は暗い。
それでもウェイクは、この令嬢に見覚えがあることに気づいた。大通りに店をかまえる、高級仕立て屋の一人娘だ。
これからむかえる夜のことで頭がいっぱいの彼女は、ミトンをつけている青年を鍋まわし職人とでも思ったらしい。
優雅に会釈をして、急ぎ足で帰っていった。
布を取り去って、部屋に色彩が戻る。
あと少しで陽も沈みはじめる、そんな時刻だった。
「本当にありがとう、ウェイクさん。あなたがきてくれてとっても助かったわ」
ホッとした様子のメリーは、かちゃかちゃと小皿を片づける。
「ああ……」
と、ぼんやり返事をしたウェイクだけど、やっと自分の任務を思い出した。
「待て、今のはなんだ? 夢がどうとか言っていたが、あれは魔法じゃないのか!」
彼が勤めているのは、魔法史調査局・クロックベル支部。
魔法が使われた形跡を調べるのが仕事――
といっても、それは“過去に使われた魔法”についての話。魔法つかいが現代にいたとしたら、とんでもない大事件だ。
メリーは、そしらぬ顔をつんとあげた。
「魔法ってなんのこと? 私はかわいいこんぺいとう屋さんメリー・シュガー……」
「今かわいいって言ったか?」
「じゃあそこは取り消し。でもね、ウェイクさん。私がしているのは、お話を聞いてささやかなお菓子を渡すことだけなの。信じてくれる?」
少女は不安そうに首をかしげた。
ふたりのまわりには、まだお砂糖の香りがただよっている。
視線を交わしたウェイクには、メリーの青い目の中にまたたく星が見えた気がした。
「……ああ、わかった」
彼は小さくうなずいた。
メリーの緊張がとけて、甘い微笑みが広がる。
思わず笑顔を返しかけた調査員は、ピリッとなって首をふった。
「今日は見逃そう。だが今後、君は監視対象となる。いいな」
「それじゃあ、またきてくれるのね! ぴったりのサイズのミトンを用意しておこうっと。好きな色はなあに? お好みの柄は?」
「手伝いはこれっきりだ! お茶はいかが、なんていうなよ。俺は平地に帰る」
特にお茶を出すつもりはなかったメリーは、あっさり彼を送りだした。
手すりにもたれて、吹き抜けの階段をおりる青年に手をふる。
「さようならウェイクさん。ちょっと早いけど、おやすみなさい! 下り坂で転ばないように……」
さっきの恥ずかしさがぶり返して、ウェイクはぶっきらぼうにさえぎった。
「おやすみメリー、いい夢を」
返事がかえってくると思ったのに、少女の声がとだえる。
気にさわっただろうか。焦ったウェイクがふり返って見あげると、彼女は困ったように微笑んでいた。
「ありがとう。でも、私は夢を見ないの」
(第1話 おわり)