ミアとチビ
日曜日の朝。
町をぬけて、小さい子達がよく遊ぶ草原を越えて、林に入る。この林で大人達が薬や木の実、木材を調達してくるので、まだまだ魔物は少ない。もう少し歩いて、少し拓けるとミアの落っこちた小さな崖がある。
2m程の崖。雨の日と違い、雨前に鳴く飴ガエルが鳴くこともなく、大地が崩れることもなく、眼下にある草は乾いていた。
卵があったのはその草むらの奥。大人達に引き上げられる前にミアがそっと草むらの奥に押しこんだのだ。目をこらして、茂みの奥を見つめていると、ミアの気配を感じたのか、その草むらが僅かに動く。
ミアの見つけた卵の中から出てきたのは、空色の竜の子どもだったようだ。それはちょうど十歳くらいの人間の子どもくらいの大きさで、重量感的にはすでに仔牛くらいはありそうだった。
最初は生まれたことを確認したら、さっさとバァサのお使いを済ませて、ミアもすぐに引き返そうと思っていたのだ。だけど、キュルキュル鳴く声を聞いているとなんだか可愛くなってきた。
茂る草の間からそろりと鼻先を出して、辺りを窺うようにして少しずつ体を晒していく。ミアを見上げるとキュル、と鳴いた。
おなかが空いているかもしれない。そう思って、引き返した。
竜は基本肉食。だけど、肉だけを食べるとは限らない。巨大魚や魔物、大型動物、人間。全部餌ではあるが、器用に果物を啄んだり、野菜を食べたり、人間の作るパンやお菓子も食べることがある。
きっと匂いにつられて食べるのだろう。そう思われている。
ミアは今朝の竜の様子を思い浮かべながら、緊張と好奇心のドキドキを抱えながら、自分のカゴの中に入れてある食べものを時々覗いていた。
固パンに甘くて歯ごたえのあるビスケ。柔らかいクッキーに甘いリンゴとミカン。ハムにベーコン、それから念のため、肉屋で買ったティキンの肉100gとマルマルキャベツ。ティキンは大型の鳥だが肉質が柔らかく、安価で美味しい。マルマルキャベツは拳くらいのキャベツで持ち運びがしやすい。
お小遣いをはたいて熟慮した食べものたちを気に入ってくれるだろうか。
そして、最後にバァサの頼まれ事を忘れないように思い出す。
「卵の欠片があったらとっておいておくれ」
空色の鱗に包まれた滑らかな背、そして、まだ飛び立てるとは思えないくらいに小さな翼。クリーム色の柔らかそうなおなかに、か弱そうな泣き声と深い青い瞳。
キュルキュルと潤む瞳で見つめられる。
澄んだその瞳と目が合ってしまって、思わず大人に言わなくて「よかったぁ」と声を漏らすくらい、ミアは感動してしまっていたのだ。
しかし、次の瞬間、不思議なことに気がついた。
卵があった場所から竜の子どもは動いていないのだ。
「……チビちゃん?」
そう声を掛けながら、今度は落ちないように気をつけて、崖を滑る。足場さえ確保できれば、このくらいの崖なら一人で登れるのだ。
片田舎の子どもたちはそんなふうにして、色々なことを身につけていく。ミアももちろん、そんなふうにして育ってきている。十五歳にもなれば、弱い魔物くらい自分でなんとか出来るものだ。そうしないと生きていけないから。その点においてミアはミィアに勝っている。
その上、ミアはその魔物の危険性を、弱点を、回避方法を誰よりも早く見つける目を持っている。
ミアは驚かさないようにそっと竜に手を伸ばす。子どもだと言っても噛まれれば腕ごともぎ取られてしまうだろう。危険は承知の上だった。それよりも、ミアになにかできないか、それが気になった。
「大丈夫。だから、教えて?」
視線を逸らさずに真っ直ぐ見つめる。
竜の場合はクマと同じ。目をそらせた瞬間に襲われる危険性が高くなる。
だから、竜と対峙した場合、生き残るには対等であることを伝え続けなければならない。もちろん、その背景には圧倒的に鍛え上げた精神と筋力、技術力、経験値も必要なのだけれど。だから、基本的に竜は人間の脅威であり続ける。
ミアの匂いを嗅ぎに来た竜が茂みから完全に姿を現した。
そして、ミアは、その小さな翼の付け根に赤い傷があることに気付いた。
最近はミアのみならず、ミィアまで毎日のようにバァサの店に来ていた。
