第8話 ライオン王子とわがままな画家(後) 2/2
目を開いたサラは、黄金の森にたっていた。
いっぱいにしげる草木も、葉っぱのかさなる地面も、みんな金色。
「なっ、なにこれ!?」
見あげた空は、かわいらしいピンクでいろどられている。もくもくの雲を描く筆のあと――
彼女はハッとする。
「絵の具…… ここ、絵の中なんだわ」
歩きだしたとたんに、声がふってきた。
「失くしものの森へようこそ、天才画家さん!」
「あなたは、あのおかしなメイド? やっぱり曲者だったのね!」
ぐるりと見まわしても、輪っかのみつあみの女の子はどこにもいない。
甘くて凛とした声だけが響く。
「そう、私は王子さまを助けにきた曲者です。
あなたは肖像画を完成させなきゃ。メア・ディム・ドリム、隠れんぼはもうおしまい!」
それを合図に、ピンクの空から、きらきらした輝きが滑りおりてきた。
風になって黄金の森を駆けぬける。枝や葉っぱを揺らすたび、
ポンッ!
と軽い音がはじけて、そこに筆が現れた。
まるで果実みたいに、森じゅうに筆がみのってゆく。
「なっ……」
と、サラが後ずさる。
見まちがえるはずがない。目に入る筆ぜんぶが、あの “夢でなくしたお気に入りの筆” だ。
彼女は、顔を引きつらせて立ちすくんだ。
そのとき。
「おおい、サラ! 大丈夫か」
金色の葉っぱをかきわけて、ケビンが走ってきた。
彼は、ホッとしてふりむいたサラの肩に、やさしく手を置いた。
「一緒に筆を見つけよう。そしたら元に戻れる」
彼女は目をそらしてうつむく。
「でも、こんなにあるのよ。とても探し出せないわ」
「ひとつずつ確かめればいいさ、二人ならできる」
「…………」
黙りこんでしまうサラ。その瞳をケビンがのぞきこむ。
「ハーティス王子には、婚約のお話がきているそうだな」
彼女の身体が、ビクッとはねる。
「新しい肖像画は、お相手の姫君へ贈られる。
絵を描いているときに、王子から聞いたんだろう? 君は、絵をしあげたくなくて、筆をなくしたことにした」
彼は、痛みをこらえるような表情をしていた。
「子供っぽいやり方だ、サラ。それじゃあ気持ちは伝わらないよ」
彼女は、するどく顔をあげた。
「だって、伝えてどうなるの!
彼は王族よ。想いが届くわけないじゃない、はじめから決まって……」
いつもの激しさが戻ったのは、一瞬のこと。
あとの言葉は涙にかわる。顔をおおった手は、天才画家のものとは思えないほど、小さくて弱々しかった。
ケビンが、震える背中をなでた。
「筆は、どこにあるんだ? 教えてくれ。君が心配で」
そう言いかけて、口をとめる。
あの謎の太鼓たたきの顔が思い浮かんだ。
“彼女のため。本当に、そうか?”
「……いや、違う」
ケビンは、キッとなって声を張りあげた。
「肖像画も縁談も、さっさとできあがってしまえばいいんだ。
そしたら、王子の結婚式で勝利の歌を吹いてやる。
俺はいつだってこう思ってた。君をあいつなんかに渡してたまるか!」
サラが濡れた顔をあげる。
「ケビン……」
見つめあう二人のまわりから、筆は消えていた。黄金の木々に、たくさんの真っ赤な実を描きのこして。
甘ずっぱい香りが、遠い思い出とかさなる。
ケンカした日も、仲なおりの日も。ふたりの故郷には、こんな色のベリーがいっぱい実っていた。
われに返ったケビンが、もごもごとつぶやく。
「俺も子どもだな。君のことを言ってられない」
それが、夢の終わりをつげる言葉になった。
まだ暗い早朝、サラは飛び起きた。
はだしのまま、アトリエの机に駆け寄る。デッサン用のモチーフから、ひとつを取りあげた。
いつかケビンにもらった、木のフルート。
空洞をのぞいてから、軽くふってみる。
ずっと隠してあった筆が、コツンと机に落っこちた。
宮廷画家の大事な筆は、夢の中でみつかった。
……と、いうことになった。
ハーティス王子のとんでもなくかっこいい肖像画は、無事に描きあがった。
「おお、なんとすばらしい! さすがサラ殿」
「いや、間にあってよかった。これにて一件落着ですなあ」
アトリエを訪れた大臣たちは、胸をなでおろして帰っていった。
それから、ハーティス王子もやってきた。
