竜の卵とはちみつミルク
仙道アリマサさま主催の「仙道企画1」と黒森冬炎さま主催の「お仕着せ企画」に参加しています。
魔物は卵生。子どもを育てることはしない。産み落とされて、悪意を吸って、割れた殻には毒が残る。その禍々しさは、卵を見た途端に分かる。
生理的に近づきたくなくて、吐き気を催すような。
だけど、ミアは知っていた。みんながひとくくりに魔物とするものの中には胎生のものもおり、子育てをする鳥のようなものもおり、中には神々しさすら感じられる卵があるということを。
あの雨の日、ミアは一つの卵を見つけたのだ。崖を滑り落ちてしまって、どうしようもなく、空を見上げていた時。あぁ、まただ。そんな風に空を見上げて、挫いた足を撫でようと視線を落とした時。それを見つけた。
灰色の雨に光が含まれたように思えたのだ。
ミルクをかけたような青い卵。大きさはちょうど人の赤ちゃんくらいの大きさだった。
「ミアー」
「ミアぁ」
大人たちが帰ってこないミアを探して大きな声を上げていた。
ミアは痛い足を引きずりながら、その卵を茂みの中へそっと隠した。
無事に孵ってね。
黙っていても仕方ないので、ミアは居場所を大きな声で伝えた。
「ここにいまーす。ごめんなさーい」
確かにその説明に竜だって当てはまる。
ごろりと寝返りを打ったベッドからは麦わらの匂いがむわりと広がる。昨日は晴れていたのに、今日は雨。大人たちはみんな「昨日のうちにベッドの下敷きを換えておいてよかったね」と言っていた。ミアは、つまらなそうにもう一度ゆっくりと寝返りを打った。足はだいぶ良くなってきている。
あの卵。もうすぐ孵化しそうな気がしてたんだけど、大丈夫かな。
窓ガラスに打ち付ける水玉が糸を引きながら落ちていく。
竜だって人に危害を与える魔物のひとくくりになっているのは、よく分かっているつもりだ。この町と商人どうしの交流があったイヴェールの村はその竜に壊滅的な打撃を与えられ、もはや村として存在できないくらいだと言っていたし、もう少ししたら、イヴェールの生き残りたちがこの町にもやってくるだろうとも、聞いている。だから、あの卵を町に持って帰ってこようとは思っていない。ただ、とても気になるだけで。
あの日、挫いたと思っていたミアの足は実は折れていた。だから、ずっと暇でミアはそんなことばかり考えている。
多分、暇だから考えるのだろう。そして、自分の足を眺めた。
王都の魔術師ともなれば、もしかしたらそんな力を持っている人もいるのかもしれないが、町の魔術師は痛みを和らげる魔法は持っているが、折れた骨を治す力は持っていない。その力不足を棚に上げて、ミアに言ったのだ。
「危険地帯だったら使うけど、痛みがなければ無理して治りが遅くなるよ」
だから、じっと痛いのを我慢しながら、骨がくっつくのを待つのみ。その力は非戦闘地域では使わないのが道理らしい。
ミアが捜索隊に負ぶわれて、家に帰ったあの日の次の日。ミアはお父さんにこっぴどく叱られてしまった。当たり前だと思いながら、どこかで、不平を抱いてしまう。そして、どこかで自分を諦めていた。
「いくら、バァサの頼みだったからって、雨が降る前に飛び出るヤツがいるもんか」
「だって、バァサにはちみつミルク……」
「バカか」
父親にげんこつを落とされて、「いったぁ」と頭を抑えたミアは、涙を堪えて座っていた。その視線の先にはよく似た顔をしている双子の妹のミィアがいる。ミィアは涙目のミアを見て、くすくす笑いながら足に添え木と包帯を巻いてくれていた。
「だって、はちみつミルク……」
はちみつミルクは母の好物だった。喜ばせたかった。
「お前がいなくなって母さんが喜ぶか」
小さくなってきた雨の音を聞きながら、もう一度ごろんと寝返りをうつ。ミアの足に添え木はもうないが、心配性の父が雨が止むまで外出禁止令を出してしまったからだ。
「お母さんだったら、なんて言うだろう?」
ぼそりと呟く。
ミアの母は『いわゆる魔物』に殺されたのではなく、本気の魔物に殺されたのだ。それも、ミアの中ではおぼろげで、ミアを包み込んだ母の胸が温かかったということしか覚えていない。
好奇心の塊だったミアは母と共に危険領域外にある森まで薬草摘みへ行き、ちょうど収穫期で父はミィアを連れて麦畑へと出向いていた時だった。
