2 魔術そして招待
「よし、終了」
莉亜はキーボードから手を離して大きく伸びをする。
部屋に戻ってからずっとパソコンと向き合っており、時刻はすでに深夜2時を過ぎていた。
左手がより一層輝くとすぐに収まり次第に輝きが失われて、鮮血のように紅い、刺青に似た幾何学模様の刻印だけが左手の甲に残る。
「さて、キリの良いところでそろそろ寝ようかな」
莉亜はパソコンの電源を落として椅子から立ち上がる。
「魔術空間接続終了」
莉亜の言葉と同時に幾何学模様が消え、壁と床も一瞬遅れてぱっと元の部屋のものに戻り、莉亜はベッドに近付く。
「あ、そっか。お風呂にも入ってないんだった。あーあ、魔術空間消さなきゃ良かったな」
莉亜は独り言を言うと、右手を左手の甲--紅い刻印に当てて目を閉じる。
「jabon cadena lavadora lavar」
左手の刻印がぼんやりと光り、それが収まると莉亜から良い匂いが漂い始める。
「一応目覚ましの魔術もかけておこうかな。reloj despertador hora」
再び刻印がしばらく光って、莉亜が満足そうに頷く。
「これでよし、と」
莉亜は手早く制服から着替え、部屋の明かりを消し、ベッドに潜り込んですぐに寝息をたて始めた。
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----14年前
“へへへ、やっと完成”
三歳の莉亜は左手を見て嬉しそうに笑う。
小さな手には十分大きい紅の刻印。
莉亜が魔術師としての証であり、魔術を引き出すための媒介。
転生する度に待ち焦がれるこの瞬間。
莉亜は子供がプレゼントを貰ったかのように何度も何度も左手を眺めて笑う。
莉亜が魔術を使うようになったのは遥か昔の事で、転生してもそれを受け継いで現世まで生きてきた。
ただ問題だったのは、知識は受け継いでも資質や能力は受け継がないことだった。
例えば現世で生まれながら魔術の才能があったとしても、来世で無ければ魔術は全く使えなくなる。
そこで何世紀もかかってこの刻印を編み出した。
魔力の才能の有無に関わらず、魔術を使うための媒介----【sello】である。
セロを発現するためには、自分の体に刻み始めてから三年間かかる。
莉亜は今日ようやく発現し終わったところだった。
「あら?莉亜ちゃん何か嬉しそうね」
「っ!?」
後ろから突然、母親の雅に声を掛けられて莉亜は条件反射で左手を隠す。
“さっき買い物に行ったんじゃなかったのか!?”
莉亜は驚いていたが、雅が出て行ってからすでに40分経っていた。
雅にしてはかなり長いほうである。
「莉亜ちゃん!今何を隠したの?」
“やばっ!”
買い物袋を持ったまま近付いてくる雅から、小さい体を目一杯動かして逃げる莉亜。
しかしその抵抗も虚しくあっさりと抱え上げられ、捕まってしまう。
「は、離して」
「あ、こんな所に落書きなんかして!駄目よ莉亜ちゃん」
雅はそう言うと、莉亜を捕まえたまま買い物袋からウェットティッシュを取り出す。
「今消すから動いちゃ駄目よ」
「や、止めて」
莉亜は何とか逃げようとするが無駄だった。
ウェットティッシュが莉亜の左手に近付けられる。
---フキフキ、フキフキ
「あら?なかなか消えないわね」
“油性マジックとかと違うからっ”
雅はなおも拭き続ける。
---フキフキ、フキフキ
“流石にこんなのじゃ消えないと思うけど。早く諦めてくれないかな”
莉亜は逃げるのを止めて、雅が諦めるのを待つことにした。
雅はしつこく拭き続ける。
---ゴシゴシ、パシュンッ
「ふぅ、消えた」
「…………(パクパク)」
あまりの衝撃に目を見開いて、口を忙しなく開閉する莉亜。
それと対照的に雅はやり遂げた顔で息を一つ吐き、莉亜を持って二階に上がる。
二階にはすでに莉亜の部屋が用意してあり、雅はそのドアノブに手をかける。
「莉亜ちゃん、お部屋にまで落書きしてなんかいないわよね?」
“…………あ!?”
