血の盟約
正式な戦争の日にちが告げられた3日後、魔物の国の中心で大きな祭儀が行われようとしている。
元からこの国に住んでいる魔物達、精霊達、ドラゴン達、アトラスとその部下達、迦楼羅の姉妹、そしてこの国に住んでいる魔物ではない種族全員が揃っていた。
全員が集まる広場にはそれぞれの長老達を先頭に並びながらそれぞれ話をする。集まっているのだから、事が出来る等は書く必要性は無い
前日にリュウの口から告げられていたのは戦争前の鼓舞であると言われていたが、それにしては随分と雰囲気が違う。
てっきりこの国にいる者達や、呼ばれた者達は戦前の宴かと思っていたからだ。
急遽建てられた木組みの社の前にはとても大きな盃が2つ、両方とも空で何も入っていない。
鼓舞と言っていたがその意味は何なのだろうと困惑している者がとても多い。
なかにはアトラスの様にただ黙って待っている者もいる。
そしてようやくリュウが現れた。だがその姿を見てさらに困惑を深める。
いつもの気安い雰囲気はなく、とても真剣な雰囲気に周囲の者達は自然と口をつぐんだ。
さらに真っ白で清潔感溢れる服を着て現れたのも困惑する要因だろう。
リュウは普段とてもラフな格好で着飾ったりしない。着飾るのは他の魔王たちに出会う時だけだ。
そしてリュウは社の上に立つと声を出した。
「みんな、今日は急遽集まってもらってすまない。今日はちょっと特別な話をしたい。今回の戦争の事だ」
そう切り出してからリュウは1度全員の事を見た。
それはまるで何かを確かめる様で、だが見定めるとは程遠い優しげな表情だった。
「今回の戦争は今までにない数の人間が押し寄せてくる。1国なんて生易しい話じゃない。俺と俺達を殺すために数多くの人間達が徒党を組み、この国を目指す。正直に言って負ける気はしないが、誰も失わずに済むと楽観視する事も出来ない。ここには幼い者も戦えない者もいる。それらを守るための戦いである事を忘れないで欲しい」
穏やかに語っていたリュウだが突如表情と口調が豹変する。
「そして相手が人間だけだからと言って油断してはいけない。教会や各国の兵士の中には俺や勇者の様に突出した人間が混じっている可能性がとても高い。だから決して油断するな。この日のために多くのポーションを製造してきたが絶対などと言う言葉は幻想だ。所詮最後は実力がものを言う。俺はそんな愚か者共にお前達が殺されるの決して許さない」
つまりこれは注意勧告だと周りの者達は思った。
それだけの大きな戦いになるし、本来であれば素直に避けるべき戦いだったのかも知れない。
だがこれは縄張りを守るための戦いである。戦わずに縄張りを寄越すほど愚かではない。
「前から言っていたからこの辺りの話はこの辺で締めよう。本題はここからだ」
そう言って片方の盃にリュウの妻達がなみなみと酒を注ぎ始める。
この酒は以前よりドワーフ達に頼んで作ってもらっていた酒である。
神酒と呼ばれる酒で本来は自分達が飲むようではなく、神にささげるための酒だった。
注いでいる間にもリュウは説明する。
「俺は正直言ってお前達が傷付く事にとても恐れている。何らかの油断によりもしかしたら死んでしまうのではないか、2度と俺の前に現れる事が出来ない状態になってしまうのではないか、そう考えるととても恐ろしい。それをダハーカ、アオイ、マークさんに相談したところ、名付けとはまた違う形で似たような強化を行う事が出来るらしい。それをこれから行おうと思う」
リュウの妻たちによって片方の盃にはなみなみと神酒が注がれた。
そしてもう片方の盃には1杯分の量しか注がれていない。見比べるととても大きな差に見える。
その盃には魔方陣が書かれており、神聖な物である事が予想された。
「『血の盟約』と呼ばれるもので、この酒に俺の血肉を混ぜて配下とする者に飲ませる儀式だ。本来は盃は1つ、つまり俺の血肉を酒で割った物を飲ませるだけでいいのだが、そんな関係俺は全く望んでいない。なので少しアレンジして盃を2つに増やし、片方をお前達に飲ませ、もう片方にお前達の血を混ぜた酒を飲む事にした。これにより相互関係は生まれる、らしい。その辺の詳しい内容はダハーカにでも確認してくれ、ただ俺がしたいのはこの儀式で俺とお前達の間に明確な絆が欲しいと思っただけだ。もちろん群れの頭をやる以上責任は持つ」