どうしてミアが助かったのかは分からない。
何か大きなものが飛び立った。
ミアが父にそう伝えたらしいことはミア自身、聞き及んでいるが、それも自分の記憶ではないのだ。だから、よく分からない。大きなものが魔物だったのか、それ以外だったのか。
ミアの母はいわゆる魔物の否定派だった。
『魔物』と違い『いわゆる魔物』には多かれ少なかれ心がある。生活圏を守りさえすれば、何もしてこない。相手だって人間を厄介なものだと思っているのだから。
だけど、母は魔物に殺された。十年前に。私が五歳の頃に。
「お姉ちゃん」
ミィアの声だ。
「なに?」
開かない扉を見つめながら、ミアが尋ね返した。勝手に入ってくれば良いのに。ミィアの部屋でもあるんだから。それなのに、ミィアはクスクス笑いながら「あーけーてー」とのたまった。
「勝手にどうぞ」
お姉ちゃんだなんて気持ち悪い。いつもは「ミア」って呼ぶくせに。
ぶすっとして答えたミアはそんな悪態を心の中でつきながら、足を庇いながら扉を開いた。すると満面の笑みのミィアがマグカップを持って「じゃーん。みてみて。はちみつミルクゲットしたんだぁ」と言った。
「ミアも明日から学校行けそうでしょう?」
満面の笑みのままミアを促し、ベッドへ二人で腰掛けるとすぐにミィアが話し始めた。
「晴れそうだし。だから、バァサからもらってきたんだ。だって、ミアが怪我した一端ってバァサにあるでしょ?」
「そうだけど、はちみつミルクは……」
「お母さんの好きなもの、お墓に、でしょ?」
一瞬遠くを眺めたミィアはミアの言葉を繋いでいく。ミィアは父親似の性格をしている。理詰めでどんどん相手を追いやるような。ミアにはない理路整然としたところが。だけど、ミアにはどこまでも無邪気に笑える妹を見ているだけしかできなかった。多少ふてぶてしく言えたとしても、ミアはミィアに強く出られないのだ。
「だから、お墓参りの時にももらう約束してきた」
「バァサが、そんな約束呑むわけないじゃん」
と反論してみたが、ミアの中では道理が通ってしまっていた。ミィアならやりかねない。だけど、はちみつはとても高価なんだよ……。ミアはバァサの顔を思い浮かべて、そんな言葉を浮かべた。
「なんか言いたそう」
ミィアがミアの心の内を覗いたかのように、ミアの顔を覗いてきた。
「いいよ。いらないなら。あたしが全部飲んじゃうから」
「だめ、わたしのなんでしょ?」
少し睨んでみるが、やっぱりクスクス笑いながら、ミィアがミアにマグカップを押しつけてきた。
「半分ずつだからね。……それにミアはあたしにとってもお父さんにとっても、はちみつ以上に高価なものなんだから。次、晴れた月命日には、一緒にお参りに行こうね」
確かにそうなんだけど。
ミアは色々ミィアを肯定した後、どこか否定したい気分になった。
だけど、バァサだって悪い人じゃないし、命日はあの日だったわけだし。
バァサはこの町で薬屋をしている魔女だ。
魔女と言っても魔法を使う魔女ではなくて、薬の知識が豊富な魔女の方。今では薬師と呼ばれる方がおおいのだけど、この町では彼女のことを親しんで『魔女』と呼ぶ。
ちなみに昔の魔女には2種類あって、一つは女魔術師。もう一つが女薬師だった。今はそれがややこしくなるので、薬を扱う者が全般を『薬師』。魔法を扱う者全般を『魔術師』と呼ばれている。
だけど、バァサが『魔女』と呼ばれる所以は、ほんの少し魔術を使えるからかもしれない。呪詛を組んだり、解いたり、結界を張ったり、破ったり。簡単なものなら出来てしまうのだ。そして、他の人が使わないような素材を使って薬を作る。
だから、バァサは時々不思議なものを欲しがるのだ。あの時欲しがっていたのは、雨前に鳴く飴ガエルの涙だった。甘い涙が喉をケアする飴になる。
他の誰かが真似しようにも出来ないくらいに、喉のイガイガがすぐに治る。
崖下に落っこちてしまったのは、単に飴ガエルを追いかけすぎて、そこに地面がなくなっていることに気がつかなかったからなのだ。べつに危険なミッションをしていたわけでもない。
もう少しで小瓶いっぱいの涙になりそうで、必死だったのだ。
ただ、それだけで。
ミアはただバァサに喜んで欲しかっただけなのだ。バァサはいつもミアのことを役に立ついい子だと言ってくれるから。