二十七、虞淵が、謀られた幸運を疑う
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義父の話はそこで終わった。
そういえば、ずっと前、母と叔父が何処かへ出掛け、帰って来た時には着物も何もかも薄汚れて、疲労困憊のていだった事がある。きっとその日その惨劇が起きたのだろう。
その頃もう既に父は死んだ事になっていた。いつまでも帰って来ない父に業を煮やし、母はすっかり父を死んだものとしていた。
“父さんは街で高い所から落ちて死んだ。あまりに遺体の状態が悪いのでお前に見せないうちに墓に葬った。金もないから葬式もできやしない”そう母は云っていたのに、本当はその日まで生きていたなんて。
もしかして、私が寺に行けば、もっと早く行けば、父を説得できたろうか?
父の身体が蜜に浸食される前に、否、父が蜜人になる事を決心する前に、何か云うなり行動を起こすなりすれば、こんな悲劇は起こらなかったのではないか?
そう思うと悔やんでも悔やみきれない。
これが叔父の云った言葉の意味か。しかしその後父の亡骸はどうなったのだろう?
そしてこの蜜を満たした棺は?
「これか? 君はこれに李が眠っているものと思ったのだろう?」
私が棺を見ていると義父はそう云った。
「これは李の為に用意したものではない」
では誰の為に……?
やはり義父は私を蜜人にしようとしてるのか?
「では、私ごときがこのような大店に作物を納めるように手配されたのも、美花と結婚出来たのも、みんな貴方のさしがねだった訳か……」
そうだ、こんな上手い話が在る訳が無い。きっと義父は父の代わりに私を蜜人にして道鑑に差し出す積もりなのだ。
「違う! 何を勘違いしているのだ! 確かにうちの店に出入り出来るようにしたのは……君の母が亡くなり、余りにも不憫に思い、せめて定期的に収入を得る方法をと思い、人を使って君に仕事を持ちかけたのは確かだ」
やっぱりそうだったか、そういえば、“張酒家が野菜を納める者を探している”と私にだけ伝えに来た者がいた。あれは誰だったろう? 何処にでも居るような余り特徴の無い若い男だった。きっと厨房の下働きの者だろう。
「しかし、美花の事は私は何もしていないんだよ、虞淵。美花はいつも君を見ていた。荷を届ける者達に挨拶に行くと云いながらも本当は君の声が聞きたくて仕方無かったんだ」
「え……?」
美花の花のほころぶようなあの笑顔は全ての者達に向けられていた訳ではなくて、私だけに向けられていた。と?
「何とか話をする機会を探して居たようだった。しかし、他の者達の前で親しげに語らっていたら君に迷惑が及ぶのでは? と心配していた。そんな折、元々病弱なせいか、それとも恋患いと云うものなのか、熱を出して寝込んでしまった」
「あの、私が桃を持って来た時……?」
「そう、最初は食べさせようとしても食べなかった癖に、それほど弱って居たのに、魯が“いつも野菜を納めている一番若い農夫が持って来た”と云った途端に貪るように食べたんだ。そして、桃の種を“この種は大事に取っておく”等と言い出した」
美花、そうだったのか。
美花の愛だけは本物だったのだ。
それは真っ暗な世界に一筋だけ射した光のように感じる。
もし美花が望むなら、私は蜜人になっても構わないとさえ思えた。




