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はなむけに贈る -Philia-  作者: セイル
エメラルドブルー
12/17


階段を駆け上がって自分の部屋の扉をそっと閉める。

体の力が少し抜けるようで、膝から崩れ落ちる。

――緊張した!


前回の世界線よりも少しまともになった父親にはゆっくり慣れていこう。

もう罵倒してくる父親はいない。

大丈夫。


とりあえず、僕は現在何者で、どんな生活を送っているのか知りたい。

おそらく僕という存在が何一つ変わっていないとしたらヒントはあれしかない。

小学生の頃から使っている勉強机の一番上の引き出しを開ける。


やっぱり保管場所は一緒だった。

青い革のカバーがされている日記。

僕が人生の軌跡を残しているものは日記のほかなかった。


これはあとで一人になったときにゆっくりと読むことしよう。

きっとこの世界線の僕のヒントはたくさんある。


それと、おそらく学生なんだから何かしら身分証的なものもあるだろう。

学生証ならきっとスケジュール帳の一番後ろに挟んであるはず。

黒いリュックサックの中を軽く漁ってスケジュール帳の一番うしろを開ける。


『紫彩美術大学 学生証 学籍番号412A-037 高遠永雅 平成6年9月20日生』


大学名や学籍番号はわからないけれど、名前と生年月日が合致していることを考えれば僕のものだと確定していい。


それと一緒にクリアファイルの中身を確認する。

母が言う通り課題が出ているのならばその課題の詳細が書いてあるレジュメがあってもおかしくない。

大切なものと教科書類はすべて持ち歩くという学生時代の癖は全く一緒みたいだ。

一つ一つクリアファイルの中身を確認する。

ちょうど半分くらい確認したところでそれらしきものが出てくる。


『自由実技Ⅳ 提出課題 題材:自由 サイズ:F10 画材:油絵具・水彩絵具・アクリル絵具のいずれか使用 』


前の世界線で勉強をしたとはいえほとんど素人だ。

僕に扱える画材は水彩絵具だけだ。

部屋に飾ってある絵も水彩で描かれている。

おそらく自分で書いたんだろう。

飾ってあるものは自分で書いたものではないけれど何故か愛着が湧いている。

そうと決まれば早速絵にする題材を探しに行こう。

今僕の住んでいる街がどんな街か見るのにもちょうどいい。

買ったばかりなのか袋に入ったままのキャンバスと水彩絵具、その他諸々を何回かに分けて自分の車に載せる。

一番最後にリュックサックをトランクに積むと勢いよくトランクの扉を閉める。

一度玄関に戻ると母に「行ってきます」とだけ伝え、車の運転席に乗り込んだ。

鍵を回しエンジンをかけると自殺する前に聞いていたあの曲が流れる。


この世界の僕も、このアーティストが好きだったんだ。

そう思うとなんだか安心した。


でもこの曲はあまりいい思い出とはいえない。

車を走らせてすぐにラジオにチャンネルを切り替えた。


『午前9時を回りました。メイプルスタジオのSANSANラジオー。平成27年7月17日金曜日、今日のDJは金曜日担当、青海アオミでーす。そして今日のゲストは―? 』


『同じくメイプルスタジオ不定期参加のシゲでーす。』


『さー、もう7月も中頃ということでだんだん暑くなってきましたね。』


『そうですね、皆さんお出かけの際には熱中症に十分注意しましょうね。』


平成27年の7月17日。

僕が死んだのは平成29年の6月20日。

そうなると死んだときよりも2年も遡ることになる。

21歳、か。

順調に進級していれば僕は美大の4年生ということになる。

僕の本当にやりたかったこと。

それはいろいろあるけれど、一番思いが強かったのがこの時期ということらしい。


『さー、今日もお便りが届いていますよ。ペンネーム、埼京線の千手観音さんより――』


ラジオのDJがテンポよくトークする。

なんだかそれが心地よくて運転も心なしかスムーズだった。

大通りに出るとアスファルトの照り返しが強くて一気に暑くなった。


長袖の青いYシャツのそでをまくってエアコンを入れる。

今が7月だということがわかっていればこんな格好をしてこなかったのに。

季節感のない服装がエアコンの風を通すわけがなかった。


運転をしているとなんだか前の世界線で住んでいた場所とは違う、ということがかわった。

ここは紫彩という場所で、海沿いの小さな町みたいだ。

ほんの少し田舎感が漂うこの街はなんだか好きになれそうだった。


海沿いか。


小さい頃から勉強や習い事に勤しんできて夏に海に遊びに行くということをしたことがなかった。

だからぼくにとって海は憧れの場所。

ずっと行ってみたいと思っていた場所。


そうだ、海の風景画を描こう。


自分にそんな技量があるのか。

そんな事も考えず、今から楽しいことをしに行く子供のようにわくわくしながらハンドルを握った。


道路の上にぶら下がっている看板によるとこの大通りを抜ければすぐ海浜公園があるらしい。

ラジオのDJのハイテンションにつられて、僕もご機嫌でハンドルを切った。


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