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第四話:赤い収監

 お前に何がわかる。人を苦しめたくせに。

 お前に何がわかる。人を泣かせたくせに。

 お前に何がわかる。人を傷つけたくせに。

 お前に何がわかる。人を束縛したくせに。

 お前に何がわかる。人を死なせたくせに。


   □ □ □


「私ね、虐待を受けてたんだ」

 と、ユウちゃんからそう聞いたのは、高校二年生の頃だった。昼休みに一緒にお弁当を食べていたときのこと。突然、ユウちゃんからそんなことを言われたから、おかげで唐揚げを一個落としたのを覚えている。

「虐待?」

「うん。お父さん……って、呼べるのかな……はは……その人に……ね」

「ユウちゃん……」

 ユウちゃんは悲しそうで、でも、途中ちょっと笑ったりして(その顔は笑っていると言うよりも、苦笑いだった)、でも辛い事を――やっぱり悲しそうに言った。

「小さい頃、親が離婚して、お母さんが家事をしなくなったの。私、ずっと泣いてばっかりいて、いつも怒られてた。『五月蝿い!』って。それで、また泣いて。ずっと、家の外の犬小屋みたいなところにいたんだ」

 ユウちゃんは、うつむきながら、そして悲しそうに言った。私は、言葉が出なかった。いつも、明るくて元気を振り撒いてくれるユウちゃんに、そんな過去があったなんて知らなかった。中学三年の途中からずっと、仲良くしてきたけど、全然そんな感じは無かった。

 そして、ユウちゃんは続けた。

「私が小学二年生の頃、お母さんは男の人と暮し始めたの。松田って男の人……最初は遊んでくれたりして優しくて。私は、『松田のおじちゃん』って呼んでたの。でも、段々、私を殴ったり、蹴ったりし始めたの。昼間からお酒を飲んでて、学校から帰った私を見ては怒鳴って、殴って、蹴って、挙句の果てには包丁で切り付けられたりしたの」

 私はお弁当を食べることも忘れて、ユウちゃんの話に聞き入った。触れちゃいけない部分なんだろうけど、何故か、興味が出てきてしまっていた。

「犯されたりもした……もう、何もかもがイヤになって、全部投げ捨てて、どこか遠くへ逃げちゃいたい思ったの。でも、出来なかった。小さな私には抵抗することも逃げることも出来なかったの」

「……」

「でも、ある日、松田のおじちゃんは居なくなった。警察の人に連れて行かれた。松田のおじちゃんが連れて行かれたあと、私は児童保護センターに保護されたの。でも、そこも全然楽しくなかった。イヤだった。お母さんは居なくなって……死んじゃった。中学三年の初めごろかな……ニュースで見たの。お母さんの名前とお母さんの顔がテレビに映ってた……飛び込み自殺だったって……」

 何だか、変な気分になっていた。目の前に居る人間であるはずのユウちゃんが、小さな小さな可愛い動物に見えてきて――「守ってあげたい」って気持ちになっていた。

「でも、小学六年生の頃にお母さんの親戚の人が私を引き取ってくれた。片里さんって人なんだけど、とても優しくて。おじちゃんもおばちゃんも、とても私を可愛がってくれて。私、そういう風にしてもらったの初めてだったから、とても嬉しかった。ホノちゃんにも会わせてあげたいなあ。とてもいい人だから……っ?」

 ――気づくと、

「ホノちゃん?」

 ――私は、

「どうしたの? ホノちゃん」

 ユウちゃんを抱きしめていた。とても抑え切れなかった感情を一気に出したかのように、目からは涙が溢れ、ユウちゃんをぎゅっと抱きしめていた。

「私が……私が守ってあげるからね……ユウちゃん……」

 そんな私を見て、ユウちゃんは

「ありがとう……」

 と笑顔で言った。


 守ってあげると言っておきながら、こんな結果になってしまった。ユウちゃんはもう、動かない、何も言わない。もう、ここには居ない。変わり果てたユウちゃんが今はいるだけ。

 ああ、人間って、こんなにも儚いものなのだろうか。人間の命って、こんなにも脆い物なのだろうか。人間の体って、こんなにも壊れやすい物なのだろうか。人間って何なんだろう。私にはもう、何も理解できなくなっていた。あの状況も、今のこの複雑な心境も。全てを受け入れていなかった――いや、受け入れることが出来なかった。なにも出来ない。

 いや、出来る。何かしら出来る。たとえば、ユウちゃんを殺したやつを見つけ出すとか。あいつしか居ないもの。ユウちゃんを平気で殺せるやつは、あいつしか。

 私はユウちゃんの部屋で見つけたあいつの写真を。過去に一回だけ見たことのあるあいつの写真を。バッグの中に入れて、思い当たる場所へと足を向けていた。

その場所――ユウちゃんの昔の家。片里さんの家じゃない、その前に住んでいた忌まわしい家。もしかしたらと思い、行ってみたら案の定、当たっていた。その家の表札(と言っても、プラスチックのプレートという安上がりな物)には「松田」と油性ペンで書かれていた。

 松田――あの、ユウちゃんを虐待していたあの男。私は、一度だけその男を見たことがあった。

――中学三年の冬のある日。朝からユウちゃんの顔色が悪かった。顔面蒼白、体調の悪い蒼白ではなく、何か直面してはいけないことに遭ってしまった時の蒼白。ずっと、うつむいてガタガタ震えていた。

帰りに、「一緒に帰ろう」と言っても、「私用事があるから一人で帰るね」と言って、先に帰ってしまった。不審に思って、後をつけてみたら(今思うと、付回すなんて行為は犯罪だ。でも、そのときは今にも倒れるんじゃないかと言う心配が優先していた)、誰か、男の人と会っていた。

「久しぶりだな――」

 低い男の人の声。その声に、ユウちゃんの体がビクッとなる。怯えているようだった。

「何? 松田のおじちゃん」

 その言葉を聞いて、私はハッとした。

あの男が、ユウちゃんを虐待していたやつ。

 ユウちゃんと松田はしばらく話をして、どこかへと行った。後をつけてみると、そこは少し古い家だった。表札には「松田」と油性ペンで書いてあった――。

 まだ、あの男がこの家に住んでいるなら、全てを聞き出してやる。この気持ちは変えられなかった。たとえ、自分が殺されそうになってでも、全てを――真相を聞きだしてやる。そして……。

 松田の家のインターホンを押そうとしたときだった。ふと、後ろから

「松田さんに何か御用?」

 と、知らないおばさんに聞かれた。

「はい」

 と私は短く返事をした。

 すると、おばさんは、

「松田さんなら、一年ぐらい前に事故で亡くなったわよ」

 と言った。

「え?」

 驚きと絶望とが入り混じった反応は、非常に短く、一般的だった。あまりに強烈な真実を、私は目の前に叩き付けられたことになる。


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