その言葉にほとんどの者が驚いた。
特に驚いたのは魔王、龍皇、精霊王である。
確かにこの儀式はドラゴンや精霊達から見ても昔からある正しい儀式ではある。
でもそれはあくまでも王と騎士の様な1対1での話であり、100を超える者達への大掛かりな儀式では決してない。
そしてこれはこれでとても大きなリスクが存在する。
名付けの場合、対象によって体内の魔力を消費する事で契約を結ぶ。
だが今回は魔力だけではなく、血肉も必要である点が大きな問題となる。
簡単に言えばドラゴンのような巨大な生物であれば血も大量にあるだろう。だがリュウは強いと言っても大元は人間だ。血を大量に失えば死に至る。
これだけの多くの魔物達に血を分け与えるなど無茶としか言いようがない。
「そしてこちらから要求するのはお前達の血だ。と言ってもほんの1滴で問題ない。その1滴をそちらのろくに酒の入っていない方の盃に垂らしてくれれば問題ない。と言う訳で俺から行くぞ」
「待て!本当にこの者達全員に飲ませる気か」
割って入ったのは迦楼羅である。
その表情と声音は真剣そのものだ。
「ええ、当然です」
「何故そこまでする。そのような真似をしなくともよいではないか!この者達は魔物だ、戦いの中で生き、戦いの中で死ぬ。それは当然の理であり、お前が嘆くものではない!!」
「嘆きますよ。俺は一応この国の王だ。ただの人間だった俺を認めてくれたみんなです。そんな彼らが殺されるかと思うととても嫌な気持ちになる。ならどうするか、簡単です。少しでも死なないように手助けをします」
「それは分かる!だがこの者達が戦いで貴様を生かす様に戦う事も理、長を守るために戦う事は仕方がない事だ!だがここの全員にその盃を飲ませるための血の量は圧倒的に少ない。これでは戦いが起こる前にお前が死ぬぞ!!」
「それだけは絶対にありえませんよ。生き残るための戦いなんですから」
「ではどうやってその盃を満たす」
「こうするんですよ」
そう言ってリュウは自らの右手の甲にロウを突き刺した。
それにより大きなざわめきが生まれる。
なみなみと注がれた神酒にリュウの血が混じり、溶けていく。
突き刺したロウを引き抜くとより大量の血が神酒の中に注がれていく。
「一体どうすると言うのだ!!」
「アオイ、準備頼む」
「はい」
そう言ってアオイは蒼流を抜いた。
リュウは血を流す右手を盃の上に広げ、アオイが容赦なく右腕を切り落とした。
切り落とされた右腕は盃の中に落ち、一瞬で溶けて消える。
だが神酒は1滴も盃からこぼれずに美しく水面を保つ。
神酒は右腕を溶かしきった後、芳醇な香りを立てる。
まるで何かが満ちたように、まるでこれで完成したように日の光に当たって輝く。
そしてリュウはふらつくが、すぐにリュウの妻達が支えた。
「全く、また無茶をして」
「ははは、いつも俺の我儘に突き合わせて悪いな。でもこれで準備完了だ」
迦楼羅はひどく驚いた。
確かに血だけより肉を混ぜた方が効率が正しい事は知っていた。
だがそれを本当にやってのける存在が居ると言う事には本当に驚いた。
そしてリュウは迦楼羅に向かって不敵に笑う。
「生き残ってやりましたよ、お義母様」
「ふん。生き残ったのなら一応は認めてやる。だが私の問いに答えろ。何故そこまでする」
「家族ですから」
迦楼羅の問いにリュウはあっさりと答えた。
「家族……民全員がか」
「はい。俺にとって群れは家族です。家族を失わないために全力を尽くす、なにも変な所はないでしょ?」
「………………呆れた」
そう言いながら迦楼羅はろくに酒が満ちていない方の盃の前に行く。
そして何かを探す。
「おい。まさか何にも使わずに血を流せ、とは言わぬよな?」
「え、ああ、それならこれで頼む」
そう言ってカリンはリュウからロウを預かり、迦楼羅に渡す。
そして指先をロウで小さく切り、ろくに酒の入っていない方に血を一滴入れた。
「お母さん!?」
