ひかり
美味しい冷製パスタとアイスティーを平らげるとバイト前にもう一度また海浜公園に行きたくなった。
やっぱりラフのままでは構図が決まらなくて困っていたのだ。
今からほんの1時間くらい。
さっきまで描いていた数枚の構図に色を付け始める。
それでどれが作品として綺麗になるか確かめようと思った。
真っ白い灯台にうつる雲の影、青い空に真っ白な雲。
その灯台の白と雲の白もまた種類の違う白だ。
灯台の白は少しかたくて冷たいイメージ。
雲の白はわたあめのようなふわふわなイメージ。
空の青も一色じゃない。
たくさんの青が塗り重ねられたかのような色だ。
そういえば海はたくさんの色の中で青色が一番強く見えるからこんなにも青く見えているらしい。
この紫彩の海は少し緑も混じった綺麗なエメラルドグリーンだ。
ここは南国の国ではないはずだけれども、海の色はとても綺麗で澄み渡っていた。
「お兄さん、こんなところで絵を描いているの? 」
風景の色に浸りすぎていて周りが見えていなかったらしい。
いつの間にか僕よりも若い女の子が隣に座っていた。
「お兄さん汗だくだよ。ほら、さっきそこで買ってきたスポドリ。」
その子は有無も言わせずに僕に飲み物を手渡す。
「頑張ってるお兄さんへの差し入れってことで。」
「ありがとう。」
ちょうど喉が乾いていた。
ここは彼女の親切に甘えていただくとしよう。
「珍しいよね、お兄さんみたいな若い人がこんな海浜公園にいるなんて。」
「君だって若いだろ? 」
どう見ても僕より年下、中学生か高校生に見える。
僕みたいな大学生がいるのが珍しいのなら彼女だって珍しいんじゃないか。
「そう、かな。やっぱりそう思う? 」
麦わら帽子と小さなショルダーバックという軽装備な彼女はここに何をしに来たということはなさそうだ。
「私はちょっとお散歩、今日は天気がいいから。そうしたら絵を描いているお兄さんと遭遇したってわけ。」
「そっか、君……。」
君、じゃあ失礼か。
とはいっても初対面、名前なんかわかるはずなかった。
「私は羽海野ひかり。お兄さんは? 」
「僕は高遠永雅。」
「高遠永雅、響き格好いいんだね。」
「そうかな。」
名前は永久に雅に繊細に生きてほしい、だったかな。
前世はともかく、今この時点で美大にいるってことは雅に繊細に生きられているんだろう。
「お兄さんの絵、綺麗だよね。」
「ありがとう、まだまだ素人の作品だけどね。」
絵は言ってしまえば素人どころか独学でしかない。
でも今は美大に通う絵師のたまご、かな。
「私も絵には興味があるの。全国コンクールで銀賞をもらったことがある。」
「そうなんだ、すごいんだね。」
「うん、でも今はあんまり。」
「どうして? 」
さっきまで笑顔だった彼女の顔に少し影が浮かんだ。
聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない。
「……だんだん勉強が忙しくて、さ。描く時間なくなっちゃった。」
「そっか。」
「お兄さんはなんで絵を描いているの?」
彼女は遠くの真っ白な雲を見つめながらふとつぶやいた。
なぜ絵を書くのか。
それは前世の僕が本当にやりたかったことであって夢だったからだ。
「……僕は自分のやりたかったことをやってるだけかな。将来とか社会での地位とかは後回しにせっかく夢があるなら追いかけるのもいいかなって。」
「夢、か。」
彼女は遠くを見つめながらどこか考えこむような表情をしていた。
その考え込んでいた影はすぐにどこかに消えて、ニッコリと微笑んだ。
「お兄さん、明日もここに来てもいい? 」
「ああ、明日にはキャンバスに絵を描き始めるから興味があったら見においで。」
「ありがとう、今日はお散歩の予定だったから日焼けしちゃう。」
「女の子って大変なんだね。」
「そうかもね。ありがとう、永雅さん。」
「ひかりちゃん、気をつけて帰ってね。」
彼女は晴れ渡った表情で走り去っていった。
こんなところで思わぬ出会いがあるものだな。
今日はバイトがあるから早く帰らないと。
早々に色付けを切り上げて車へ急いだ。
『7月17日 快晴
今日は僕に与えられた一週間の最初の日。
変わっていることも多い。
住んでいる町や父親の態度、僕の社会的立場。
それでも変わっていないことも多かった。
やっぱりこれは僕が幸せになってもいい人生の一部だってことを実感した。
今日は新たな出会いがあった。
羽海野ひかり
彼女は僕の名前を褒めてくれていたけれど、彼女の名前だって素敵な響きだ。
絵に興味があるらしい。
こんな素人の絵を見学するのがはたして彼女の勉強になるのかわからないけれど、また明日も海浜公園で会う約束をした。
彼女のためにも、というのはおかしいかもしれないけれど素敵な絵を仕上げよう。』