二十、顔色の悪い薬屋が話した事
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「蜂蜜に漬け込んで作る薬ですか?」街の薬屋にそれとなく訊いてみると顔色の悪い泥鰌鬚の店主は暫く考え込んでいた。
「何を漬け込むんですか? 蜂蜜を使った薬は結構ありますよ。蜂蜜そのものに滋養がありますからね、そのままで薬になると云っても過言ではありません」
ならばこの店主も、蜂蜜を飲めばいいのに。薬屋のくせにそんなに顔色が悪くては信用を無くすだろう。
いや、そんな風に心の中で毒づいている場合では無い。
「あの……例えば、生き物とか……」
我ながらまだるっこしい云い方だ。
云ってしまってから何かの液体に漬け込まれた蛇や蜥蜴や百足の瓶が棚に陳列されているのを見た。いや、こんな物じゃなくて……
「生き物といいますと、蛇とか? 酒に漬けるのが一般的ですが、どちらにしても良い強精剤になりますからね」青白い顔がにやりと笑う。心なしか泥鰌鬚も愉快そうに跳ねているように見える。
「若旦那さんも如何でしょう? 奥様がご懐妊されたとかで、花街に行く機会も増えたのではないですか?」
下卑た笑い顔は蛇そのものだ。蛇が笑ったらこんな顔になるに違いない。
大体、美花のような美しい嫁がいるというのに、花街に行くなど考えた事もない。
「いや……蛇ではなく……寺で作られる薬らしいんだが……」
もう、この薬屋と話しをするのが嫌になりこれで解らなければ帰ろうと思った時だった。
「ああ、それなら蜜人でしょう」
「蜜人?」
聞き慣れないその言葉を聞いた途端、何かざらりとした厭なものに触れたような気がした。
「人間の蜂蜜漬けですよ。大怪我や大病、何にでも効く妙薬です。昔は出来上がると無料で分けてくれたそうなんですが……今の寺はいけませんね。金を取るんですよ、それもかなり高い。それでも買いに行く人は絶えないと云うから良い商売ですよ、全く」
人間の蜂蜜漬け等と禍々しい事を口に出しておきながら、その実寺の巧いやり方に舌打ちしている。
しかし、やっと知りたい事を知る機会が巡って来たようだ。この薬屋が下世話な事を云おうが顔色が悪かろうが、知っている限りの事を訊き出さなくては。
「人を蜂蜜漬けにするなんて……人殺しじゃないですか! 薬になるどころか祟られそうだ」
「“人を殺して蜂蜜に漬ける”訳ではなくて、“死んだ人間を蜂蜜に漬ける”んです。しかも、蜜人様は自ら志願して蜜人となった尊い方なので薬として利用される事を喜びこそすれ怨んだり祟ったりはしません」
自ら志願して?
しかし、大哥が持ってきたのは赤ん坊だ。物心つかない赤ん坊が自ら志願したとは思えない。
「七十、八十を越えた元気な年寄りが、ある日を境に蜂蜜しか口にしなくなるのです。それが蜜人になる準備でして、もう死ぬまで何年も、或いは何十年も蜂蜜以外の何も口にせず暮らすのです。そうした者は汗も、唾や痰、排泄物に至るまで甘い蜂蜜の香りがするのです。そうしてその者が亡くなると、蜂蜜に百年漬け込まれます。百年経つと完全に人間は溶けてしまいます。骨も残らず完全に。それが“蜜人”です」
ああ、あの時魯が云っていたのはそういう事か。しかし。
「その、蜜人とやらを数年で作る方法はあるのかい?」
「ご冗談でしょ! 蜂蜜ばかり口にして暮らしたと云っても人間ですよ。僅か数年で蜜人が出来るなんて聞いたことがありません。途中で蓋を開ければ蜜ごと人間も腐ってしまって薬どころか只の汚物になってしまいます」
「例えば……赤ん坊を使うとか……乳の代わりに蜜だけを与えて……」
薬屋の悪い顔色がますます悪くなった。もうこのまま倒れてしまうのではないか? という程に。
「お……恐ろしい事を仰いますね。張酒家の若旦那は」……云った私も恐ろしい。
もしそれが本当なら、張酒家も道鑑も人に非ずだ。
「しかし、赤ん坊なら数年で蜜人になるでしょう。体がまだ未熟で柔らかいし、小さいし……しかし何処の世界に好き好んで可愛いわが子を蜜人にする親がいると云うのです?」
さっきの下卑た話しをしていた彼とは別人のようだ。
彼にも赤子を慈しむ気持ちが在ったとは。否、それが普通なのだが。
「若旦那……くれぐれも早まった真似は……」
「いや、違うよ、さ……最近読んだ読み物にそんな話が出てきたから……気になっただけさ」
普段、読み物など読まないが、そう云って取り繕った。




