第8話 ライオン王子とわがままな画家(後) 1/2
夢の中で筆をなくしたという、宮廷画家のサラ。
彼女は、あいかわらず王子さまの肖像画にそっぽをむいていた。
すると、閉めきったアトリエに、コンコンとノックが響く。聞こえないふりでデッサンをつづけるサラ。
ノックの音はやまない。
コン、
ココン、
コココココン……
キツツキのように扉が歌いだす。
サラは、うんざりしてふり返った。
「やめて! 誰もこないようにって、あれだけ言ったでしょう」
「サラさま、もう15時です。大事なおやつをお忘れですよ」
聞き覚えのない、かわいらしい声が答える。
どうせケビンがお説教にきたんだろう、と思っていたサラは、大きな目を丸くした。
「いらないわ、さっきリンゴを食べたの。さげてちょうだい」
「わあ、じゃあ私がいただきます! 見つかったら怒られちゃう、中に入れてくださいますか?」
「ええっ? ……まあ、わかったわ。アトリエでは静かにしてよね」
「はいっ、もちろん!」
あまり静かではない返事をして、メイドが入ってきた。
金の髪を輪っかのみつあみにした、十五才くらいの女の子。ティーワゴンをぎこちなく押す姿を見て、サラは納得した。
「ああ、新人さんだったの。机をつかっていいから、食べたら出ていって……」
言葉が終わる前に、メイドはもう焼き菓子をほおばっていた。立ったままで、幸せそうに。
画家の視線に気づいて、青い目をまん丸にする。
「ごめんなさい、バタバタしていてなにも食べてなくて。ワルツってなかなか体力をつかうのね」
と、カップにそそいだお茶まで飲んで、心配そうにつぶやく。
「ウェイクは大丈夫かしら。
いっぱい足を踏んじゃったし、あっちに食べものの気配はなかったけれど……」
「最近のメイドは、ダンスのレッスンまでするの? お気楽なことね」
肩をすくめたサラは、デッサンに戻った。
筆をなくしてから、もう何枚も描いている。
モチーフは、お気に入りの壷と、ケビンにもらった木のフルート。リンゴは食べてしまったから、オレンジを代役に。
細かいところまで正確に、集中して……
集中したかった。
けれど、ものすごく、気が散った。
おかしなメイドは、あっという間におやつをたいらげて、忍び足でアトリエを歩きまわりはじめた。
サラが描いた作品を見ては、
「わあ、すてき!」
「家に飾りたいわ」
「かわいい小鳥、ルシアにぴったりね」
と、ささやき声で盛りあがる。
そしてついに、描きかけの一枚にたどりついた。
優雅に微笑む、王子さまの肖像――
サラは鉛筆を強くにぎった。あの子になにを言われても、私は知らんぷり。
メイドは、なんにも言わなかった。
サラのところまでてくてくやってきて、画用紙をのぞきこむ。
「まあ、おいしそうなオレンジ! 白と黒なのに、とってもみずみずしいわ」
「待って、まってまって!
肖像画の感想は? 私が描いたハーティスさまは、オレンジ以下だっていうの!?」
必死に問いただすと、メイドはどこ吹く風で首をかしげた。
「なんだか問題があるそうなので、そっとしておこうかなって……」
そういいながら、彼女はぐっと顔を近づけてきた。
青い目がキラキラ輝いている。
「あのう、サラさま。大事な筆をなくしたのは、どんな夢の中ですか?」
だけど、画家はものを見るのが得意だった。
大きな目をするどくして言いはなつ。
「あなた、メイドじゃないわね」
「えっ、まさかそんな!
