side 教会 枢機卿
あけましておめでとうございます。
「…………………………これは一体何の冗談だ?」
教皇の明らかな苛立ちを含んだ声に周りの者はみな黙り込む。教皇から溢れ出る苛立ちは、そのまま覇気として他の枢機卿達に伝わる。
唯一平然としているのは教皇の世話役のシスターだけだ。彼女だけは相変わらず教皇の後ろで美しく立っている。
そしてその隣には聖女が居る。彼女は聖騎士団で実績を挙げた後、教皇の護衛としてこの会議に参加していた。
と言っても発言は許されていない。
教皇が苛立っている理由は2つ。
1つは新たな魔王が調停者によって正式に認められた事。もう1つはその新参者の魔王が即座に自身の縄張りを主張してきた事だ。
新参者の魔王は大陸中央精魔龍の大森林全体を自分の物として主張し、堂々と教皇宛てに手紙を送りつけてきた。
余りにも堂々と手紙を送りつけてきた事に教皇は怒りを隠せない。
そして送り付けた理由が書かれている。
大森林は俺の縄張りであり、明確な敵意を持って侵略してきた際は、聖国ごと滅ぼすと。
その手紙を無造作にテーブルに投げた教皇は真剣な表情で言う。
「これは確実に殺すべきではないか?全兵力を以って、かの魔王を討ち取るべきだと私は思う」
「た、確かに大森林を縄張りとしている以上、人間側の行動は制限されてしまいます」
「魔物の素材を利用している冒険者達にも影響は出るでしょう。彼らの大半はあの森に居る魔物を目当てに、周辺諸国に滞在しているのですから」
「そうなると世界経済にも大きな打撃が与えられます。魔物の素材だけではなく、あの森に生えている薬草などを目当てに入る薬剤師も居ますから」
まずは世界的な影響を議論する。それだけ多くの人間が大森林に依存していたという事だ。
貴重な薬草の中には、魔力に影響されて独自の進化をたどった植物も多い。その中で最も影響を受けたのが樹魔と言えなくはないが、それは稀でありほとんどは薬草として存在する。
例えばポーションだが、その原料は魔力が満ちた場所に生える草だ。ほとんどの魔力に満ちた土地は魔物が当然蔓延っており、さらに言えば魔王が居る事も多い。
新参者の魔王が現れる前のいい例としては、ガルダが支配する山だ。ガルダが住処にしている場所こそ活火山ではあるが、その周囲には豊かな森が広がっている。
火山の影響なのか、ガルダやその眷族達が居る事により薬草が生えるのかは不明だが、確かに生えている。
しかし冒険者がその森へ入り込むことは滅多にない。
それは魔王が支配しているという不安があり、何らかの形で魔王を怒らせる事により、その報復を恐れているからだ。
だから当然、魔王が居ない森と魔王が居る森ではどちらが安全であるかと聞かれれば、魔王が居ない森と答える。
そんな魔王がいないのに豊かな森がだ。突然魔王が現れ、その大森林を支配するとなれば、今まで大森林で得ていた薬草や魔物の素材などの流通が、確実に滞るだろう。
それによる混乱はまさに人間全体にかかわる問題と言える。
だが同時に無視できない内容も手紙に書かれていた。
「しかし、この魔王からの手紙には交渉内容も書かれており、人間と敵対する意思は低いと思われますが」
「それから、薬草や魔物の素材に関しては、ある程度は提供しても構わないとも書かれております。その際にはお抱えのギルドや商人を通して行うと」
「それに、あくまでもこちらが攻めてきた際には容赦しないという文面であり、こちらから手を出さない限りは魔王も手を出さないと」
