そして、高く
眼下の雲がどんどん薄くなっていく。今、どこを飛んでいるのだろう。ミアは不思議と寒くないチビの頭の上で、広がる森を眺めていた。虹はとうに消えてなくなり、青空が上空に広がっていた。チビは迷いなく飛んでいるようだが、少しずつ旋回しているようだった。それは、少しずつ、少しずつ。
まるで惜しむように。
深い緑の森を通り過ぎた頃、見知った川の流れを見つけた。あの上流にある白い峰の麓にイヴァールがあり、ノルドとマリエはそこから山を下りて逃げてきたのだ。今はどんな状態で、村は存在しているのだろうか。ミアのいるここからだと、全く分からない。そして、峰を下り、さらに山の中腹まで来ると、雪が無くなる。薄い緑から深い緑、そして、森に繋がる。さらに下流に下っていけば、ミアの町があるのだ。
ミアはチビの頭にしっかりと掌を乗せてみた。温かい。鱗はあるけれど、爬虫類とは違う。ミアを助けたのも竜で、イヴァールを滅ぼしたのも竜だ。竜ってなんなのだろう。
チビはその峰を背にして緩やかに降下していく。少しずつ日が傾いてきているのが、ミアにも分かった。
ミアはそのチビにそっと静かに伝えるために温かい頭の上に額をくっつけた。
「ありがとう、チビちゃん。虹、綺麗だったね。私を待っててくれてたんだよね。本当にありがとうね」
チビがミアを町へ帰そうとしてくれていることは、明白だった。ミアは景色を見るよりも、チビのその体温を忘れないように、ただ、ずっとチビに体を寄り添わせていた。
ミアが住む町の傍の森、上空に戻ってくる頃には、空が赤く滲む夕暮れに差し掛かってきていた。さっきまでいた討伐隊の姿は見えなくなっている。静かな空の散歩が終わろうとしているのだ。
「チビちゃん、楽しかったね」
チビは何も答えなかった。
暮れなずむ町の外れでチビはミアを下ろした。ゆっくりと頭を下げて、ミアが驚かないようにそっと大地に頭を下ろす。
大人達がよく言う限界線だ。
これ以上町から外れれば、武装していない者の命の保障が出来ない場所。
町の方角を見れば、ミィアを連れた大人が三名。一人はバァサだとすぐに分かった。もう一人は白い法衣を着ているので、王都の魔法使い。そして、もう一人は、討伐隊を指揮していた偉い人。
思わずミアはチビの口元に抱きついた。チビを殺しに来たんだと思ったのだ。それなのに、チビはミアを押し返そうとする。さらに、ミィアが叫んだ。
「ミア」
その声に警鐘を鳴らす色はない。
「おかえり、ミア」
再びのミィアの呼びかけに、ミアはチビから離れないようにそっと振り向く。王都の二人がただお辞儀をしていた。
「ミア、大丈夫だ。この者たちにチビを殺す気はもうない」
バァサの声が聞こえた。チビがやはり鼻先でミアを押し返す。
「チビちゃん……」
チビは何も言わない。だけど、ミアが離れたのを確認すると、その両翼をゆっくりと広げた。飛翔するんだ。行っちゃうんだ。分かっていたことだけれど、……。
「分かった。帰るね、私」
ミアはチビに向かってむりやりに微笑み、背中を向けた。一歩、さらに一歩。そして、駆け出す。
「ミィア」
ミアがミィアの胸に飛び込んだ。そして、ミィアはミアをひっしと抱きとめた。
「ごめんね、ミィア。ありがとう、ミィア」
強い風が吹いてきた。チビが飛ぶんだ。その姿はとても雄大で、綺麗で。闇に包まれていく時間でも光り輝いていて。
「チビちゃん、ありがとう。もう、怪我しないでね。えっと」
チビが頷いたような気がした。それを最後に飛び上がる。
「元気でね」
聞こえたのかどうかは分からない。だけど、チビは夕闇に星が輝きだした時間、ミアの傍からいなくなった。
チビがいなくなったあの後、王都の二人がミアに話しかけてきた。内容は、竜についてを聞かせて欲しいと言うことと、マリエに引っ張られたノルドがミアに謝りに来たこと。ノルドは悪い竜にミィアが食べられるかも知れないと思ったそうだ。それなのに、ミィアが行くのを止めないから大人にチクったと。もちろん、ミィアではなく、勘違いで心配されていたのはミアなのだけれど。
その二件だけでもミアには驚きだったのに、その討伐隊の二人の精鋭がバァサのことを「バァサ様」と呼んでいることに一番驚いていた。
ミアが頭に疑問符を浮かべながらバァサの顔を見つめていると「気にするな」とバァサが呟いた。
そして、提案を受けた。
「おはよう」
麦わらの匂いが朝の光にポカポカと湧き立っていた。ミィアがミアを覗き込んで、にっこり笑う。
「おはよ」
ミアは目を擦りながら起き上がる。
「ねぇ、決めた?」
ミィアがワクワクしながら尋ねてくるのは、ミアが王都の学校へと誘われたからだ。もちろん、これもバァサが繋いでくれた縁だ。ミィアは行かないらしい。だけど、王都へ遊びに行く口実が出来るから、と言ってなぜか喜んでくれている。
今回の竜のことについて知りたい王都と竜のことをもっと知りたいミア。
ミアの中で答えはもう決まっていた。
白い制服に身を包む。
どんな色にだって染まっていける。
染めたい色がはっきりと目に浮かぶ。
ミィアがミアの答えを察するようにして、にっこり笑って頷いた。
「まだ誰にも言わないでよ」
口止めするミアに対し、「どうしようっかなぁ」とミィアがにたりと笑った。
窓の外では、空は青く、どこまでも続いていた。
猫じゃらしさまから頂きました(チビです)
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
 