莉亜が気が付いて慌てた時にはもう遅く、ドアは開けられていた。
セロが完成して早速用意した、魔術空間を接続するためのマーキングが部屋の四隅に一個ずつ。
「もうっ莉亜ちゃんったら。お絵描きならお絵描き帳に描きなさい」
雅が笑いながら莉亜をたしなめ、それに近付いて再びウェットティッシュを近付ける。
“や、止めろっ”
---ゴシゴシ、パシュンッ
「あ、すぐに落ちるわね」
「…………あ」
「こっちにも。あ、ここにもあそこにも」
---パシュンッ、パシュンッ、パシュンッ
無慈悲にも余すところ無く消されていくマーキング。
雅が気付いた時には莉亜はショックのあまりに気絶していた。
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「はっ!?」
かけ布団をはねのけて勢い良く起き上がる莉亜。
「はぁっ、はぁっ、夢か」
ほっと胸をなで下ろして莉亜はベッドから降りる。
寝間着が冷や汗で異常に濡れている。
時刻は時計を見るまでも無く7時30分。
目覚ましの魔術のおかげで正確に起きれるのだが、疲れは寝た分だけしかとれない。
むしろトラウマの一部の夢を見た莉亜は余計に疲れを感じていた。
莉亜は重たい体を動かして学校に行く準備をし始める。
莉亜にとっては別に学校に行かなくても十分すぎる知識があり、莉亜自身行きたいとも思ってないのだが、鈴が毎日迎えに来るために行かざるをえなくなっている。両親の異常な過保護を朝から適当に相手し|(母親からできる限り距離をとって)、準備をしていると8時過ぎに玄関からチャイムが鳴る。
「りーあー!」
「今行くよ!」
玄関外から聞こえる元気な声に莉亜も声を張り上げて返す。
莉亜が鞄を持って外に出ると、鈴がいつものようにドアの前で可愛らしく待っていた。
莉亜を見て無邪気に笑う。
“黙ってれば可愛いのにな”
莉亜が毎日思っていることである。
朝の光で一層綺麗に思える長い髪ににこやかに微笑む可愛らしく整った小さな顔、女の子らしい健康的な体つき。
この瞬間だけは男子が騒ぐのを理解できる莉亜。
「おっはよう莉亜ちゃん♪」
「……ちゃんは付けるなってば」
ただしその瞬間だけである。
言っても無駄だと分かりつつも、莉亜は言っておく。
莉亜の家から学校まで徒歩で15分程かかる。
魔術を使えば楽なのだがそうもいかず、莉亜は鈴と並んでめんどくさそうに歩く。
鈴があれこれと話しかけるが適当に相槌をするだけで内容は全く頭には入っていない。
それでも鈴は楽しそうに話し続ける。
二人がしばらく歩くと携帯をいじったり、音楽を聞いたりしながら歩く高校生が増え始める。
そんな人達を莉亜が眺めながら歩き続けていると、いつの間にか学校に着き鈴が声を上げた。
「あ、組長だ。おはよー」
生徒昇降口で靴を履き替えている男子生徒が気付いて顔を上げる。
「ああ、長谷川か。おはよう」
組長と呼ばれた180cm程の男子は鈴に爽やかに挨拶をすると、隣にいた莉亜にも気付く。
「春日井もおはよう」
「うん、おはよう五十嵐君」
莉亜も上機嫌に挨拶を返す。
莉亜と鈴のクラスの組長である五十嵐静夜は、莉亜を男として見る数少ない人で、莉亜は静夜をそういう意味で気に入っている。
外見は長身に加え、スッキリした短髪にさわやかな顔立ち。
成績優秀、運動神経抜群、性格も良く、まじめながらも気さくなところもあり、教師や一般生徒だけでなく、俗に言うところの不良という人種とも上手く折り合いをつけている。
父親が警察官で小さい時から鍛えられたらしく、剣道部でかなりの実力と成果を発揮し、女子からの人気もある。
「組長、今日は朝練無かったの?」
この高校の剣道部や野球部等の運動部はいつも遅刻ギリギリまで朝練をしている。
まだ朝礼まで時間があるため鈴は不思議がって静夜に訊いた。
「今日は生徒会の方で今から用事があってな。ゴメンもう行かないと。じゃあ2人ともまた教室で」
そう言って静夜は急いで生徒会室に向かっていった。
「大変だねー組長」
「そうだね」
そんな静夜を見送り、2人は靴を履き替えて教室にゆっくりと向かい、莉亜は教室に着くなりさっそく机に突っ伏して寝始めた。
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「莉亜ちゃん♪」
「……ちゃんを付けるなって」
放課後になり、これまでに幾度となく繰り返されたやり取りをする2人。
「何よ起こしてあげたのに」
鈴が頬を膨らませ、機嫌を損ねたように言って莉亜から離れていく。
実際のところ鈴は何とも思っていないし、莉亜もそれが分かっている。
長い付き合いからの経験というやつである。
莉亜は目を擦りながら顔を上げ、教室を見渡す。
鈴は他の部員と今から弓道場に、静夜も荷物をまとめて教室から出て行こうとしている。
そして残った生徒は携帯をいじったり雑談をしたりと帰るわけでもなく、何かをするわけでもなく時間を潰している。
その中の内、電話をかけている者や互いに携帯を見せ合っている者達を莉亜はじっと見る。
“やっぱり最近の世代には十分に普及してるんだな。ま、それが今回の鍵になるんだけど”
莉亜はにんまりと笑いながら荷物をまとめ始める。
“さて、帰って最後の仕上げをしておこうか”
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「アドレス入手完了、送信ドメイン認証クリア、年代判別終了、同時に対象選択も終了……っと。位相空間の最終チェックも完了……それから魔術思念干渉システムからの操作も良好」
魔術空間の中で莉亜はキーボードを叩き続ける。
また帰ってからすぐ部屋にこもり、三時間ほど経っている。
「送信準備も完了」
莉亜は楽しげに笑ってキーボードを叩く手を止める。
画面には送信確認の表示が出ている。
「それじゃあ早速、招待状送信っと」
莉亜がキーを叩くと画面が変化し、しばらく経って電子音がなった。
そして遅れてベッドの上から携帯電話の振動音が響く。
それを確認した莉亜はパソコンの電源を落として、魔術空間も終了させた。
明かりの点いた部屋が元に戻ると莉亜は自分の携帯電話を開く。
『メール 1件』と表示された画面。
莉亜はキーを操作してメールを開く。
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差出人:UNKNOWN
件名:NOTHING
本文:Welcome to the Dream Circulation
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「今夜から楽しみだね」
満足そうに笑って携帯を閉じて、ポケットにしまう。
すると下から声が響く。
「莉亜ちゃーん。ご飯よー」
「あぁ、もうそんな時間か」
上機嫌な莉亜はちゃん付けされた事も気にもとめず、鼻歌混じりに部屋の電気を消して部屋を出て行った。