私はかわいい新入りメイドさん、真っ白なエプロンがこんなに似合う……」
メリーは、軽やかに踊ってごまかそうとしたけれど、サラは厳しい顔で首をふった。
「今、すぐ、出ていって。
そうでないと衛兵を呼ぶわ。ここに筆泥棒がいるってね」
一方、ウェイクは太鼓をたたいていた。
正しくいうと、手に持った太鼓をたたくふりをしつつ、楽団の練習に忍びこむことに成功していた。
大きな窓のそばに、フルート吹きの青年がすわっている。
ウェイクはさりげなく近づいた。
「やあ、ケビン。今日もいい笛だな、よく光っている」
「そうかい? どうも調子があがらないよ」
がっしりした青年は、困ったように頭をかいた。
飛びいりの偽団員をうたがいもしない。これはチャンスだ。
ウェイクは太鼓をトンとたたき、尋問をはじめた。
「画家の件が気になっているのか? 君と彼女は、幼なじみだと聞いたが」
「ああ、サラとは同じ村で育ったんだ。ケンカばっかりしていたけどね」
ケビンの顔に、うっすらと微笑みがうかぶ。
「それが、一緒に宮廷につとめられるなんて。
芸術学校にかよってたころは、夢にも思わなかったな」
かざり気のない、あたたかい口ぶり。
彼のたたずまいは、金ピカの宮廷に舞いこんだ落ち葉のようで、人をホッとさせる力がある。ウェイクは好感を持った。
「それにしても、ケビン。サラの絵は実にすばらしいな、彼女はまったく天才だ」
「才能だけじゃない、すごい努力家なんだよ!
気まぐれでわがままではあるけれど…… 今回は、いつもよりずっと頑固で、変なんだ」
茶色の瞳が暗くなる。ウェイクは、太鼓をひとつたたいて聞いた。
「心配か」
「ああ、もちろん」
熱心な声の裏に、別の気持ちがこめられていた。
調査員がするどく切りこむ。
「ケビン、君はどう思っているんだ。彼女の手に筆を戻したいか?」
「あ、当たり前だろう!
王家の注文を放りだすなんて、とんでもないよ! 俺は、サラの将来のために……」
「彼女のため。本当に、そうか?」
素朴な青年は、ハッとなってウェイクを見つめた。
「……君は、誰だい?」
「ただの太鼓たたき見習いさ」
かっこよく答えたウェイクが、ドアへふり返る。
ケビンも目をやると、見慣れないメイドの女の子が、ぴょんぴょん飛びはねて必死に手まねきしていた。
謎の青年が、太鼓を置いて立ちあがる。
「さて、楽団員は廃業だ。次の仕事は鍋まわし職人、だといいんだが」
その日の夜もふけたころ。
「あら、これは?」
サラは、アトリエに届いたカゴを見て、けげんな声をあげた。デッサン用の果物の中に、頼んでいないものが入っている。
金色のリボンが結ばれた、小さなビン。
中につまっているのは、ピンクと赤のお砂糖の星。
「……こんぺいとう? 画題にもできないわね」
雑に机へ置いたとき、ビンにくっついているカードに気づいた。丸っこいかわいい字で、こう書いてある。
“こんぺいとうは、食べものです”
「知ってるわよ」
“だから、ぜったいに開けないでください”
「……!?」
“フタを開けて枕もとに置いて眠ったりしないでください。ぜったいに”
わけがわからなくて、サラはちょっとだけ怖くなった。
けれど、きつく言って人払いをした手前、いまさら誰かを呼ぶのも気がひける。
なにより、彼女はあまのじゃくだった。
キッと強気な顔をあげる。
「おもしろいじゃない。
受けてたつわよ、怪人こんぺいとう。毒でも胞子でもまいてごらんなさい!」
アトリエにくっついた寝室に引っこんで、ベッドに飛びこむ。
小ビンのフタをはずすと、中身がぜんぶこぼれそうな勢いで、サイドテーブルにたたきつけた。
暗闇に、甘ずっぱい香りがふわっと広がる。
――この香り、なんだったかしら?
なんだか懐かしい気がして、ちらっと記憶をさぐる。けれど、答えが見えないまま、彼女は眠りに落ちていった。




