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くるりくる、り

作者: 戸雨 のる

 身体中のあちこちが、ちくちくと痛むのです。

 原因は判るのですが、対処法は判りません。車から溢れている粒子だけが原因ならば、幹線道路に近寄らなければ治まるのですけれど、そこかしこで擦れ違う人たちからも漏れ出しているので、私にはどうしようもありません。他の人たちは、このちくちくと突き刺さるような痛みが気にならないのでしょうか。不思議です。痛みに対する耐性は、人によって様々なのでしょう。幸か不幸か、私の感受性が豊かすぎるのです。そのおかげで宇宙からの声を聞けるのですから、甘受するしかないのですけれど。

 私はきっと、特別なのです。

 自らそのようなことを口にするのは躊躇いますが、それはれっきとした事実なのですから仕方がありません。あの素晴らしい言辞に気付かない皆よりも、耳を傾け会話をすら交わせる私の方が余程。

 どすん。腕に痛みが走りました。今し方擦れ違ったサラリーマンの男性が、苛々とした様子で私を睨みます。私の特別な力に、ほんの僅か気付いたのかもしれません。畏怖と尊敬と、己自身に対する苛立ちが見て取れます。嫉妬にも似た感情が、私の腕に鋭くぶつけられたのでしょう。妬み嫉みは、私のような特別な存在にはいつもついて回るのです。残念ながら。崇高すぎて理解されないことは多々あります。適当なことを口走っているだけなのだと、決めつけられたこともあります。けれど私は、それら全ての羨望による攻撃を赦す、懐の広さをも持っているのです。だから身体中がちくちく痛むことなどは、我慢するしかないのです。

 ふと、歌声が聞こえてきました。快晴の空に浮かぶ、小さな雲からです。高く澄んだ綺麗な声。小鳥のさえずりのように、優しく耳を撫でさすります。今にも踊り出したくなるような、軽やかで爽やかなリズム。思わず足取りも軽くなりました。痛みに震える私のことを、励ましてくれているのかもしれません。

 春の空は、優しいのです。春に咲く花に元気を分け与えるように、私にも優しさを分け与えてくれるのですから。

 好きな季節を訊かれたら、迷わず春と答えるでしょう。他の季節ももちろん素敵なのですが、春だけは特別です。優しい日差し、優しい歌声。全てを包み込むような、暖かく柔らかな空気。それらに触れると、ちくちくとした痛みも和らいでいく気がします。他人から直接発せられる痛みは、どうしても誤魔化しきれないのですけれど。

 街中に溢れる痛みの粒子からの影響は、季節に合わせた布を纏うことで軽減することが出来ます。春の好天には、薄紅色。つまり、桜の花の色です。長袖のカーディガンにくるぶしまでのロングスカート、つばの広い帽子と、肘まである手袋、そしてスニーカー。今の私は、全てを薄紅色にしています。それでもちくちくと痛むのですから、対策をとらなければどれほど痛むのでしょうか。想像するだに恐ろしい、というものです。

 宇宙からの声が大きくなりすぎないように、内側を真黒に塗った日傘を差しました。宇宙の色である闇色は、私の姿を隠します。この傘を差している限り、地球外生命体は私を見つけられないでしょう。私を頼りに地球を訪ねてくるのは判りますが、全てを相手するほど暇ではないのです。今日の私は、あの優しい小さな雲の声だけを聞いていたいのです。宇宙からの声は必要ありません。

 そう。あの雲の歌声は、とても心地良いのです。自然と足取りが軽くなります。私はどこに向かっていたのでしょう。それすら忘れてしまうほどに、心地が良いのです。

 ちくりちくり。防ぎきれない痛みが、私の身体を覆います。どうして様々なものが、痛みの粒子を放つのでしょう。苛立ちのような感情や、駆動するエンジンのノイズ。尖ったそれらは尖った粒子へと変わり、私の身体に鋭く突き刺さります。振り払おうが防ごうが、私の身体を傷付けます。私は何もしていないのに。

 私の存在そのものが、宇宙の摂理にそぐわないのかもしれませんけれど。

 優れすぎた存在というものは、常に孤独なものなのです。悲しいことに。私を真に理解できる人間は、きっとどこにもいないでしょう。全てから欲され妬まれ、全てに拒まれる存在。万能の私は、全能の如く個でしかあり得ないのでしょう。個であり、孤。私はこの世でただ一人、唯一無二の存在なのですから。

 日傘を少し傾け、空を見上げました。私はあなたの指導者にはなれません。けれど、勝手に伝道する分には構いませんよ。にっこりと微笑みながら、宇宙からの迷い子に声をかけました。答えを返すことは出来ないけれど、縋るだけであれば仕方がありません。彼らには、彼らなりの神が必要なのです。私の存在に気付いてしまったのですから、縋りたいのは必然です。

 未だ確信には至っていないのですけれど、私はきっと神なのです。幾度となく転生し、幾度となく救世し。神話に描かれた物語が、遠く記憶と連なります。奇跡を起こしたのは私です。全てを救ったのは私です。私が痛みを感じるのは、誰かを救うためなのです。妬み嫉みを受け止めることで、相手の感情を浄化しましょう。苛立ちを受け入れることで、相手の感情を昇華しましょう。つまり。

 私の存在こそが、この世の救いなのです。

 だから誰にも理解されないのは、仕方がないのでしょう。私にしか聞こえない声や、私にしか感じられない痛み。それらは全て、私が私であるからこその。

 ありがとう。私の脳内に、直接声が届けられます。先ほどの宇宙人からのようです。縋る許可を与えたことへの、謝意を表した言葉でした。私は何もしていないのに、こうして崇拝されてしまいます。それは私が神であるという、確かな証拠かもしれません。

 ただ存在するだけで、全ての存在の救いになるという。

 軽い足取りで、街の中心へと向かいました。確か用事があったはずです。もしも目指していた場所と違っていたとしても、私は奇跡を起こせます。起こし方は判りませんが、時が来れば自ずと道が開かれるでしょう。奇跡というものは、ただその場で待っているのです。だから引き起こすのではなく、引き寄せられるというべきで。

 運命の糸を手繰り寄せる能力を、奇跡と呼ぶのでしょうか。則ち、私の存在こそを。

 自覚を持つことは、悪いことではありません。けれどそれを悟られたがために、悪意が向けられることもあるのです。神は全てを救いますが、救われることを望まぬ者もいます。神に立ち向かうことで、超克すべしと思いこんでいるのでしょう。受け入れることこそが、己を越える手立てだというのに。

 ああ、それにしても。どうしてでしょう。

 身体中のあちこちが、ちくちくと痛むのです。

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