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8 お姫様は王子様に連行されました

 ネモフィラさんを目の前に、うっかり意識を飛ばして水平線の彼方に目を向ける。ああ空が青い。海が碧い。水面がキラキラ光っているなあ…。

 「ネモフィラさんってば想像力豊かなんですね☆キャハ」とでも言って、このまま話を切り上げてしまいたい。切実に。

 しかしながらネモフィラさんが興奮して私の手を握り締めてくる。とても力強く。


「とにかくリナさんには、ハロルドルートに進んでいただいて、スチルを回収していただきたいのですわ!」

「えーと、ルートというのは…?」

「ハロルドと恋に落ちてくださいませ!」


 やっぱりかー。薄々そうかなって思ってたけど、やっぱりそうきたかー。


「え。無理です」

「そこを是非!」

「だって私平民ですよ?孤児ですよ?お貴族様と恋愛なんて出来るわけないです」


 出来たってしたくないけど。


「そんなことありませんわ!リナさんはヒロインですもの!」


 ヒロインってなんなの。市井で見かける、お貴族様と平民の恋物語の登場人物ってことかしら。でもこれ現実だしね。


「それにリナさんは王家とキャンベル家の血を引いていらっしゃいますわ!誰より相応しい御血筋をお持ちです」

「誰も信じないですよ」


 約百五十年前の国王陛下と貴族令嬢の子供が今この世界で生きているなんて、誰が信じるのだろう。大笑いされて、そうかそうかお嬢ちゃんはお姫様なんだな!それじゃあオジさんは悪い魔女に攫われたお姫様を助けに行く王子様かな!ガッハッハ、で終わる。

 信じてくれる人はヤバイ人しかいないに違いない。間違いない。


「大丈夫ですわ!そこは乙女ゲームの強制力が働きますので!」

「強制力ですか…?」

「予め決められたお話通り、予定調和に落ち着く力のことですわ!」


 何それ。めちゃくちゃ怖いです。

 というより、そんな恐ろしい力が働くのなら、そもそもハロルド様に恋しよう!と決意しようがしまいが、私の意思は関係ないのでは…?


「はっ!」


 突然ネモフィラさんが衝撃を受けたようによろめく。この人の奇行にも慣れてきた気がするけど、一応礼儀として「どうしたんですか?」と尋ねる。


「強制力が働くということは、あのクソ王子もリナさんに絡んでくるのでは…!それは大変ですわ!他の攻略対象はなんとか妥協できますけれど、クソ王子だけは!クソ王子だけは我慢なりませんわ!!」


 クソ王子連呼ですね。回り回って、クソ王子…じゃなかった、第二王子殿下のこと、お好きなのでは?


 眉を寄せてブツブツ「クソ王子」を唱えるネモフィラさんを見守っていると、低い大人の男の人の声が、それも怒鳴り声が耳に飛び込んできた。


「誰がクソ王子だ!この馬鹿!」


 この長閑な海辺に全くそぐわない、違和感の塊がこちらに近付いてくる。背後に黒炎が渦巻いていそうな、異様な威圧感を携えてやって来る。

 白いシャツに黒のスラックスという簡素ながらも平民では見たことのない高そうな衣服に身を包んだ、背が高くて体格のいい、くすんだ金髪の男性…。

 もしかしなくても、第二王子殿下では?よく見ると腰の辺りに何かぶら下がっているような…。あのお腰につけたブラブラは人かな?王子様の侍従かしら。


「クソ王…殿下!」


 王子様にもクソ王子って言っちゃうんですね、ネモフィラさん。凄いです。


 ぎゃいぎゃいと婚約者同士の痴話喧嘩をちょっと下がったところで眺めていると、王子様の足元でムクリと王子様の侍従?が立ち上がった。

 この砂浜を王子様の腰に巻き付いてやって来た彼は、邪魔だとばかりに王子様に振り払われ、打ち寄せられた貝や流木の上に転がされていたのだ。

 彼は言い争う二人を一瞥してため息をつくと、孤児院へと走っていった。

 ネモフィラさんにとってのルークさんみたいな人なのかな。お仕事お疲れ様です。


 それにしても。

 この二人、ただの痴話喧嘩にしか見えない。なんだろう。私ここにいる意味あるのかな。帰りたいな…。


 所在なく佇み、白い波飛沫が太陽の光に煌めくのを目にしたり、足元に散らばる貝殻を数えたり。時々小さな蟹やヤドカリがちょこちょこと砂浜に姿を見せるの眺めたりして、ただ時の流れるのを待っていると、王子様の侍従らしき人が院長先生を連れて戻ってきた。


