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20「でも、所詮は畜生だ」

**************************************************

 確かに静謐であった。

 振り向いたその瞬間まで、彼の纏う空気は静謐であった。

 だが加羅と視線を交わした途端、彼の目に炎が灯った。

 まるで燃え盛る、黒い炎のような。

 一息の間に彼は黒器を変じ、跳んだ。上段から振り下ろされた刃を、加羅は鞘の側面で受け止める

 紫呉は食い縛った歯の隙間から、荒い呼吸を搾り出していた。黒く燃える目には加羅の姿が映りこんでいる。

「その目、本当に変わらないね。……獣そのものだ」

 ぐ、と腕に力を込める。弾こうとするのだが、紫呉の力に押されて加羅の足は徐々に後方に下がった。

 夜に光る直刃が藍鞘を噛み、ぎりぎりと音を立てる。血が沸くほどの濃密な紫呉の怒りを間近に見据え、加羅は舌先で唇を湿した。

「でも、所詮は畜生だ」

 一瞬流れた力を加羅は見逃さなかった。牙月を弾き上げ、藍鞘を腰に差す。柄に手をかける加羅に、紫呉が身構えた。

「人には、敵うまいよ」

 斬りつけられると思ったのだろう。だが加羅はそうしなかった。地を蹴ったその勢いのまま、紫呉の腹を目がけて脚を振りぬく。

 濁点にまみれた声が紫呉の口から漏れる。皮の長靴ブーツごしに、肉と骨が軋む感触がした。飛ばされた紫呉は、背中から家屋にぶつかる。

「っげ、え、」

 跳ね、地に転がった。それでも紫呉は牙月を手から離さず、派手に咽ながら加羅を睨んでくる。

 紫呉は地に爪を立て、立ち上がろうとしていた。だが、衝撃に臓腑がやられたのか、口からごぽりと血を溢れさせて、地に伏した。

 粘性の血液が口から滴り、地面を汚す。覗く歯も舌もぬらぬらと紅く濡れていて、まるで別の生き物のように生を主張していた。

 紫呉は震える脚に力を込め、牙月を支えに立ちあがろうとする。血と唾液と吐瀉物にまみれながら、彼は生きもがいている。

 その様は滑稽にすら見えた。加羅は鍔に指をかけた。距離を詰め、鯉口を切る。鞘から刃を走らせ、抜き様に斬りつけた。

 互いの刃がぶつかり、火花が散った。

 鍔を迫り合いながら、互い睨み合い、炎をぶつけ合う。

(おれの初太刀を見切るか)

 加羅は、にぃと口の端を曲げた。

 その反射速度には恐れ入る。だが体勢を整えるに至っていなかった紫呉は、やがて加羅の力に押されて刃を引いた。

 加羅の二の太刀が紅の花を咲かせるその前に、紫呉は転がるようにして距離を取る。口から零れた血が胸元に滴り糸を引いていた。

 その後を加羅は追う。噛み付いてくる刃を斬り返し、腰の鞘を抜いた。鐺こじりで紫呉の肩口を突く。

 紫呉は呻き、ひるんだ。加羅は斬撃を鞘で振り払い、柄尻を紫呉の肩口に叩き込んだ。次いで喉元を目がけ、蹴りを繰り出す。

 その蹴りは紫呉の腕に止められた。しかし加羅の勢いを殺すには足らず、紫呉の体は後方に飛ばされた。

 紫呉は両の足裏と手のひらを使い、地面に食い下がる。ざあ、と砂を掻く音と共に砂塵が舞い上がった。

 視界を埋める砂埃の向こうから、加羅は痛いほどの怒りを感じていた。ぱらぱらと木屑が落ちる音が耳を打つ。

 やがて鮮明になった視界の向こう、四つん這いになった紫呉は、今にも跳びかからんばかりの形相だ。

「おれに構ってて良いのかな」

 紫呉の肩がぴくりと跳ねた。

 加羅は納刀した。高い金属音が空気を揺らす。

「早く助けてあげないと、手遅れになるんじゃないのかな」

 声に笑みを含ませ、加羅は坂崎雪斗に視線を流す。荒い息を吐く紫呉の唇が、何故、と小さく言葉を紡いだ。

「言ったじゃないか。奪うって」

 にこりと、笑みを浮かべてみせる。

「それが嫌なら、おれを追ってきてごらん。そして早く、捕まえてごらんよ」

 加羅は立てた中指で、とん、と己の心臓の辺りを示した。

 紫呉が歯噛みする音が、こちらまで聞こえてくるようだった。加羅は笑みを浮かべたまま、向陽を数珠に変じさせる。

 向けた背に、焦げ尽かさんばかりの視線を感じた。しかし加羅は歩みを止めずに突き進んだ。

 やがて、先程の喧騒を聞きつけて人が集まるだろう。それまでに姿をくらます必要があった。

 加羅が行く先は、華芸町の更に奥地。元より、落ち合うと決めていた場所だった。

 紫呉の斬撃を受け止めた腕は、今もまだ痺れを残していた。ぷらぷらと手首を振って、痛みと痺れを追いやろうとする。

 手のひらの皮が剥けていた。加羅は小さく舌を打ち、傷口を舐める。鉄臭さと塩辛さとが、舌先から広がった。

 加羅がその場にたどり着いた時、相手は既に到着していた。

 二人の男は加羅の姿を見止めるなり、へらへらと調子の良い笑みを浮かべてみせた。

 男達の名は、昭夫に浩志といった。


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