竜の巫女
討伐隊がここに向かったのは今朝。イヴァールのこともあり、王都の選抜隊だそうだ。王都の選抜隊だとしたら、そこに魔法使いが含まれているだろう。ということは、十時間かからないくらいでここに到着する。
学校があって、6限目まで。
今朝というのが、いつなのか分からないが、既にここについている可能性すらある。
しかし、バァサが言う。
ミアに勝因がないわけではないと。
なぜなら、ミアはその選抜隊と戦うわけではないし、単なる十五の少女だから。
先にチビの元にたどり着いてさえいれば、いきなりの攻撃はないだろう。どちらかと言えば、救出すべき人間の一人だ。荒くれ者の集団ではなく、王都の精鋭たちはその辺りは紳士だ。
そこで、バァサは急に昔話を一つ、と話し始めた。
ここよりずっと北の方。竜とともに暮らす者たちがいた。もちろん、実際にともに暮らしていたのではなく、竜を崇める民族ということだった。
ただ、そこに暮らす女性達の中には竜の巫女と呼ばれる特別な力を持つ者たちがいたのだ。そして、巫女とはその力で、竜の力をその身に宿すことが出来る者だった。
だが、それは表向き。
真実は竜を呼ぶ力を持っていたが、彼女たちはその身に竜の力を宿すのではなく、その身を捧げることにより、竜に助けを乞うことが出来たのだ。
彼女たちは神聖なる贄。国の滅亡を左右させるほど、貴重な宝物。
その力は戦争にも使われ、牽制にも使われてきた。
しかし、巫女達の中には、他国へ逃げ出す者もいた。
ミルリアはその巫女の末裔だった。そして、本来、巫女は竜と心を交わす者なのだ。ただ、竜は人とは違う。自分が何かをしたいと思えば協力してくれるが、誰かのために己から何かをしようと思うことは、ほぼない。もし、人が何かを望むのならば、対価が必要になる。
ミアはそこまで聞いて、思い出した。大きな影が飛び立った時。母の胸の下にいた時。最初何に襲われたのか、何が飛び立ったのか。
竜が魔物を引きちぎって飛翔していったのだ。
バァサが忠告した。
「ミアは無意識にでも、そのチビが危険じゃないと判断したんだろう? だったら、チビとやらに望ませろ。じゃないと、どうなるか、分かるな?」
ミィアがミアを見つめた。
例えば、追詰められてしまった場合、ミアに危険が迫った場合、チビだけでも助けたいと願った場合。
ミアが望めば、チビはそのままミアを呑み込み、そのまま飛翔するかもしれない。
人を攻撃するかもしれない。
それが討伐隊の目にどう映るかは知れている。
「一斉攻撃が始まるな」
ミアは大きく頷いた。それは、自ら勝因を打ち消す行為だ。
だから、今、ミアは走っていた。雨はだいぶ小雨になってきている。もし、討伐隊がもう既に出立していたら、場所を知っているミアでも討伐隊に追いつくのは難しいかもしれない。だけど、……。間に合うかもしれない。
チビに望ませる。
飛びたいと、望ませる。
お母さんのしたことは、間違いじゃないかもしれない。だけど、ミアにとってそれはいつまでも正しくない事なのだ。それを、ミア自身がするわけにはいかない。
「ミィア、落ち着け」
そう言うものの、バァサも実は全く落ち着いていないのだ。間違っていたかもしれない。ここに縛り付けてでも行くなと促すのが大人の務めだったのかもしれない。そんな葛藤もあった。しかし、ミアに語ったことは間違ってはいない。討伐隊が率先してミアを殺そうとすることはまずないし、最悪チビが討ち取られたとしても、ミアは保護されるだろうという算段もあった。ただ、逆に討伐隊が攻撃されることもある。こうなったら最悪なのだけれど。だけど、バァサはミアなら大丈夫だという不思議な確証を持っていた。
「だって、もし、ミアが怪我でもしたら」
怪我でもしたら……。どちらかと言えば、怪我までであって欲しい。それがミィアの本心だろう。
「だけど、お前も言ってたようにな、ここでミアを止めてしまったら、もう後悔から立ち直れないと思うがな」
ミィアはうろうろしながら「そうなんだけど」と優柔不断にバァサに言った。
確かに、虎の子を落とすような賭けかもしれない。だけど、ミアには自分がいたから助かった何かが必要なのだ。そうじゃないと、いつまで経っても自分の命を大切に出来ない。バァサは飴ガエルの件を思い出しながら、ミアを思った。もちろん、バァサの頼み事を大切にしてくれたのだろう。だけど、瓶いっぱいにしてくれなど一言も言っていないし、林道を越えなくても飴ガエルに出会える場所は他にもたくさんある。
魔物に遭遇する確率が高い場所に出かける必要なんて、一つもなかったのだ。
「あたしだってそう思うけど」
そのミィアの様子を見ていると、バァサがどうしてそんなに大きな賭けができたのか、伝えてやりたくなってきた。バァサにとってのミアへの賭けは竜との関係だけなのだ。討伐隊は関係ない。
「ミィア、ミアは大丈夫だ。討伐隊を指揮する奴がいてな、馬鹿真面目なそいつは私の教え子だからな。考えは手に取るようによく分かる」
つとと足を止めたミィアは目を細め、バァサを睨んだ。
「ねぇ、バァサって一体何者なの?」
「しがない薬師だよ。まぁ、長く生きていると少しばかり知り合いが多くなるがな」
問い詰めてもそれしか言わないだろうバァサをミィアはそれ以上追及しなかった。ただ、でも、その言葉がミィアを安心させて、いつも通りのミィアにしたのは確かだった。
「じゃあ、最悪を考えて、あたし、ミアとしてこの辺を歩いてくるわ」
馬鹿なことをしでかしたのは、ミィア。ミィアはそう印象づけておきたいのだ。