 気の利く人だなぁ。さすが王子様の侍従だな。ジャックとは違うな。

 ジャックだったらきっと慌てて、痴話喧嘩の間に割って入ろうとして、余計混乱させちゃうんだろうな。

 仲裁しようと慌てるジャックの姿が目に浮かぶようで、思わず笑いが(こぼ)れてしまう。

 思い出し笑いを見咎められないよう――誰も私に注目していないだろうけど――急いで口元を手で抑えると、聞き逃せない言葉が聞こえてきた。


「…俺の妃になった方が、孤児院に援助する名目ができるぞ?費用も増えるぞ?泊まり込むことは許さんが、慰問だっていくらでも行かせてやるぞ?」


 それー!それはお願いしたいです!

 王子様のお言葉に思わず体が動く。


「ネモフィラさん!是非!お願いします!」


 がしっとネモフィラさんの手を取ると、ネモフィラさんは明らかに嫌そうだった。


「でもわたくし、孤児院には興味がないんですの。子供も好きじゃありませんし」


 そうですよね。むしろ孤児院の運営に興味があってあの態度だったのならビックリです。

 頷いていると、何やら王子様から視線を感じた。チラリと流した横目に写ったのは、眉間を寄せてネモフィラさんと私を見比べている王子様。

 平民のくせにお貴族様に対して図々しいって思われてる?

 そもそも私、王子様とネモフィラさんの会話に乱入しちゃったしな…不敬だって首落とされるかしら。まあ今更よね。不敬だなんて糾弾されるのなら、こちらこそ三年前の襲撃について問い正したいわけだし。力づくでも。なんてね。


 ――まずいな、血液が泡立ち始めてる。抑えないと。

 冷静に、冷静に。頭のてっぺんからつま先まで、血液の巡りをゆっくりと辿って、流していく。


 とりあえずはネモフィラさんに王子様のところへ嫁いでもらって、孤児院の環境改善をお願いしておこう。

 そう思って、王子様と結婚って素敵だと思いますアピールをしたところ、ネモフィラさんから返ってきた言葉に絶句した。


「孤児院に住み込んだ方が院長と一緒にいられますもの。慰問なんてしましたら、差し入れでしたり絵本を読んであげたり子供達と遊んだり、何かしらお世話しなければいけないのでしょう?面倒ですわ」


 …正直な人だよね、本当に。

 修道女として孤児院にいる意味、わかってるのかな?

 まあネモフィラさんは院長先生が好きなんだもんね。ずっと追いかけてきたっていうことだし。仕方ないか。






 …そう思ってたのに。

 院長先生がネモフィラさんに王子様との結婚を勧めた途端、そうします、と頷いた。

 驚くほどアッサリと。

 え?

 なんで?

 絶対諦めないって言ってなかった?


 王子様のお付きの人も、ネモフィラさんがあっさり王子様との結婚を了承したことに、目を見開いて、口をぽかんと開けていた。麗しいお顔が少しだけ崩れて、親近感が湧いた。

 すぐにキリッと目元口元引き締めていたけど。


 王子様はやたらとご機嫌になって、愛の告白?のようなものをしていた。

 王子様曰く、「ネモフィラさんほどぶっ飛んでバカな女は見たことがない」だそうで。

 …愛の告白だったんだろうか。

 対するネモフィラさんは無表情だったけど。それでよかったのかな?院長先生のことは何だったんだろう。

 やっぱりただの痴話喧嘩で、院長先生は当て馬だったんだろうか。当て馬にしては大分高齢な方を選んだのね、ネモフィラさん。その当て馬役、ルークさんでよかったのでは?まあ上手くいったならいいのだけど。


 上手くいった。のかな?うん、上手くいった…んだろうな。


 傍から見ていると、ネモフィラさんは王子様に丸め込まれているようにしか見えなかったけれど。


 結局院長先生はこの孤児院から出て行くことになって、ネモフィラさんは王子妃教育を詰め込まれることになって、その上でネモフィラさんは院長先生のいなくなったこの孤児院に慰問に来なくちゃいけなくなって。王子様の婚約者として正式に、なおかつ王子様の代理も兼ねての慰問だから、これまでのようにボンヤリしていればいいわけじゃなくて、ちゃんと奉仕活動をしないといけなくて、おそらく報告義務もあって、だからとても忙しくて、おそらく合間を縫って院長先生に会いに行くことは出来なくなって、来年には王子様と結婚することになって…。