「魔王の言葉など信用できん!!精霊王や龍皇は何をしている!!」
教皇は苛立ちからテーブルに拳をぶつける。
その言葉に周りの枢機卿達はさらに身を小さくする。教皇の怒りだけではなく、その精霊王や龍皇に関する情報も絶望的なのだ。
誰も動かない中、教皇の後ろに居たシスターがそっと教皇に2枚の手紙を差し出した。
教皇はその手紙を受け取り、内容に目を通す。教皇は一瞬目を見開いたかと思うと、すぐにわなわなと身体を震わせた。
「これは、私以外はみな知っていたという事で良いのかな?だから今もみな黙っているという事か?」
そんな怒りを抑え込んで言う教皇に枢機卿達は無言を貫く。
手紙を送ってきた相手は精霊王と龍皇。1枚ずつ送られてきていた。
精霊王の内容は、精霊やエルフなどへの被害が抑えられていない現状に対して、頼る相手を教会から魔王に切り替えるという事。
そして龍皇からは魔王を認めており、共存関係にあるという事。
龍皇やドラゴン達に関しては不可侵条約を結んでいる。互いに関係を持たず、干渉しないという内容であったが、このままだと非常にまずい。
ドラゴンとは地上最強の生物である事は誰もが知っている。そのドラゴンを怒らせないために不可侵条約を結び、無意味にドラゴンの怒りに触れない様にして来ていたのだ。
だが、新参者の魔王と龍皇が手を結んでいるとなると、非常に危険だ。力の塊であるドラゴンと、邪悪の化身である魔王が手を組んだなど1国で対応しきれるはずがない。
さらに世界的な被害で言うと、精霊王が人間を見限ったとも捉える事が出来る魔王への切り替えだ。
精霊たちは世界のバランスを司っていると言われ、精霊王、精霊女王ともなれば、この世の自然現象全てを掌握していると言っても過言ではない。
精霊達に敬意を示し、崇める事でその土地が豊かになったり、自然災害を出来るだけ多く抑えてもらったりしているのだ。
だがその精霊王が人間を見限り、放置するとなると、自然からの被害も大きくなる。
水害、地震、竜巻、豪雨、土砂崩れなどが精霊の居ない状態、つまり何者にも抑えられえていない状態で発生したらどうなるか?当然大きな被害が起こる。
さらに言えば、肥沃な土地と言われる地のほとんどが、精霊の棲み処と言われている。その精霊達が離れたら?肥沃な土地は枯れてしまうのではないか?そうなった場合世界はどうなってしまうのだろう?
そしてそんな力がたった1体の魔王の元に集まっている事も異常である。
その魔王の機嫌1つで世界は大きく様変わりしてしまうのではないかと、教皇は危惧した。
教皇は1度大きく息を吐きだしてから言う。
「かの魔王を倒そう」
教皇の言葉に他の枢機卿は大きく動揺する。
「む、無茶です教皇様!!その魔王には龍皇や精霊王も付いているのですよ!仮に勝つ事が出来ても龍皇や精霊王から報復が来るのでは!?」
「そうですぞ教皇様!ここは人間らしく知を練り、大儀や戦の準備などを万全にしてから!」
「ではどうしろと言うのだ!!すでに新参者の魔王はこのように手を打ってきている!大森林の一部どころか全体を掌握し、龍皇や精霊王も手に入れた!これでは世界はこの魔王の意思1つで人間は滅んでしまう!!私は全人類のために戦う事を表明したい!!」
教皇の強い意志が込められた瞳に他の枢機卿達は考え始める。
確かにこのままでは魔王の意のままにされてしまう。どれだけ頑張ろうとも魔王にお伺いせざるを得ない状況になるだろう。
その状況を教会は認めていいのか?それは人類が魔王に敗北したという事になるのではないだろうか?
