違和感
「永雅、ねえ永雅ったら……。」
聞き慣れた声。
この声の持ち主を間違えるわけがない。
そっと目を開けるとそこには見慣れた自分の部屋の天井があった。
「珍しいわね、自分で起きてこないなんて。さあお父さんが待ってるから早く降りてらっしゃい。」
僕が小さい頃からずっと変わらずに白いエプロンをしている。
目の前にいるのは紛れもなく自分の母親だった。
僕がちゃんと起き上がったのを確認して部屋から出ていった。
こうやって部屋に起こしに来てもらうのはいつぶりだろうか。
学校に行きたくなくてぐずっていた高校生以来だろうか。
高校時代はある意味生きるのに絶望していた。
懐かしい。
ベッドから出てカーテンを開けると太陽が眩しかった。
本当に現世に戻ってきたようだ。
一週間の幸せな生活。
どうせ後悔するなら、と少しネガティブな気持ちで執行を受け入れた。
それでもどうせ与えられた一週間、楽しんだもの勝ちかもしれない。
さっと身支度を整えてダイニングに降りる。
そこにはいつもない光景が広がっていた。
「永雅、おはよう。」
「あ、おはようございます……。」
ある意味親が仇のような僕だ。
目の前にいる父親にはどうしても緊張してしまう。
いつ「なっていない」と罵声を浴びせられるか。
前の人生ではそんな恐怖と戦っていた。
でもここは幸せな世界、もしもの世界。
もしも父親が普通の人間だったら、と何度思ったことか。
それはこの世界で叶えられているのか。
「どうした、そんなに怖い顔をして。」
「いえ……。すみません。」
「毎日顔を合わせてるのにそんなに怖がられたら父さんだって少しは傷つくぞ? 」
毎日、この世界では毎日家に帰ってくるのか。
確かに着ているスーツもオーダーメイドじゃない普通のものだ。
父さんが社長にならない世界線、ということなのか。
変だと悟られないようにダイニングテーブルについて朝食を摂る。
うちはいつも朝食は和食と決まっていた。
そこは前の世界線とは変わらないようだ。
食べ慣れた味に少し安心する。
実の父親と何を話していいかわからずに戸惑っていると、母も席について朝食に手を付け始めた。
「芳弥さん、今日は遅くなるんですか? 」
「なるべく早く帰ってくるけどどうしても今の案件を片付けないといけないから。」
「そうですか、電車に乗る前に連絡をくださいね。」
「わかったよ。」
きっと普通の夫婦の会話なんだろうけど、違和感しか感じない。
偉ぶっていない父親がここまで違和感のあるものなのか。
きっと前の世界線と同じ人物なんだろうけど、僕には違う人物に見える。
「永雅は今日から課題の絵を書きに行くんでしょ? 運転気をつけるのよ。」
「え、ああ。僕も遅くならないようにするよ。」
課題の絵。
前の世界線の僕には遠い存在だったもの。
本当は美大に通いたかったけど、大学は経営を学ばされていた。
もしかするとそのもしもが叶っているのかもしれない。
『もしも僕が美術大学に通えていたならば。』
昔から絵を書くのが好きだった。
将来本格的に勉強をして母親の肖像画を書くのが夢だった。
でもそれは叶うことがなかった。
きっとこの一週間でも叶えることは出来ないかもしれない。
それでもこの一週間を終えたら、天界でゆっくり描くとしよう。
「それじゃあ僕は画材の準備をしてくる、父さんも気をつけて行ってらっしゃい。」
「おう、お前も気をつけて。」
お椀の味噌汁を一気に飲み干してすぐに部屋に戻る。
幸せな世界というものはこんなにも違和感があって、こんなにも考えさせられるのか。