1 転生そして始動
『人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て、滅せぬ者の有るべきか』
今では誰もが知る織田信長が、日頃愛唱した謡曲だ。
このままでは意味はぼんやりとしか分からない人が多いだろう。
だから少し解説しよう。
「下天」とは「六欲天」といういまだ欲望にとらわれる6つの天界のうちの最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。
人間とは「人の世」という意味。つまり
「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」
そして僕なりに簡単な解釈をすると
人の世は短く、呆気ないもの。
みんなはどう思うだろうか。
僕は半分感銘を受け、半分は訂正したい。
「人の世の50年の歳月は、僕の1日程度にしかあたらない」
人の世なんて
所詮
……所詮
「……そんなもんだ」
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----約17年前
とある分娩室に元気な産声が響いた。
母親は疲れ果てた様子ながらも安堵と喜びの表情を浮かべ、助産師が抱える赤子をのぞき込む。
助産師曰わく男の子らしい。
部屋には喜びの雰囲気が漂い、1人の助産師が外で待つ父親を呼びに行く。
すぐさま父親が飛び込むようにして部屋に入ってきて、息子の顔を見て安堵の涙を浮かべた。
それを見た母親と周りの人の幸せな笑いで部屋中が包まれる。
たった1人を除いて。
“……あーあ、またかぁ”
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「春日井、この問題解いてみろ」
「……ふぁ?」
窓際一番後ろの席で夢心地にうつらうつらしている生徒に数学教師が問題をあてる。
黒板には長ったらしい数学の問題文と少しばかりの図。
そしてその脇に立つ若干苛立った男性教師。
当てられた少年は数秒の間黒板をボーっと眺め、相変わらずの寝ぼけ眼をしながら口をペラペラと動かす。
「AE=2/5、PM=3、S1=6√2、S1/S2=3√6」
「……誰が暗算しろって言った。板書しろ板書を」
教師が呆れたように言うと同時に教室は笑い声に包まれる。
少年は片手を頭の後ろにやりながら、アハハと笑って黒板に近付いてチョークを手に取る。
“……めんどくさい”
少年の名前は春日井莉亜。
性別・男、年齢・17歳、高校2年生。
長めの綺麗な髪、整った顔立ち、低身細躯。
外見と名前だけなら完全に女の子で、左手には似合わない黒のドライバーグローブをしている。
莉亜を一言で言い表すなら天才。
校内のテスト全教科満点は当然のことながら、授業にとってないテストを特別に受けた場合でも満点を取っている。
ただし当の本人の希望で模試や資格試験などは一切受けていない。
運動神経はそこそこ。
性格は気分屋。
人望は厚く、男女共から人気がある。
手早く問題を解き終えた莉亜はさっさと席に戻り、椅子に座ってすぐに机に突っ伏す。
それを見て呆れたように溜め息をつく教師に生徒が声をあげる。
「センセー、莉亜に問題出したって無駄ですよー」
「そーそー、どうせ5秒くらいで解くからな。いったいどんな頭してんだろ?」
あーだこーだとクラス中に生徒の声でざわめく。
「うっさい、お前らっ!次のテスト覚悟しておけよ。ははは、春日井にしか解けねぇ問題出してやるからなっ」
性悪そうに笑う教師。
その言葉で生徒達は一斉に立ち上がり抗議しだす。
「鬼!悪魔!鬼畜っ!」
「せ、先生!それだけは勘弁を!」
「職権乱用よっ!」
「だから結婚出来ねーんだよ!」
「ぷっw」
「お前wそれは禁句w」
「……さて、追試用のテストも早めに用意しておくか」
「「「すみませんでしたぁっ!」」」
賑やかしい教室を、莉亜は笑顔を浮かべて眺めていた。
気持ちの良い春の陽気に当たり、再びうつらうつらとしながら莉亜は思う。
“本当に近頃の子供は馬鹿だな”
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「莉亜ちゃん、ママですよー」
寝ている赤子を上から覗きこんで母親は楽しそうに笑う。
しかし赤子は熟睡して起きる気配がない。
「なんだまた寝てるの。本当に良く寝る子ね」
母親は残念そうに離れて家事の続きに取りかかりに行った。
“狸寝入りだけどね”
母親が立ち去ると目を開ける莉亜。
“あー退屈。起きてたら赤子扱いされてめんどいし、ずっと寝てるのも暇だし。せめて体が動けばなぁ”
莉亜は短い手足を動かしてみるが、思ったように動かない。
“まぁ、いつものことだけどさ”
莉亜は自分で納得する。
“確か前は2000年に死んだんだっけ?これで何回目だろ?”
