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HONEY MAN  作者: 鮎川 了
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十一、虞淵が張酒家の若旦那となった事



 やはり良い酒だ。二日酔いどころか爽快な気分で朝を迎える事が出来た。

 しかし既に隣に美花の姿はなく、昨夜の事は夢か妄想だったのでは? と云う不安に囚われた。

 雲で出来たような絹の布団は寝台から出ようとする私を埋もれさせ、そのまま体制を崩して無様に床に転がってしまい、こんな姿を美花に見られなくて良かった。と、安堵していると鈴を転がすような笑い声が聞こえて来た。

「あなた、おはようございます。一寸ね、今日のお召し物を選んでいたの」

 既に朝の身支度を済ませて、青い儒子の服を抱えた美花はそう云いながらも可笑しそうに肩を震わせている。

「とんだ所を見られてしまった」

「張酒家の若旦那はおっちょこちょいなのね」

 照れ隠しに私が笑うと、それにつられたのか堪えきれなくなったのか、美花も笑い出した。

 その声は夜鳴鶯もかくや? と思われる程耳に心地良かった。


 朝食の卓には既に義父が居て、何やら書き付けを手にしながら魯に指示を出していた。魯は怒られて居る訳でもないのに相槌を打つ度に腰を深く折りまるで謝っているようなのが滑稽だったが、私に気が付くと「これはこれは若旦那様、お早うございます」と、頭が床にぶつかるのではないかと思う程一段と深く腰を折った。

「お義父様、魯さん、お早うございます。こんなに早くから仕事の話をされているんですね」

「いや、昨晩、古いお客様から予約が入ってね、その食材の調達で話し合っていたんだよ、いつもは、朝はもっとのんびりしているよ」

 義父がゆったりした口調でそう云うと、魯はばつが悪そうに「うっかりしておりました、精進料理をお出ししなければならないのをすっかり忘れてました」と云う。

 精進料理と云うからには偉いお坊さんでも来るのだろうか?

「食材はもう少し経てば届くし、そのお客様がいらっしゃるのは夕刻なのでなんとかなるだろう」

 私の感覚だと、肉や魚を使った料理の方が手間がかかりそうなのだが、野菜だけで豪華な料理を作るのも大変らしい。


 その後、店で働く者達の紹介や帳簿の管理の仕方だとかで、半日が慌ただしく過ぎて行った。

「疲れたでしょ? 疲れた時には甘いものがいいのよ」

 美花が小さな茶器に茶を注ぎながら、藍色で山々を描いた大皿に並べられた菓子を勧める。

 茶器に注がれた茶はすのこ状になっている盆に捨てられ、暖まった茶器にまた茶が注がれる。その一連の作法が実にそつなく美しくて見とれていると「あ、もしかして甘いものは嫌い?」と、美花が困った顔をする。

「いや、お茶の煎れ方が綺麗だなと思って」

「嫌だわ。お茶の煎れ方なんて誉められたの初めてよ」そう云いながら茶器を私の前に置いた。

 湯気と共に昇ってくる香気はもうそれだけで疲れや心配や悪心を一掃してくれるような、そんな清々とした香りがする。

「今までお菓子を食べる機会が無かったから、考えた事も無かったけど、好きか嫌いかと云えば好きかな」

 喉がとろける程甘い餡。

 その甘さは確かに疲れを癒してくれるようだ。

 しかし、男の癖に甘いものが好きなんて、少し恥ずかしいような気がする。

「そう、良かったわ」

 美花は嬉しそうににっこり笑った。

 その時は自分の好きなものを、私が好いてくれて嬉しいのだろうと思ったのだが、後々思い出してみると、これはとても深く、そして恐ろしい問い掛けだったのだ。





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