ミアは竜のチビのためにご飯を買いたいから、何かお手伝いないか? とバァサに詰め寄ってくる。秘密を共有している唯一のバァサを頼っているのだろう。また、ミィアは最近放課後に姿を消すミアを心配して、ミアがここに来てないかと毎日血相を変えてやってくる。おそらく、学級委員長としての役目を果たした後、走ってここまで来ているのだろう。ミィアはひとしきりバァサに文句を言ってから「何か分かったら教えて」と言い置き、店を出て行く。
よくもまぁ、かち合わないもんだ。
バァサは溜息をついた。バァサはミィアには教えてやってもいいと思っていた。ミアが何かをしたいといって自分から動き出すのは、あれ以来なかったのだから。ミィアだって嬉しく思っているはずなんだから。幼い頃はミアの方が積極的な子だったのだから。
ミィアは元々そんなに積極的な子じゃなかった。あの日以来、きっとミィアもミアを庇うために頑張っているのだろう。だが、町の人たちにとって、その頑張りが不必要なことであることもバァサは承知していた。
バァサはすり鉢で所々水色の混じった白い粉をゴリゴリしながら、ミルリアのことを思い出していた。
あの二人の母、ミルリアもバァサと同じで流れ者だった。バァサの場合は魔物に村を追われてだったが、ミルリアはその民族性からの身を潜めるためでもあった。
そして、ミアの方はその気質を秘めている。だから、竜の話をミアが始めた時も、バァサは然程驚くことなく、ミアに訊いたのだ。
竜についてバァサに問い詰められたミアは意外とあっさり白状した。
意外とあっさりというのはもちろんバァサ視点での話であるので、ミアとしては結構、話し出すまでに抗ったと思っているのも事実なのだが、バァサが痛み止めを人質に取るとしばらく押し黙った後にミアは観念したようにポツポツ語り出したのだ。
雨の日に竜の卵を見つけた。竜ってどれくらいで成長するの?
竜は卵生で子育てはしない。ただ、魔物と違い悪意を吸って大きくなるわけでは無く、どちらかといえば、大きくなりたいと願う気持ちに左右されることが大きい。おおよそ二ヶ月経てば、その体質になるはずだ。おそらく、体が大きくなるということが、決して生存に有利ではないからだろうとバァサは思っている。
だから、100メートル級の竜がいる場所は体格の大きな魔物も多く、決して踏み入れてはいけない、いわば神域のようなものになる。おそらく、ミアの見た卵から出てきた竜はそれほど大きくはならないだろう。
もうすぐ生まれそうって思った。まだちっちゃくて、赤ちゃんだったりする?
ミアは好奇心からというよりも、どちらかと言えば、心配をして言っているようだった。バァサはすり鉢の中に溜まった顆粒を掌に包み込めるサイズの小瓶に集めた。後はこれを二日間寝かせて、清水とはちみつ、トロンチョを混ぜて練れば、完成だ。
あのね、転校生がイバヴァールから来たんだ……。
イヴァールって竜に……
竜ってそんなに人を襲うものなの?
竜はそんなに簡単に人を襲うものではない。もちろん、肉食性には変わりないので、人間だって餌なのかもしれないが、滅多にそんな悲劇に見舞われることはない。それに人間なんかよりも、もっと大きなものを食べないと腹も膨れまい。
ミアに尋ねられたことは、バァサは自分の知り得る竜の知識で教えてやった。しかし、ミルリアが生きていれば、おそらく近づくなと言ったことだろう。心を通わせてしまえば、いつか……。
イヴァールが襲われた理由はもっと何か他にあるはずだった。イヴァールが竜にとって何かを脅かす存在となったのか、竜の機嫌に触る何かをしたのであろう。それは、襲った竜にでも聞かない限り分からない。
「あぁ、それも言っておいてやった方が良かったか……」
小瓶をスカートのポケットに突っ込みながら、バァサはひとり呟いた。
そもそも、竜が無事に成長しきる事自体が少ない。力のない竜は竜ではないのかもしれない。だから、そんなに気に病むものではない。しかし、すぐに思い直した。
「まぁ、ミルリアの娘にそんなこと言っても通じはせんだろうがな」
そう呟いて、ほぅっと溜息をついた。