「ふん。仕方があるまい、こ奴は娘婿で人間らしい傲慢で強欲な者。それに家族を守ると言うのなら親子として盃を交わしても問題あるまい」
そう言ってなみなみと酒の入った盃を迦楼羅が持つ盃で汲み、一気に飲む。
リュウは驚きながらも迦楼羅との間に確かな繋がりを感じた。
それは名付けをした者達と何ら変わりない確かな繋がりだ。
その次に盃の前に現れたのはアトラスである。
アトラスはリュウに聞く。
「我らはリュウ様の配下でございます。そのような者がこの盃に口を付けてもよろしいのでしょうか?」
「許す。そして確かに俺達は争った。だがお前もあの森にすむ者達を救おうとして行った事だ、それを愚かと俺は正直思えない。それにお前は自分の事を配下と言うが、俺にとっては家族同然。だから気にするな」
「ありがたきお言葉!その言葉を胸に刻みます!!」
それでも少し堅苦しい感じをリュウは感じたが放っておく事にした。
これがアトラスの性分なのだろうと諦めた。
そしてその性分のせいか、腕1本盃に入れようとしたので慌てて止めた。
次に来たのは龍皇と龍の女王である。
「迦楼羅に盃を許したのだから私達も許されるよな」
「当然です。そしてオウカとアオイの事を改めて守り抜くと誓います」
「ふふ、お母様とオウカは守られるだけの女性ではありませんよ。そして王だと言うのなら頼る事も覚えなさい」
その言葉にリュウは苦笑いをする。
リュウにとっては既にオウカとアオイに頼り切っていると思っているからだ。
そして2人も血を一滴入れ、盃を飲み干す。
次は精霊王と精霊女王である。
精霊王とはなんだかんだで上手くいっているとリュウは思っているのだが、精霊女王の事はよく知らない。
夫を扱き使っている上司とでもいうべきなのだろうか、精霊女王に嫌われている事だけは分かっている。
そして精霊王は呆れながら言う。
「全く、こんな古臭くて野蛮な儀式をする事になるとは思ってもみなかった」
「なんだよ精霊王。すでに契約はしてるんだから無理に飲む必要はねぇぞ?」
「でもこれで僕達、精霊の事を守ってくれる存在は昔っからこうしてできるだけ儀式に参加するものなんだよ。人間にだって大昔にした事あるんだから」
「その約束破っていいのか?」
「盟約は向こうから破った。だから次に誰と盟約を結ぼうが僕達の自由さ。それにティターニアも認めてくれた」
「え」
リュウにとっては意外、精霊王にとっては当然のことを言う。
別に精霊女王はリュウの事を認めていない訳ではない。ただ本来その場にいる事が重要である精霊達を好き勝手に使っている、と言う点が好ましくないだけだ。
だが長い時間停滞していた精霊達に活力を与え、生き生きとしたことは事実であり認めざるを得ない事でもあった。
でも心では気に入らないと思っているので何も言わないだけである。
そんな2人も血を一滴入れ、盃の酒を飲む。
そして地位のある者、各長老達が盃を口にし長老達の最後はフェンリルであった。
フェンリルは妻を連れてリュウの前に座る。
『孫娘が連れてきた男がここで強くなりおった』
「まだまだですよ。まだこの群れを守るだけの力が足りない」
『力を求めるのは何の罪ではないが、振るい方を誤ればそれは罪となる。誤ればお主の群れは崩壊するじゃろう』
「はい。ですからこれからもご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」
『調子の良い事を』
呆れながらも笑いながら言う。
フェンリルの一族が盃を飲めば盃は残りわずか。
それをリュウの妻、ウル、リル、カリン、オウカ、アオイ達が一滴血を入れ、ダハーカとマークが酒を汲むと綺麗になくなった。
そしてリュウはみなの血が入った巨大な盃を手に言う。
「これで俺達は血肉を分け合った家族だ。少々野蛮なやり方だとは思うが、とても嬉しく思う。これで俺達の間に名付け同様の繋がりが生まれ、みんなに力を分け与える事が出来る。
――勝つぞ、みんな」
「「「「「おう!」」」」」
そしてリュウと名付けの関係にあった最後の組が盃を飲み干した。
今後この日が彼らにとっての祭日となり、人間にとって最悪の日の前夜祭と語り継がれるのはほんの1ヶ月後である。