莉亜は自分が死んだ回数を数えてみるが、途中で分からなくなって止めた。
莉亜……現世の名前での莉亜は、過去数千年に渡って転生をしてきている。
前世が没するとほぼ同時に転生し、前世の記憶はそのまま受け継がれる。
前世の記憶の中にはそのまた前世の記憶がある、つまり数千年の記憶が莉亜にはあるのだ。
何故そんなことが起きているのか莉亜自身にも全く分かっていない。
“今回は……まぁ、そこそこ裕福そうな家で良かったかな。親も良い人そうだし”
莉亜は周りを見渡して考える。
暖かい布団に毛布、小綺麗な部屋。
酷いときは雨風さえ凌げず、栄養もロクに摂取できず、一日と生きられない時もあった。
それに比べると莉亜にとってはかなり満足だった。
莉亜はおもむろに左手を天井に突き出して、甲を眺める。
“まだかかるかな”
手の甲にはうっすらと小さい染みのようなものがあった。
それを満足そうに見ていると嬉しそうな声が耳に届く。
「あらぁ?莉亜ちゃん起きたの」
“げっ”
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「莉~亜~ちゃん!」
「……ちゃん付けするなって言ってるよね?」
莉亜が再びうつらうつらとしていると声を掛けられ、露骨に嫌な顔をして見上げる。
すでに授業は終わり、放課後になっていた。
「良いじゃん女の子みたいなんだから」
そう言って莉亜の頭を撫で始めたのは長谷川鈴。
莉亜の幼馴染みで家も隣である。
背中まで伸びるスラッとした黒髪の美少女で男女共から人気がある。
性格は勝手気まま、天真爛漫、明朗快活。
運動は全般に出来るが、勉強に関してはまるで駄目である。
また鈴が弓道部に所属しているせいで、一時期弓道部に入部希望が殺到したこともあった。
そして莉亜の事を女の子扱いするために、嫌いとは言わないまでも莉亜はかなり苦手としている。
「……なにか用?」
女の子みたい、というのは聞き流して訊く莉亜。
「あのねー、今日は部活無いから女の子同士で遊びに行こうってみんなで話しててねー」
莉亜の頭をなで続けながら間延びした話し方で鈴が話す。
「行ってらっしゃい」
「だから莉亜ちゃんも誘おう、ってなってね」
「鈴、話の流れがおかしいから」
莉亜は呆れた目で鈴を見て、その後ろで期待に満ちた目をした女子数人を見る。
“今回はやっかいな外見だな”
莉亜は諦めて溜め息をついてから鈴に言う。
「分かったよ。付き合うよ」
その言葉で女子達がキャッキャッと騒ぎ出す。
すると、話を聞いていたのか男子が数人寄ってきた。
「なになに?遊びに行くの?じゃあ俺らも一緒n『男子は帰れっ!』ええっ!?」
ものすごい剣幕で女子達に拒絶されて男子達は驚き、肩を落として去っていった。
“ていうか僕も男子なんだけど。女子よりも男子の方がそこのところちゃんと分かって……”
「ちぇっ、長谷川や春日井たち美女と一緒に遊びに行けると思ったのにな」
「上手く行けば春日井と仲良くなれたのにな」
「そしていずれは男女の仲に……」
「「「ふへ、ふへへへ」」」
“……聞かなかったことにしよう。うん”
莉亜は鳥肌をたて、背中に悪寒を感じながら足早に教室を出て行った。
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「ただいまー」
8時過ぎ、鈴たちクラスの女子にあちこち連れ回された莉亜は自宅にようやく帰り、いるであろう母親と父親に声をかける。
すると居間からドタバタと慌てて莉亜のいる玄関に向かう音と、台所から食器が割れるような音がして父親と母親が現れる。
「莉亜ちゃんおかえりっ!」
「莉亜!遅かったじゃないか!心配したぞっ!」
莉亜は2人に抱きつかれて、莉亜は煩わしそうな顔をする。
「どんだけ過保護なんだよっ。いい加減子離れしろっ」
「駿さん、莉亜ちゃんが怒った」
「雅さん、莉亜が怒ったね」
莉亜が軽く振り払うと2人は互いに抱き合いながら涙目で震えだす。
春日井駿に春日井雅。
莉亜が生まれてからずっとこの調子で莉亜は呆れている。
特に母親からは乳児期に異常な過保護を受けていてトラウマになりかけたくらいだった。
この時ほど自分の転生能力を恨んだ事は無かった。
「ったく、ご飯は食べてきたから今日は要らないよ」
そう言って二階に上がり、自分の部屋に入る莉亜。
部屋はベッドに机、本棚、クローゼット、パソコンが置いてあり、小綺麗に整理されている普通の部屋だ。
莉亜は後ろ手にドアにを閉め、鍵を掛けて明かりをつけた後深く息を吐く。
「魔術空間接続開始」
莉亜が呟いた途端に壁と床が一瞬で漆黒に染まる。
まるで宇宙のように延々と奥行きがあるように感じられる部屋の六面。
莉亜がそのままドアの傍で佇んでいると壁や床に更なる変化が表れる。
星のような青白く光る点が大量に浮かび上がり、それらから複数の線が伸びていく。
右に左に上に下に、そして斜めに。
直線やカーブを描きながら、その軌跡はゆっくりと形を成していく。
1分程時間が掛かり、それらの動きが止まった。
壁・床いっぱいに広がる幾つもの幾何学模様や文字のような配列。
様々な色で光り続け、部屋の中をぼんやりと照らしている。
「魔術空間接続完了」
莉亜がそう呟くとそれらは縦横無尽に動き始める。
莉亜はそれを確認してからパソコンに近付き、起動させる。
パソコンの稼働音が部屋に響くなか、莉亜は左手にはめたドライバーグローブをはずした。
「今日もよろしく頼むよ」
莉亜は紅く輝く左手に語りかけた。