描かれた自分を見た彼は、しばらくのあいだ、みごとなできばえに圧倒されていた。ふり返って微笑む。
「サラ。君は、かけがえのない友人だよ。
これは完璧以上…… 実物よりも、はるかに男前に描いてくれたようだが?」
「さすがの目利きね。遅れたおわびだと思ってください」
画家は、肩をすくめて平然と答える。
「天才にいつわりなし。君のそういうところが好きだ」
王子は、端整な顔をくしゃくしゃにして、明るい笑い声をあげた。
サラの胸はズキッとしたけれど、表情には出ずにすんだ。
「ところで、ハーティス王子。私のアトリエに、かわいいスパイを差しむけましたわね?」
彼は青い瞳を輝かせる。
「君の目こそごまかせないな。
あれはシープランドの名探偵だ。夢まで捜査できるとは、まったく感銘をうけたよ」
あの子、ぜったいに探偵じゃない。もっと別のなにかだわ──
サラはそう思ったけれど、王子が楽しんでいるみたいなので、心にしまっておいた。
「で、その探偵さんはどちらへ?」
「シープランドから迎えがきて、帰国したよ。
今日の晩餐に招待したかったんだが…… あらためてお礼を贈ることにした」
口をへの字にした王子が、残念そうにうなずく。
サラは、まっしろのキャンバスを用意しながら言った。
「だったら、少し待っていただけます? 私、探偵さんのために絵を描きますから」
「それは名案だ! できあがったら、私にも見せてくれるか?」
無邪気にのぞきこんでくる王子。
画家の目は、ものをよく見とおせる。
たから、王子の中にあるのが純粋な友情だけということも、はっきり見えた。
彼女は、すみっこに置いた木のフルートに目をやる。
それから、穏やかに微笑んだ。
「ええ、ごらんにいれますわ。夢の森を飛ぶ、ひつじの絵を」
「ああ、懐かしの時計塔! やっぱりクロックベルは落ちつくわ」
馬車をおりたメリーは、心からホッとした。
普段着に戻ったウェイクが、となりに並ぶ。任務が無事にすんで、彼も安心していた。
「こんぺいとうは、二人分。君に言われて驚いたが、うまくいったな」
「筆さがしの方はばっちりね。あの二人も、そうなるといいんだけれど」
サラと、ケビン。
同じ夢の中で、ちょっと素直になれたなら、あとは彼らしだいだ。
ウェイクが晴ればれとトランクを持ちあげた。
「よし、旅のしあげだ。家まで送ろう」
「ありがとう、ウェイク!
この旅はあなたに頼りっぱなし…… あらっ、あれは?」
メリーが首をのばす。
並木道の真ん中を、自転車がやってくる。
軽やかにペダルをこいでいるのは、ヨルだった。黒い髪をお日さまに輝かせて、にっこり笑う。
「おかえり、メリー! よろしければ、お荷物はこびましょうか?」
「待てーっ、自転車どろぼう!」
うしろから追いかけてくるのは、郵便屋のお兄さん。とれだけ走らされたのか、すでによろよろ、息も絶えだえ。
「あ、僕あぶない。また今度ね」
すばやく逃げだしたヨルだけれど、すれちがった女の人へしなやかに手を伸ばすのを忘れなかった。
「君、自転車すき? つれてってあげるよ、普段はいけないところまで」
「いえ、あの、私……」
誘われた女性は、戸惑いながらもがっちり魅了されていた。
ウェイクはしみじみと言った。
「あいつは論外だが、王子のように自覚がなさすぎるのも困るな。婚約がまとまれば、きっとたくさんの女性が泣くだろう」
「しかたないわ、あんなにすてきなんだもの! ああハーティスさま、あなたこそ一時の夢……」
ライオン王子の輝く面影にひたるメリー。
きらきらの思い出はとまらない。
「サラさんが描いた、弟王子さまの肖像画を見た?
ハーティスさまに似ていて、少しヨルっぽくもあったの。お会いしたかったなあ、それがいちばん心のこり」
ウェイクは、最後まで聞く前に、無言で歩きだした。
メリーがあわててついていく。
「あなただってかっこよかったわ、あのしょんぼりワルツ!
楽団の制服もよく似合って、とくに太鼓がぴったり…… ねえウェイク、待ってってば」
「行こう。早くレインにただいまを言いたい」
彼はすたすたと坂をのぼっていく。
すねた背中のむこうで、時計塔がおかえりの歌をうたいはじめた。
(第8話 おわり)