長い時間黙り込んでいたように感じる会議室だが、1人の枢機卿が発言する。
「……私が配属されている国に呼び掛けて見ましょう。魔王は人類の脅威です。出来る限り協力いたします」
「わたくしも協力いたします。このまま魔王に敗北する訳にはいきません」
「私の個人的な兵なら1000名のみですが、すぐに動かせます。人類のために我々が戦わなくてはなりません」
その枢機卿達の目には強い戦いの意志が込められている。それを見て教皇は嬉しく思う。
だが当然それには賛同できない枢機卿達も居る。
「恐れながら、教皇様。このような状況であるからこそ人類を守るため、今は我慢するべきではないでしょうか」
「そうですぞ!このような状況であるからこそ守りを固め、魔王がどのような手を打ってきたとしても被害を最小限に抑えられるような案を今すぐ打ち立てるべきではないでしょうか!!」
「それに精霊王様が完全に我々人間を見限ったとは思えませぬ!もしそうなのならば、既に全ての精霊は精霊王の領地に戻っておられる筈と愚考しました!なのでもう少し様子を見るべきではありませぬか!!」
会議室内で意見が真っ二つに分かれた。
攻めるべき教皇に従う者と守るべきと主張する者。その守るべきだと主張する枢機卿達に対して教皇は。
「そうか、君達の主張も理解できる」
「教皇様!では――」
「君達はしばらくこの会議室に立ち入る事を禁止する」
「教皇様!?」
「立ち去りたまえ」
そう教皇が言った後、守るべきと主張していた枢機卿達は渋々会議室を後にした。
そしてこの会場には攻めるべきだと主張する枢機卿達が残る。
「では、どのように魔王を滅ぼすか相談しよう」
―
「これからどうする?」
「どうすると言われましても、会議室から追い出された以上、実質動けないと言っても過言ではないでしょう。我々が出来るのは神に祈りを捧げる事だけです」
「ああ、精霊王様。どうかお声をお聞かせください」
教会と言う組織は基本的にあの会議場で決定した内容で動く組織と言っていい。
つまり追い出された枢機卿達は動けたとしても精々周りに注意を促す事だけだ。それでは教皇の意思を変えられるはずがないし、被害を少なくするために大々的に動けるはずがないのだ。
「……あの、私は若輩の身故に教皇様の事を深く知らないのですが、教皇様は昔から?」
「まぁそうであるな。昔からあの方は魔物と魔王を憎み、滅ぼす事だけを考えてきた」
「だがそれも矛盾よな。我々は魔物を狩り、倒す事で信仰を強めてきた。では魔物が居なくなった後はどのような未来になるのだろうか?」
「希少な薬草は魔物が住まう土地に多く存在する。だが、魔物が居なくなった場合、希少な薬草も無くなってしまうのかは不明なのだ」
未来への不安を感じながら枢機卿達はため息を付く。
そして1人の枢機卿が気が付いた。扉の隙間から1枚の紙が差し込まれていたからだ。
気が付いた枢機卿はその紙を引っ張り出し、何かと窺っていると紙に書かれている文字に驚いた。
「これは!」
「どうかしたのかね?」
「ナレル枢機卿から手紙が届きました!!」
「ナレルだと!?彼は現在行方不明のはずだ!」
「ですがこの手紙には確かにナレルと」
「私達にも見せろ!!」
ナレルの手紙には今現在の状況について書かれていた。
魔王の捕虜になっているが元気にしている事、そして教会を一時的に離れないかという提案が書かれていた。
「これは……どうする?」
「まずこの字は本当にナレル殿の字なのですか?何者かが成りすましている可能性も」
「いや、彼とは長い付き合いだからよく分かる。この字の癖は確かにナレルの字だ」
「ですがどうします?手紙の内容には魔王と会い、会談する機会も用意出来なくはないと書かれていますが」
「それにこの行動は教会への裏切りにつながるのではないでしょうか?」
手紙を前に深く悩みこむ枢機卿達。
そしてナレルと親しい枢機卿が言った。
「私は信じてみようと思う」
「本気ですか!?」
「ナレルは嘘を付けない性格だ。そのナレルが信頼を置いているのなら信用してみても良いのではないかと思う」
「ですがどうします?我々全員が動けば即教皇様に見つかりますぞ」
「手紙には優秀な護衛も手配されていると書かれている。そのためにはまずこの国を出る必要がある。そして魔王に直談判と行こうではないか。本当に人間と敵対する意思がないのかどうか見極める必要がある」
教皇とは違う強い意志を込めた瞳に他の枢機卿達が黙る。
そして1人の枢機卿が手を上げた。
「私も同行してもよろしいでしょうか?」
「な!君も行くというのかね!!」
「も、もし狡猾な魔王であり、この事を伝える者が必要となった時。私は必要となるでしょう。それに人数に関しては書かれておりません」
「だがこれはとても危険な事だぞ。それを君のような若者が――」
「構いません。ですが覚悟はしてください」
「はい!」
こうして2人の枢機卿が旅に出る事が決まった。
全ては人類を守るために。




