空へ
どこにいるのか分からなかった。
私は崖から落ちて、何かに掬い上げられるようにぶつかって。
今とても背の高い場所にいる。
水色の滑らかな鱗が。
掌に触っていて……。
さらに下には人がアリンコのように、いて。
掌に触る鱗が頭の部分だと、分かって……。
それが、アリンコをなぎ払おうとしているのが、分かった。
竜は大きくなりたいと願い、成長する。思いが竜を成長させる。
ミアは、バァサの言葉を思い出していた。じゃあ、チビちゃんは大きくなりたいって願ったってことなのだろうか。
「チビちゃん?」
ミアの声は届かない。だけど、届けないといけない。ミアはバァサの忠告を甦らせると同時にミィアの顔を思い浮かべていた。ミアははちみつよりも高価なんだから。
変なの。
だけど、そんなに大切に思ってくれているミィアを二度も悲しませたくない。
「チビちゃんっ あのね、聞いて」
ミアはつるんとした頭からチビの鼻先にまで滑り落ちて、鼻先にまたがって、しっかりとその瞳を見つめる。青く深い瞳にミアが映り込む。もう、チビではないチビちゃん。
「あのね、飛ぼう。翼で、空高く。ほら、あの雲を突き抜けて」
―――願うのではなく、望ませろ。
無理かもしれないけれど、チビちゃんは私を助けたいだけなんだと思う。だって、ちゃんと私を見つめてくれているから。
ミアにはそう思えた。
「助けてくれてありがとうね。私、また落っこちちゃった」
「くぅ?」
さっきの咆吼とは全く別の声。キュルキュルでもない。でも、そうなの? というような。
あぁ、チビちゃんは大きくなったんだ。そんな風に思えた。
「雲の上。あそこに虹があるかもしれないよ。虹って知ってる? 色々な色の筋が空に弧を描くの。見に行こうよ。チビちゃんは、もうチビじゃないから、大きくなったから、ね」
チビが空を見上げると、自然とミアの視線も高くなる。
「雨上がりには虹がでるんだよ。雲の上なら、一番に見られるかもしれない」
矢が放たれた。
チビが翼を羽ばたかせる。ミアの場所にはその旋風は来ない。ゆっくりと、ゆっくりと、翼が動く。放たれた矢は、風に威力を失う。
「行こう」
ミアと竜が空へ飛び上がった。
うっすらと光が射し込み始めた雨上がり。雨の粒はその光を閉じ込めて輝き始めていた。そして、その煌めく空の上空へ、空色の竜が消えていった。
雨が上がった。雲間から僅かに光が漏れてくる。ミィアが見上げたその向こうに、くっきりと弧を描いた虹が輝いていた。ミィアはミアのように髪を結い上げ、町中を歩いていたのだ。さすがに雨が上がってきたということもあり、ちらほらと人が出てきていた。そして、その中にリディアがいた。討伐隊に厳戒態勢を強いられていたのだが、虹を見に出てきたようだ。
あんなにくっきりな虹、珍しいもんね……。
ミィアはその虹を見ながら少し緊張もしていた。他の誰かなら見破られないだろうけれど、リディアだと見破られそうだったからだ。そして、その予想は当たってしまった。
「ミィア?」
「あ……っ」
その表情は驚きに満ちていた。そして、意地悪そうに目を細めてミィアを茶化してきた。『ミア』と『ミィア』一度くらいなら名前を呼ばれても大丈夫だと思うけど……。リディアをどう撒いたら良いだろう。
「なんでミアの真似してるの? っていうか、委員長が率先して町に出たらダメじゃん。あ、だから?」
「そんなんじゃないけど……」
ミィアはから笑いでそのリディアの表情に答えた。
「ミアは?」
リディアが詰め寄ってくる。だけど、その詰め寄りを阻止する者がいた。静かな大人の男の声。リディアなんかよりもずっと気を抜けない相手。
「娘、少し話を聞きたい」
真っ白な法衣は王都の討伐隊魔法使いの証。
ミィア達が着る制服の意味合いとは違い『清浄であれ』の象徴。
王都から半日ほどでここにたどり着くのだ。林の向こうにある崖からなんて、お茶の子さいさいで戻ってくることができるのだろう。そして、『ミア』に話があるのだとすれば、討伐隊の元に今ミアはいない。それでも、ミィアはミアの無事を信じて疑わなかった。
なんとなく、感じるのだ。ミアは呑まれていないと。
「はい」
ミィアが素直に応じると、リディアのさらに驚く表情が見えた。
「ミィア、どういうこと?」
リディア、お願いだからミィアって呼ばないで。そんな思いを込めてミィアはリディアに振り返り、そのまま白法衣の魔法使いについていった。