第1話 メリーの薬は苦くない 1/2
この町に、怪しい薬が広まっている――
そんなうわさが舞いこんだのは、よく晴れた10月の昼さがり。
「薬だって? このクロックベルで、かね」
丸い顔をあげたのは、わたあめみたいな白髪のおじいさん。秋の金色の光がさしこんで、大きなメガネをきらっとさせた。
机の前には、黒っぽいマントをはおった青年が立っている。
青年は真剣に言った。
「ああ。ある建物から出てきた者が、小さなビンをこそこそ隠していたそうだ。おかしな粒が入っていたらしい」
背すじをのばして、するどい灰色の目をくもらせる。
「きっと陰謀だ、所長。町が危ない」
彼はツメの先まで大真面目、手に持った帽子をもみくちゃにする。
この忠実すぎる部下をよく知っている所長さんは、うん、とうなずいた。
「そういうことなら、ウェイク、君に頼もう。詳しく調べておいで」
「まかせてくれ! クロックベルの平和は俺が守る」
青年はキリッと帽子をかぶったけれど、幅広のツバはしわしわに波打っている。
あまりかっこうのつかない格好でドアを開けた彼に、所長さんはのんびりと声をかけた。
「急いで転ばないようにな、ウェイク」
風は冷たくて、太陽はあたたかい。
さっそうと路地をゆく青年を見送ると、所長さんは大きなあくびをした。
事務所を出たウェイクは、隙のない足どりで石畳を進む。
明るい色の建物のあいだには、焼きたてのパンの香りと、お茶の気配。たくさんの草花。楽しげにおしゃべりする人々……
俺はこの町が好きだ。
彼が頬をゆるませると、荷馬車の御者が手をふった。
「やあウェイク、散歩かい」
「任務中だ!」
巡回だ、見まわりだ、とどれだけ説明しても、クロックベルでは“散歩好き”にされてしまう。それほど平和な町だった。
御者のおじさんは笑う。
「歩くにはいい天気だ。お日さまに見とれて転ぶなよ」
「俺は小学生か? 所長にもそんなことを言われた」
「わかるなあ、それ。なんとなく心配なんだよ、じゃあな」
荷馬車が行ってしまって、残されたウェイクはちょっといじける。
「もう二十歳なんだが。迫力が足りないのか、それとも筋肉か」
彼はいまいち細っこくて、どっちかといえばどっちも足りていない。
気を取りなおして視線を戻す。
ぐるぐると坂をのぼった先の、町を見おろす高台に、大きな時計塔がにょっきりそびえていた。
怪しい薬の出どころは、その近くにある。
彼は表情をひきしめた。
「……待っていろ、陰謀。たとえ迫力がなくとも、お前を阻止してみせる」
まさに、その時。
時計塔が見える怪しい部屋で、とっても怪しい動きがあった。
「メア・ディム・ドリム、メア・ディム……」
かわいらしい声の、怪しい呪文。
秋の青空を背景に、銀のスプーンがくるくるくるり、もうひとつ、くるり。
軽やかなスプーンの軌道を追いかけて、不思議な光がチカッと走った。ダイヤモンドを粉にしたみたいな、一瞬の鮮やかなきらめき。
だけど、それはすぐに消えてしまった。
スプーンが宙でとまる。考えこむように、そばにあった小ビンの口をカチカチたたいた。
「明るすぎる…… きっとそうね、お日さまはスプーン3杯まで」
少女の独りごとは、凛として熱心だ。
それでいて、ベールをかけたようにやわらかくもある。夢の中のおしゃべりにぴったり、そんな響き。
「本当はたそがれどきが一番なんだけれど。令嬢は門限でお急ぎ、もう取りにきちゃうかも」
怪しい実験の主は、サッと机を離れた。
いくつも積まれたトランクを次々開けて、あわててかきまわす。
「あれじゃなくて、それでもなくて。どこにやったかしら、まさか捨ててないでしょうメリー・シュガー? ……あった、これ!」
騒々しく引っぱりだしたのは、青い夕焼け色の大きな布。
「さあ、早くはやくっ」
と、窓に走ってイスの上に立つ。
ところが、布をかけるフックは絶妙に意地悪な位置にあった。彼女は苦しそうに伸びあがる。
「ううう、物件選びに失敗したみたい……」
いっぱいに上げた腕がプルプルして、限界がきた。
そこへ、刺すようなノックの音と、鋭い声が飛んだ。
「クロックベル調査局だ! おとなしく事情聴取に応じろ、さもなくば――」
少女はイスの上でパッとふり返った。
「ああよかった、どうぞ入って!」
「えっ!?」
「手伝ってほしいの、困っているの。お願い!」
「いきなり買収だと? なんて手馴れた悪党だ」
調査員の驚きのあとで、そうっとドアが開いた。