 …まあいいか。うん。



 それからネモフィラさんは、王子様と王子様の侍従らしき人が引っ張って連れて行かれてしまった。ネモフィラさんのお家の厩務員らしいルークさんは、とりあえず今日はまだ残ってくれるらしい。助かる。

 もともとネモフィラさんが孤児院で何か役割を担っていたということもないので、ネモフィラさんが去っていくことには、特に問題はない。ないのだけど、去り際に「また来ますわね!」と嬉しそうに手を振っていたのは、見なかったことにしたい。

 ネモフィラさんにもう二度と会いたくないとか――出来るなら疎遠になりたいという気持ちはある――慰問してほしくないわけじゃないけど、ネモフィラさんのあの目は弟さんのハロルド様と私の色恋沙汰を期待している目だ。間違いない。


 なぜか王子様まで「乙女ゲーム」なるものを知っていて、その上ネモフィラさんを煽っていた。やめてほしい。

 なぜか王子様直々に、ネモフィラさんの弟さんのハロルド様と私を結びつけるお膳立てをするらしい。

 私、ただの孤児なのに。

 絶対無理なことだとわかっているのに、第二王子殿下のご意向が入るとなると、どうにか出来てしまいそうな気がして、とても怖い…。


 でも王子様の侍従らしき人も、王子様のお言葉に目を剥いていた。そのあとすぐ、無表情を保っていたけど、あれは絶対、何言ってんだコイツらって思ってた。

 興味がなさそうに一度だけちらりと私を見たけど、そこら辺の石を見るのと変わらない目をしていた。

 当然だと思う。

 ハロルド様は見目麗しいらしいし、何より辺境伯家のご令息で、こちらは痩せこけた孤児。

 これで色恋が始まるなんて正気の沙汰じゃない。


 お貴族様との恋愛だなんて、夢物語もいいところ。

 寂れた村でレオンとナタリーとジャックも暮らして、それから孤児院で暮らしてきて、そんな生活の中でお貴族様と知り合う機会なんて今までなかった。襲撃犯の第二王子殿下とそのお供の黒い男達は別として。

 だから私が知っているお貴族様は、ネモフィラさんと院長先生と、さっきまでここにいらした王子様の侍従らしき人の三人。

 お貴族様で若い男性となると、あの王子様の侍従らしき人だけ。


 あの王子様の侍従らしき人も、それはそれは端正なお顔立ちだった。中性的というよりは、男らしく野性味もあって、でも上品で、頭もよさそうで。

 王子様より短く整えられた、輝く濃い黄金の髪に、髪と同じ黄金の眉は凛々しく、この海のように碧い目は涼しげで知的。しっかりとした鼻に薄めの唇は形がよくて。すらりと長い手足に、ぴんと伸びた背筋。均整のとれた身体つきをしていて、それはジャックのような栄養不足のガリガリではなく、しっかりと食事をとって鍛えている人の身体だった。

 眉目秀麗という言葉がぴったりの人だと思う。


 ハロルド様もあの方のようなお方なのかしら。

 そんなお方と私が恋に落ちる?

 想像するだけでも、お相手に申し訳ないし、私もきっとつらい。住む世界がまるで違う。


 お貴族様との恋なんて、したくない。

 平民で、誠実で優しくて明るくて単純で働き者で。

 楽しいときは思いきり笑って、悲しいとき苦しいときは一緒に泣いて、肩を寄せ合って。怒ったときは言いたいことを言い合って。

 見目麗しくなんてなくていい。間が抜けていていい。武器なんて扱えなくていい。同じ物を見て、笑って泣いて怒って。手を取り合って、地に足の着いた暮らしをする。そんな人と一緒にいたい。





 ネモフィラさんはともかく、王子様のお考えがわからない。難しいことは何もなく、単純にネモフィラさんの気を引きたかっただけ?

 何も起こらないことを、今は祈るしかない。

第二王子ユーフラテスと悪役令嬢ネモフィラのやり取りは「ツンデレ属性俺様傲慢王子の苦悩(https://ncode.syosetu.com/n8016gz/)」にまとめました。

併せてご覧いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「ゲームの強制力」= 予定調和に落ち着く力!! このせいで、異世界転生乙女ゲーの世界で、どれだけのヒロインと悪役令嬢が苦労することか笑!! [気になる点] 「ツンデレ属性俺様傲慢王子の…
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