二十五、張が李の妻に会いに行った事
※張の語り 二
その農地の広大さとは逆に小屋のように小さな李の家からは、今やっと休憩にでも入ったのだろう。日焼けして痩せた女が手拭いで汗を拭いながら出てきた。李の細君に間違いない。病害の穴を埋める為に李の分もその細い腕で畑を耕し、僅かに残っていた作物の種を蒔いていたのだろう。
「誰?」
「張と申します。ご主人の……李の、友人です」
一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにそれは怒りの表情に変わった。
「あのろくでなしは出て行ったよ、大方金を返せと云いに来たんだろうけど、ウチはもうあの人とは関係ないからね! 返して欲しければあの人を探し出す事だね!」
彼女がそうまくし立てながら閉めようとした戸を私は押さえ、半ば叫ぶように云った。
「私は金貸しではありません。奥さん、どうか李の無茶を止めてやって下さい。李を助けて下さい!」
力の緩んだ戸の向こうから日焼けした顔がこちらを伺っているのが見えた。
「どういう事なんだい? あんたはあの人の味方なのかい?」
私は今迄の事を一部始終彼女に話した。
私の話を聞き終わるとやがて彼女は溜め息とも声ともつかぬうめき声のような音を発した。
それは何かを納得したようでもあるし、全てを諦めたようでもある。
「やっぱりあの人はろくでなしだよ……真面目に働いて、貧しくても家族で笑って暮らせるのが幸せだとは思わないのかね?たった一度の挫折で、すっかり心が折れる程弱い人だとは思わなかったよ。お陰で私も息子も朝から晩まで畑を耕さなきゃならない」
「一緒に寺まで行って貰えますか? 私だけでは李を連れて来る事は出来ません」
「そういう事なら後日改めて……兄に話して置くよ。男の人が二人も居れば力づくで連れて帰る事も出来るだろうし。でもこの事は息子の虞淵には内緒にしてやっておくれ、息子には父親の弱い姿を見せたくないんだよ……」
彼女はそう云うと窓の外を見た、遥か向こうに何やら実を付けた果実の木が有在って、その横の地を耕す少年がいた。細い体は不器用なりに鍬を振るって、今にも倒れそうなのが痛々しい。本来なら家の事など軽い手伝いぐらいで済ませ、あとは友人と遊び語り合う年齢だろうに。
今更ながら李の奇行に腹が立つ。あんな子供を働かせて。
それは李の細君も同じ気持ち……いやもっと強いに決まっている。日に焼け乾ききり皺の寄ったその顔は働く息子を見ながら涙ぐんでいたから。
数日後、彼女は彼女の兄と共に私の店にやって来た。
兄は私を見るなり
「道鑑だって? あの金儲けしか頭に無いナマクラ坊主か! 何だってあんた、あんな奴に大事な妹の亭主を会わせたんだ?」と、私を責めた。
そうだ、私が李を道鑑に会わせたのが全ての間違いの元なのだ。責められて然るべき事をした。
「兄さん、今はそんな事を云ってる場合じゃないよ。早く寺に行かないと、こうしている間にもあのろくでなしはどんどん痩せて木乃伊になっちまう」
彼女がそう云っても、兄の憎悪の目は私にずっと向けられていた。
漁師をやっているとの事で腕っぷしはかなり強そうだ。もしも殴られたらひとたまりもないと云う危惧とは裏腹にこれなら李がどんなに抵抗しても連れて帰る事が出来るだろうなどと思った。




