プロローグ
西暦2018年6月、とある医療技術研究チームによって発表された医療機器があった。
脳障害における後遺症で、肉体に痲痺が残った患者に対し、第一世代量子コンピューターを搭載したその機器を用いる事で脳機能を一時的に電子の海に接続し、そこで架空の肉体を構成してリハビリに用いるというものであった。
睡眠療法で試験的に取り入れられたこの機器は、被験者となったとある財閥会長の資金提供を受け研究が一気に加速、2031年には国に認められ正式な医療機器として全国の病院或いは医療施設へと配備が進んで行く。
当初は保険適用外の為、資金力のある患者以外には高嶺の花であったが、その後に同研究チームの一人の天才によって技術のブレイクスルーが起こり、システムの簡略化から小型化、更には携帯性まで持つようになり、2054年には、パトロンとなっていた企業より世界初のVRゲーム機『シトロン スリム』が発売。
尤も、初期のVRゲームソフトといえば、精々一軒家程度の箱庭型か、インターネットを介して外国の観光地を投影して擬似旅行を楽しむ系ばかりであり、そこそこの値段もした為それほど需要は起こらなかった。
しかしその6年後の2060年7月、老齢を理由に研究チームを引退していた彼の天才研究者が起こしたVRソフト開発会社『ロットアーク社』が、世界初のVRMMORPGソフト『Lost Grand on-line』(以下LGO)を発売すると、それまでネタ市場と冷ややかに見られていたVR市場は一気に加熱した。
これも同社が、開発用システムを小分けにした『VR環境支援パック』をナンバリングタイトルとして発売した為である。『#1』には基本処理に関わるOS本体を、それ以降様々な追加開発オプションとなる『#5』まで揃えると、LGOと同規模のVRMMORPGが製作可能となるという謳い文句に、それまで臭いものに蓋扱いをしていたゲーム業界各社が殺到、或いは大型サーバーを購入維持できる規模の同人サークルでも手を出す者達が増え、瞬く間にVRゲーム黎明期が始まった。
ちなみにだが、同社はLGOその物よりもその開発ソフト販売で大儲けしたのは余談である。
それから数十年、様々な名作或いは迷作駄作が盛衰し、現在までその熱は冷め遣らぬまま続いている。
このような背景の中、火付け役となったLGOはサービス開始から30年でプレイヤーに惜しまれながらも大団円で終了し、『ロットアーク社』はVR環境開発企業として、ゲーム市場からは遠ざかり沈黙を貫いてきていた。
だが近年になって突如としてLGOの後継ゲームの開発を発表、当時を知る往年プレイヤー達は歓喜を以て情熱を再燃させ、過去の記録や伝聞でしか知らない若年層に至るまでその渦に巻き込んで行く。
募集された第一次クローズドベータテストには募集人数一万に対し、一億以上の希望者が殺到、その明暗は様々な社会現象すら引き起こし、一部知識人には敬遠されメディアに叩かれる事態も引き起こした。
その後、第二次から第五次まで行われたテストでは募集人数を徐々に拡大、最終的に一千万人のテストプレイヤーが生まれ、そこから齎されるゲーム内情報は抽選を漏れた人々を魅了し続け、期待は否応なく高まって行く。
こうして2126年8月、LGO正当後継VRMMORPG『Lost Ship on-line』(以下LSO)は発売日を迎えた。
メインストーリー背景は、前作LGOから数万年後の『別惑星』が舞台となり、失われた『神々の天船』伝説が残る、魔法技術(実際は精神エネルギー操作技術)が発達した中世レベルの文明、つまり剣と魔法の世界でプレイヤーが様々自由に過ごしつつ、散りばめられたクエスト次第では個人からパーティ、或いはギルド規模で『発掘』した『天船』を駆り世界を駆け巡ると言うシステムが、特にプレイヤーたちを熱狂させた。
PvP、GvG、RvRまではクローズドで実装され、正式サービスで『天船』同士による『Ship vs Ship』(以下SvS)の実装予定が公開されるに至り、それは最高潮に達する事となる。
また殊更に人々を驚愕させたのが、ゲーム内NPCを制禦するAIの完成度。
第三世代量子コンピューターを搭載した大規模メインサーバー複数を用いるという超贅沢な設備が必要であったが、殆ど現実の人間と変わりないほどの情緒と生理反応を保ち、成人プレイヤーに対しては性サービスすら可能なアダルトモードを搭載していた。
これにより一部の国で問題視される事もあったが、その付近には厳重厳格な成人認証システムを搭載して未だ何者にもクラッキングツール開発を許す事無く、よほど厳しい国以外では受け入れられていった。
現在では珍しくなった月額課金制を採用しながらも安価で、数多の選択種族にスキル制と職業性を欲張りに盛り込み、プレイヤーの個性は千変万化を可能とし、グラフィックから五感の再現度まで、全ての面で前作を大幅に凌駕する本タイトルは、瞬く間に世界規模で顧客を獲得し、後に長くLSO一強時代を築く事となる。
そして時は2126年12月、場所は日本国は九州のある地方都市。
多くのプレイヤーの一人として、ゲーム機器『シトロン スリムversion3.5』とLSOソフトを手に入れた、とある社会人の男性視点で物語は始まる事となる。